第8話 波乱
8-1 再会
◆
ヨシノは、宇宙ドックのジョーカーに固定されたチャンドラセカルの状況を再確認した。発令所のメインスクリーンに艦の損傷度合いが表示されているのだ。
重度の損傷を示す赤い表示は一つもない。薄い黄色い表示が十七箇所。こちらは軽度の、損傷というよりは疲労を示す程度のささやかな損傷レベルだ。他は全部が緑の表示。
結局、戦闘らしい戦闘もなく、こうして帰投できたことになる。
乗組員には各自の仕事をジョーカーの作業員に引き継いだら、休息を取るように指示を出した。管理官も同様だ。ヘンリエッタ准尉が見るからに疲弊しているのが心配だった。
最後まで残っていた彼女の背中に折りを見て声をかけようとしたが、それより先に発令所にずかずかと白衣の老人が踏み込んできた。
「やあ、ヨシノくん! 元気そうでよかったよ! チャンドラセカルもな!」
大声でわめいている男に、思わずヨシノも目を見開いていた。
「ギルバート博士! ここにいたんですか」
「そうそう、ノイマンをいじっていてね、あれは面白かった。きみの艦も私が担当するよ」
席を立って握手をした次には、ヨシノはギルバート博士の質問攻めに遭い、ヘンリエッタ准尉が頭を下げて無言で発令所を出て行くのを見送るしかなかった。
それはささやかながら心を乱す場面だった。
「あの計画書は本物かね」
立ち話のまま、ギルバート博士が切り込んでくる。今はその話をしなくては、とヨシノは気を取り直した。
「確度の高そうな計画です。仮想空間ではチャンドラセカルの電子頭脳も運用可能と判断しています」
「人間の空想より電子頭脳の空想の方が信用できる時代だな。物理的にはどう思う?」
「問題になりそうなのは、力場発生装置をどこまで同期できるか、ということと、力場発生装置の生み出す力場をどれだけ安定させられるか、ということになると思います」
結局、そのまま二時間も発令所で立ち話をして、イアン中佐すらも出て行ってしまった。
「おっと、時間が過ぎてしまった」
いきなりギルバート博士が腕時計を見る。
「ここの作業員は私とチェンの奴で鍛えているからな、作業は早い。熟練工みたいなものだ」
「え? チェン・ファン技術大佐もここにいるのですか?」
「そうだ。ここはミリオン級のためにあるような場所だよ。さ、ヨシノくん、食事でもしながら話そうじゃないか」
もう充分、話しているが、積もる話は山ほどあるらしい。
引きずられるように発令所を出ると、見知らぬ作業員が通路の天井や床、壁のパネルの一部を剥がし、その奥のケーブルやさらに細いパイプを確認している。
ひょいひょいと彼らを避けていくギルバート博士は年齢を感じさせないほど機敏だ。
一方のヨシノは重力が発生しているのに、まだ慣れておらず、よろめいたりしていた。体力が落ちているかもな、と考えてしまうヨシノである。
「トライセイルを作り直したよ。今後こそは問題ないだろう」
チャンドラセカルから、ドッグの内部まで渡された通路で下りながら、ギルバート博士が指差す先に、真っ黒い装甲で覆われた箱がある。
「念のために切り離し可能な構造にした。技術的には大幅な見直しはないが、燃料液が血管内での対流が起こさないようにデザインを見直したよ。チャンドラセカルの試験、あれは有意義なデータになった」
ヨシノはトライセイルという装備を実際に目にしていない。
血管で構成された帯で、そこから推力を得る装置だという。これを使えばミューターとの併用で、性能変化装甲のシャドーモードは使えないものの、艦体への負荷を軽減して空間ソナーに映る反応を軽減して通常より高速で運動できるという。
それでもヨシノとしては、シャドーモードとスネーク航行の組み合わせの方が信頼できる気がした。この二つにトライセイルを併用すると、シャドーモードの装甲の強度との兼ね合いで、装甲への負荷がやや解消が難しい。
それに、隠蔽性能に関しても、やや難しい要素はある。目視という原始的な索敵からは、トライセイルでは逃れられないからだ。単純に、トライセイル自体が消えないがために。
そのことを伝えようとすると、ニヤッと笑ってギルバート博士が振り返った。
「性能変化装甲の材料で、シャドーモードの基礎になる、プリズムパウダーというのを発見しただろう? きみの発見というか、開発した素材だ」
プリズムパウダーというは通称で、実際にはもっと複雑な名称だが、この粉末状の鉱物を、イメージとしては蒸着に近いが一面に装甲に貼り付けた上で、さらにエネルギーを流すことにより、光学的に透明化することが可能になるのだった。
ヨシノが研究していた分野にあった、実現不可能とされる空想上の技術の一つだった。
それは今、性能変化装甲に利用されている。
「あれがどうかしましたか?」
「プリズムパウダーをいじって、トライセイルを透明化させる応用が可能になった」
「え? どういうことです? 博士」
ドッグの通路に降りて、ギルバート博士は得意げに背をそらした。
「トライセイルも透明になるということだ。これで何の文句もあるまい」
その言葉を理解して、ヨシノが頭の中で思ったことは、実際に見てみたい、危険はないのか、試験はしているのか、などなど、いっぺんに複数の疑問が押し寄せるような具合で、大渋滞だった。
ギルバート博士が嬉しそうに笑う。
「まあ、データを見せるが、まずは食事だ。チェンも呼んである、いくぞ」
さっさとギルバート博士がドッグに併設の居住区域に入っていくのを、ヨシノは追いかけた。
規模もそうだが、内部の構造はフラニーやズーイと同じらしい。
食堂に入ると、ヘンリエッタ准尉がユーリ少尉とアンナ少尉との三人で食事しているのが見えた。まずユーリ少尉が気づき、こちらに手を振る。アンナ少尉も手招きする。ヘンリエッタ准尉は、視線を送るだけ。
「こっちだ、ヨシノくん。時間はないぞ」
ヘンリエッタ准尉に声をかけるつもりがギルバート博士に腕を引かれ、女性陣には身振りで謝罪の意思を伝えるしかないヨシノだった。
これは後で、ユーリ少尉とアンナ少尉に叱られるだろうな。
ありありとその光景を想像しながら、すでに席を確保している中年のチェン・ファン技術大佐の前に引っ張られ、握手も挨拶もそこそこに、最新技術に関する議論が始まった。もちろん、食事はそっちのけである。
深夜になって解放され、ヨシノはふと思った。
ここに来て、何日が過ぎた?
実際にはほんの十六時間程度だと時計を見て計算し、気が重くなった。
しばらくは濃密な日々になりそうだった。
(続く)
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