第2話 有形無形の傷
2-1 混沌
◆
繰り返し繰り返し、一つの場面を検証し続けていた。
もしユキムラが本来的な身体機能を持っていれば、それこそ食事もトイレもシャワーも全部無視して、端末にかじりついただろう。
そういう必要がないのが、今はありがたかった。
頭の中では、超大型戦艦を監視していた時の、チューリング周辺の精細な情報が展開されている。
カメラの映像には普通の宇宙が見える。
空間ソナーは平穏な、凪のような波形。
出力モニターには不規則な揺れ。しかしこれはどこを見ても起こりうるし、起こっている。
つまりユキムラが敵の潜航艦を察知する余地は、なかったことになる。
それをユキムラ自身が受け入れられるか、受け入れられないか、問題はそこにありそうだった。
今まで、自分がチューリングの目であり耳であると思っていた。
何も見逃さず、聞き逃さないものだと。
それを敵はかいくぐってきた。
潜航艦なのだ。ユキムラはそう思おうとした。
管理艦隊が独立派を出し抜くように、独立派も管理艦隊を出し抜く。
それが一つの可能性の高い未来であり、避けられない場所だとしても、ユキムラは諦めたくなかった。
まさに、諦められない。
自分の新しい目と耳が、使えないようなものなのだ。
どうして僕はここにいるんだ?
それは、技能があるからじゃないか。
ため息をつきたくても、ユキムラにはそれはできないし、髪の毛をかきむしることもできない。
何度目かの再生画像を注視し、途中でそれを止めた。
端末とのリンクを切って、ユキムラの入っているカプセルに付属のカメラ、その機能をオフにすることで、やっと何も見えなくなった。
真っ暗闇の中でも、何かが瞬くのは、何故だろう?
脳に浸透しているナノマシンの発する、些細な誤作動なのか。
暗闇の中を閃く光の粒子に包まれて、ユキムラはじっとしていた。
機械の体を手に入れて、自在に動けるとしても、それは僕が実際に動いたわけじゃない。
動かしているだけだ。
きっと、人間は自分の体を動かす時、動かそうとは思わない。
もっと自然なんだろうな。
「疲れたんじゃない?」
そばで声がするので、ユキムラは音声だけで答えた。
「目が疲れました」
レイナ・ミューラー少佐の前では、たまにそちらを見ないで話すことがあるし、彼女もユキムラの目であるカメラの動きで、それを察している雰囲気があった。
それだけ気がおけない関係ではある。
今、チューリングは隠れ蓑と艦長が勝手に呼んでいる、姿を消す幕の中で、バッテリー航行で宇宙ドックへ向かっていた。循環器は安全を確保するためにほぼ冬眠モードになっている。
宇宙ドックのフラニーは至近まで来ていて、あと二日ほどで接触できるだろう。
「何を見ていたのかは、聞かなくてもわかるわ」
やっとユキムラはカメラを起動し、レイナ少佐を見た。
美しい女性だとは知っているけど、今はやや疲れが表情に影を落としている。
索敵管理官の端末に寄りかかる姿も、気だるげだった。
「あなたのミスじゃないんだから、深く考えることはない、と言えたら私も楽なんだけど」
大勢の乗組員が亡くなっている。
それは発令所にいる人間、責任者たる管理官たちの責任だった。少なくとも、ユキムラは責任を感じている。
重すぎるほどの責任だ。
「少し休んだほうがいい、准尉。眠れなくても、心を休ませなさい」
ユキムラには眠るという感覚が曖昧で、むしろ眠りが怖いところがあった。
眠りとは意識が曖昧になることで、深い眠りが来ると、ナノマシンとの送受信が混乱する。
そうなってしまうと、不可思議な幻覚をみることになり、何もかもがわからなくなる。
一度ならず、スピーカーから悲鳴を発したことがあった。意識が覚醒しても、スピーカーは音を漏らしているからそうとわかる。
それでも、休むつもりで索敵管理官の端末を離れ、与えられた部屋で一人で過ごすこともあった。
それ以上の休息は、二人の曹長、カード・ブルータスとザックス・オーグレインと話をする時間だった。
この二人はユキムラの友人であり、何の忌憚もなく、言いたいことを言える相手だった。
それに二人もユキムラに言いたいことを、遠慮なく言うようなところがあった。信頼とはこういうことなのだと、ユキムラは何度、心中で思ったか知れない。
病院にいた時の、医者や看護師との間にあったものとは少し違う信頼関係。
レイナ少佐とは、また違った形で心が通じ合っている気がするが、こちらはあまり言葉にはしていない。ユキムラもだし、レイナ少佐もだ。
「どうしても見えないんです」
この話をして欲しくない、とレイナ少佐が考えているとわかってはいても、ユキムラは呟くように言葉にしていた。
「どうして、見えないんだろう? 見えるはずなのに……」
それは敵も感じたことでしょう。
レイナ少佐の言葉に、ユキムラはカメラの映像の焦点を、その顔に合わせた。
「ミリオン級を相手にした敵が、ということですね?」
「そう。今、私たちと敵との間には、それほどの差はないのね」
「この先、どうなるんでしょう」
ざっくりとした言葉だったけれど、レイナ少佐はその意味を察したようだ。
姿の見えない者同士が、どのように戦うのか。
相手の隠蔽を暴くこと。
より分かりづらい隠蔽を開発すること。
技術競争でありながら、それ以上に戦場は混沌とするだろう。
「ミリオン級は、パンドラの箱ね」
古い表現を使うのが、ユキムラには可笑しく、それで少しだけ心がリラックスした気がした。わざとその言葉を選んだのかも知れなかった。
「カード曹長の話を聞いてあげてもらえる?」
さりげなく、レイナ少佐が小声で言ったので、ユキムラはカメラを動かして操舵管理官の端末のほうを見る。今は、カード曹長ではなく、その部下の軍曹が操舵装置を握っている。緊張しているようだった。
まだ、いつ、敵襲があるかわからないのだ。
分かりました、話をします、と返事をして、ユキムラは索敵部門の部下の一人に端末を預けることにした。今はユキムラが端末を使っているため、その部下の兵長は医療部門で助手をしている。
急遽、呼び出した兵長が来るまで待ちながら、ユキムラはメインスクリーンのほうを見た。
ウインドウの一つに、傷ついたチューリングの状態を示す一覧がある。
赤い表示の多さに、ユキムラは心がざわめくのを感じた。
(続く)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます