第2話 指揮官の顔
2-1 一人の少年の理解
◆
ドッグ・ハルゴンにとって、まず周囲は敵だった。
幼い頃から、その名前をからかわれた。様々なからかい方があったが、おおよそ全てのパターンがあったのでは、と思うほどだ。
腕っ節には自信があった、というか、自負があった。
しかし決して誰にも誇らず、そして全力を出すこともなかった。隠していたのだ。
最初は、という言葉を付け足す必要があるが。
小中一貫教育の学校にどうにか入学したが、二年目で喧嘩をして、相手が入院する事態になったので、ドッグは自然と転校することになった。両親は最初、顔面蒼白になり、次にカンカンに怒り、赤黒い顔をし、そして最後にのっぺりとした顔になった。
両親は平凡な会社員で、ドッグをそれなりに成功させ、世界か社会に対する何かの溜飲を下げようとしている向きがあった。
子どもに夢を見る、子どもからすれば厄介な親の典型だと、ドッグもそのうちに悟った。
自分を両親の箔にする、道具に徹する、そんなこともドッグには選べたし、そういう可能性を真剣に検討する程度にはまともだった。
ただ、喧嘩騒ぎの後、転校した先の私立の小学校でも、やはり喧嘩騒ぎを起こした。
なんで自分を抑えられないのか、と両親に詰問されても、ドッグは答えなかった。幼少期から、口を開くことは少なかった。ずっと黙っていて、最後の最後で手が出る。
それも爆発するような、激しい暴力が顔を見せるようになった。
二人目の被害者もやはり入院する運びになり、ドッグは両親に無理やり、精神科を受診させられ、脳や知力その他に何らかの障害がないか、確認させられた。
もちろん、何も見つからなかった。正常ですね、という精神科医の返事に、両親は安堵せず、むしろ暗澹たる気持ちになっただろう、とドッグはそのうちに他人事のように考えるようになった。
両親は何を思ったか、三番目の学校として、全寮制の男子校を選んだ。それも決して立派ではない、全てが古びた学校だ。
そこでドッグは初めて、上下関係というものを知った。一般的な小学校にあるような、上級生と下級生、などという枠を超えた、本当の上下関係である。
上級生がドッグをからかう。ある程度までは耐える。もちろん、耐えられなくなる。
拳が上級生を一度打つと、それが冗談ではなく、十倍で返ってくる。場合によってはそれ以上だ。
上級生を批判する者はいない。同級生はただ見ている。上級生もドッグが暴力を受けたと周りには見えないように、巧妙に殴る場所を選んでいる。
暴力が怖くなったわけではなく、ドッグはこの時にある種の理解をした。
本当に強い奴は、腕力以上の何かを持っている。
それは権力や地位ではない、とも思った。
もしドッグを殴り倒した上級生が学校の教師に影響力のある血筋だったとしても、あるいはただ上級生というだけの立場しかなかったとしても、見ている第三者、善意の誰かが通報したのではないか。
しかしそんなことは誰もしない。
上に立つものには、上に立つ者として認められる、超然としたものがあるのではないか。
恐怖か、あるいはもっと何かを超越したものが、周囲を黙らせる。認めさせる。
そんな気がして、ドッグは上級生を観察し始めた。
彼らはまだしつこく、ドッグをからかった。殴りかかってこい、という意味にしか聞こえない言葉も向けられた。
ドッグは耐えた。今までだったら体が動いてしまう場面でもじっとしていた。
からかいは、いつの間にか、消えていった。
それどころか、上級生はドッグを同学年の児童のリーダーの一人に指名しさえした。
「なんで僕なんですか」
生徒会の会議に呼ばれた時、ドッグは上級生の一人を捕まえ、抗議した。
「僕よりも頭の良い奴は大勢いますよ」
これは事実だった。ドッグの学校での成績は中の上といったところで、トップクラスの連中とは溝をあけられていた。
上級生はなんでもないことのように、あっさりと言葉を口にした。
「お前は粘り強い。弱音を吐かない。だからだよ」
その上級生は高等部二年生で、ドッグはまだ十歳になろうという頃で、そんな粘りや頑固さよりも、頭の良さの方が重要に思えた。
「それより、お前に殴られた上級生だがな、お前に用があるらしい」
その用があるという上級生と対面した時、ドッグが何か言うより前に「ボクシング部に入れよ」と言われ、ドッグには意味がわからなかったが、単に、上級生はドッグの一撃に見るものがあったと思っただけのようだった。
「部活に入って、体力をつければ、まぁ、役に立つかもしれないしね」
上級生は嬉しそうに言うと、ドッグの肩を叩いてどこかへ行ってしまった。
無視して何らかの報復があるとも思えなかったけれど、ドッグはボクシング部に入部した。同じ初等部の児童もいて、しかしみんながボクシング経験者だった。
とにかく、ドッグは徹底的に鍛え上げられたが、同時に勉強にも打ち込むようになった。
この時に、ドッグの中では上下関係というものが年齢それだけではなく、学力や体力、結果だけでもないのを、実感として知った。
さらに言えば、上下関係が、ただの師弟関係や、上司と部下、雇用主と使用人、そういう一方通行ではないことも理解し始めた。
ある時には、対等になり、さらに逆転することもある。
そういう要素が、上下関係という言葉では言い表せない、有機的な協力関係なのではないか。
もう退学や放校になることはなく、ドッグはそのまま高等部まで学習に集中した。
進路を決めたのは自分にはそこがあっているのではないか、と思ったからだ。それに卒業生でも、同様の進路を選ぶものは多かった。
その進路は、進学とも就職とも違う、特殊なものだ。
進路に関する面接の時、教師は怪訝な顔をして、両親はもう投げやりだった。
「連邦宇宙軍か」
教師はドッグの学校での成績についての電子書類を眺めてから、視線を上げた。
「陸軍じゃないの?」
そこが論点ですか、と同席していた母親が力なく呟いた。ドッグの成績なら士官学校は到底、無理でも、訓練校には入れそうだった。
ドッグの志願は、いきなりの入隊で、つまり訓練兵からのスタートである。
「宇宙軍なら、色々と経験できると思いました」
親も教師も意に介さず、堂々とドッグが答えると、かもしれないね、と教師は苦笑いした。
ドッグは卒業と同時に、連邦宇宙軍に入隊した。
訓練兵としての生活が自分に何を教えてくれるのか、この時のドッグはただ楽しみだった。
(続く)
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