第7話 落伍

7-1 破綻

     ◆


 これはまずい、とすぐにユキムラ・アートは悟った。

 チューリングが訓練を開始するその日、設定された時間のギリギリに発令所にやってきたザックス曹長は、アルコール臭を発散させていた。

 ユキムラには自身の嗅覚がなく、嗅覚センサーが周囲のニオイをおおよそ把握するが、大抵は意味をなさないし、ユキムラも気にしない。

 そのセンサーで許容できない臭気と共に、ザックス曹長は発令所に入ってきたのだから、他の顔ぶれが気づかないわけがない。

「遅い」

 ヴェルベット艦長が小さく低く、しかし怒りだけで構築された言葉を向けても、ザックス曹長はさっと手をあげるだけで答えに代えた。艦長に対する態度ではない。

 まさかアルコール分解薬を飲んでいないのか?

 ユキムラがどうにか取り繕おうとした時には、一足早く、操舵管理官のレポート少尉が声を発していた。

「訓練とはいえ、何を考えている、曹長。軍規を知らんのか」

「薬は飲んでるよ」

 曹長の目は血走っていて、逆に頬がこけているのは、一種、異様な迫力があった。

 それを前にしたからか、レポート少尉が口を閉ざすと、ザックス曹長が何を思ったか、ぐっと義手でもう一方の生身の腕を、軍服の袖をめくって露わにした。

「何だ、少尉、調べてもいいんだぜ。血中濃度でも調べてみろよ。俺が素面かどうか、それでわかる。どうした? やらないのか?」

 レポート少尉は無視している。

 それに顔を歪めたザックス曹長が何か言う前に、ロイド大尉が「訓練を開始しましょう」と艦長に進言した。今度はザックス曹長はロイド大尉の方を見たが、ロイド大尉は微笑んでいる。毒気を抜かれたように、おとなしくなったザックス曹長が自分の端末で受け持つ火砲の様子をチェックし始める。

 艦長席ではヴェルベット艦長がレイナ少佐と何か話しているが、ユキムラはわざと聞かなかった。

 ザックス曹長について話しているとわかるし、あまりいい内容ではないだろう。

 管理官たちの報告が重なり、チューリングは、今、配置されているストリックランド級宇宙基地テヘランを離れ、設定された訓練宙域へ向かった。

 この段階から訓練が始まっているので、ほんの一時間の準光速航行の間にも、バッテリーが不具合を起こしたり、フレームが不自然な異常信号を発したり、空間ソナーに激しいノイズが走ったりする。

 それらを各管理官は部下と連携して、対処するのだが、ザックス曹長が落ち着いて部下に指示を出しているのを遠くで聞きながら、少しだけユキムラは安堵した。

 まだチューリングに乗り込む前、ザックス曹長と今は除隊したカード、そしてユキムラは様々なことを語った。自分の生い立ちを語ることもあれば、主義主張を展開したこともあるし、もっとプライベートな話もあった。

 元々、前任者のハンターがザックスとカードを見つけ出したのだが、二人は対立気味で、熱量は似たようなものだったけれど、どこか相容れないものがあるようだった。

 そこへユキムラが放り込まれた。

 今でも思い出すが、この二人は最初からユキムラに変に気を使ったりしなかった。

 普通の人間を相手にするように、自分の考えを口にし、ユキムラの考えを吟味し、場合によってはユキムラにこんこんと話をしたり、声を荒げて否定したりもした。そしてよく声に出して笑い、二人は揃って涙を流したことさえあった。

 自分が普通に扱われることは、ユキムラには特別なことだ。

 目立ちたくなくても目立ってしまう。普通でいられる時間は、ユキムラには限られていたから。

 チューリングが通常航行に戻り、本格的な訓練が始まる。

 まずは止まってる標的の間に艦を走らせる。標的にはシミュレーション上での仮想の粒子ビームを撃つが、ザックス曹長は実際に引き金を引く。

 不安が的中しないことを願ったが、ユキムラの願いも虚しく、それが現実になった。

 粒子ビームがとにかく当たらない。

 火器管制管理官は手動での照準と、人工知能の照準、そのどちらかを選べる。

 ザックス曹長は常に手動だ。

 舌打ちをして、引き金を引いて、やはり当たらない。

 あまりにも的に当たらないため、自分の索敵に問題があるのか、まず疑った。

 火器管制管理官が照準に利用するデータは、索敵管理官であるユキムラが総合的に分析、統合し、火器管制管理官の端末に流している。

 あるいはこれも訓練の一環で、ユキムラの端末に不具合があるか、そうでなければ空間ソナーや外部を映すカメラなど、そういう観測装置に不具合があるかもしれない。

 全部で二十の的の間をチューリングは滑るように移動したが、的に命中したと判定された射撃は、ただの三回だけだった。

「もう一回、やるぞ」

 ヴェルベット艦長の声も、さすがに固いものになっていた。ユキムラはそちらをカメラで見たい誘惑を、どうにか抑え込んだ。

 二度目は、命中が六回だった。

 しかし半分以下で、とても一流の技能者のそれではない。

「おい、お前」

 そういったのは、レポート少尉だったが、次の瞬間にその少尉の襟首を掴んでいたのはザックス曹長の方だった。

「この野郎、わざと的を外すような運動させやがって! そんなに俺に恥を掻かせたいか!」

 慌てることなく、ロイド大尉が間に割って入る。

「あいつなら、あいつなら、もっとうまくやった」

 ロイド大尉に組みつかれているまま、ザックス曹長がどこか震えた声で言った。

「カードの奴なら、もっと、うまくやるんだよ」

 暴れるのをやめ、ロイド大尉を振り解いたザックス曹長が自分の端末に向き直った。レポート少尉は不快げな顔をして軍服の襟元を直した。

「もう一回だ」

 何も見ていなかったように、ヴェルベット艦長が言う。

 重苦しい空気の中で、三度目が開始された。



(続く)

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