不屈のピアニスト、ピアノと対決する。

緋色 刹那

不屈のピアニスト、ピアノと対決する。

「俺は負けない……負けてたまるか!」

 幾多の困難を乗り越え、頂点に君臨し続けてきた天才ピアニスト、伏見響也。

 『不屈のピアニスト』とも称されてきた彼は今、かつてない強敵に立ち向かっていた。

『ポロロン』

 彼の前に立ち塞がっていたのは、愛用のグランドピアノだった。相棒を前に軽快に音を鳴らし、挑発している。

 早朝、伏見が“月光”の音色で目を覚ました時には、既にピアノは自我を持っていた。ピアノは伏見に弾かれることを拒み、屋敷を駆け回った。

 伏見はピアノを追って、同じように屋敷を駆け回ったが、疲労で何度も倒れては、ピアノに『ポロロン』と挑発されていた。

「くそぉ……」

 伏見は悲鳴をあげる老いた体に鞭打ち、ピアノを追い続けた。


 グランドピアノが自我を抱き、主人である伏見を拒んでから半日が経過した。ようやく伏見はピアノを部屋の隅に追い詰め、突撃のタイミングを見計らっていた。

 ピアノも逃げるタイミングを窺い、押し黙っている。

 膠着状態の中、伏見のピアノを弾きたい衝動はピークに達していた。「今すぐピアノが弾きたい。でなければ、俺は精神が崩壊してしまう!」とまで思っていた。

 その思いが、伏見を動かすパワーへと変わった瞬間、

「ピアニストが……ピアノに負けてたまるかー!」

 伏見はピアノへつかみかかると、暴れるピアノのフタを強引に開き、演奏を始めた。

 ピアノは何度も伏見の手をフタで挟み、抵抗したが、伏見は一向に演奏の手を止めなかった。

『ポーン……』

 やがて観念したのか、ピアノは元の楽器へと戻った。

「嫌だったんだな、お前も……音楽で金儲けするのが」

 伏見はピアノを責めることなく、静かに呟いた。

 伏見にはピアノが暴れた理由が分かっていた。このピアノと自分は一心同体……己の魂とも言える存在だったから。

 伏見は久し振りに、自分が大好きな曲である“月光”を静かに弾いた。

 ピアノとの攻防を終え、真っ暗になった部屋には、青い月光が差し込んでいた。


(終わり)

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