第144話 対悪魔戦 2


「こんな所に居た......誰かに蹴られちゃったんだね」



 オリビアは練習場の隅に待機させておいたララの分体を探していた。分体とは言えララは彼女の従魔。捨て置くなんて出来なかった。


 待機させていた場所から離れた場所に分体を発見して安堵の声を漏らす。ここまで転がってきたのか、分体は少し汚れていた。


 付着していた砂を軽く払い落とし、小さなスライムを抱き上げた。そして漸く皆の後を追って建物を目指して足を動かし始める。


 他の生徒は既に校舎の中に入っており、不安げに外を眺めていた。彼等の視線はデルフィアやランドア達に向けられている。


 それらの苦々しい表情から劣勢が伺えた。思わず視線をデルフィアに向ける。彼女は大柄な悪魔と打ち合い、斬り合っていた。身体能力にかなりの差があるようで、デルフィアは攻めあぐねているようだ。


 その時、不意にデルフィアと目が合った。彼女は顔を強ばらせ、驚愕と焦燥に満ちた表情を浮かべた。



「後ろだっ!」

「えっ?」



 デルフィアが叫んだ。それは明らかにオリビアへと向けられた警告だった。反応したオリビアは振り向く。


 視界には卑しく嗤う悪魔が映った。背後から迫ってきていたのだ。その個体は初めにデルフィアが弾き飛ばしたものだ。1人集団から離れたオリビアを狙ったのだろう。場所は悪く、デルフィア達の助けは望めない。


 気づいた時、彼我の距離は凡そ10メートル。飛来してくる悪魔は数秒と経たずに距離を詰め、接触してくるだろう。



「あっ......!」



 後ろに下がろうとして足がもつれ、しりもちを着いた。


 怯え、震え、絶望するオリビアを見て、悪魔は更に口角を釣り上げた。


 武器を手に取ろうとしたが、震えて動けない。今まで身に付けてきた事を何一つ出すことが出来なかった。


 足に力が入らない。もはや逃げる事すら出来なかった。


 もう間もなく悪魔の手がオリビアに届いてしまう。



 死──



 その単語がオリビアの脳裏に過ぎる。



(助けてララ......!)



 オリビアは叫んだ。声にならない叫びは心の中だけで響く。ぎゅっと、強く分体を抱きしめた。


 次の瞬間、迫り来る悪魔を覆うかのように、オリビアの前方に銀色の球体が作られた。


 オリビアは咄嗟に頭を庇う。何かしらの攻撃かと思ったのだ。しかし、オリビアに影響は無かった。むしろ優しく守っているようにさえ感じられた。


 銀色の球は爆発したかのように作り出され、そして煙のように忽ち消える。晴れた時には悪魔の姿は消えていた。何一つ痕跡を残さず、消え去ったのである。


 それは小さな、オリビアの腕に抱かれているスライムよりも更に小さなスライムによる攻撃だった。オリビアのポケットに隠れていた分体が飛び出し、《溶解液》を放っていたのだ。


 その分体は宙を舞ってオリビアの前に落ちた。地面をピョンピョンと跳ねる様から、悪魔を倒すことへの余裕さが透けて見える。どうやら小さい割に中々やるらしい。



「ララ......」



 オリビアは大きい方の分体を強く抱き締めた。柔らかなスライムが抱擁を優しく受け止めてくれる。


 怖かった。殺されると思った。心臓はバクバクと鳴っており、呼吸も荒くなっている。平常心で居られない。恐怖が身を侵食していた。


 分体ではあるものの、ララを抱き締めると恐怖が和らいだ。ララは非常に柔らかく抱き心地が良い。そして何より、安心感があった。



(私には、ララが付いている)



 頭の中でその言葉を反芻させた。繰り返す度にララの存在を意識し、身の内から力が溢れてくる感覚がする。身体の震えは収まっていた。足も手も動かせる。


 オリビアは目を瞑り、今すべき事を考えた。自分が出来ることは何か。やらなければならない事は何か。


 このまま何もせず、静観に徹していればデルフィア達は殺されてしまうだろう。信じたくないが、それは事実である。人間では勝てない相手が存在するのだ。認めざるを得ない非情な現実であった。


 人では勝てない相手。人ならざる者ならば勝つ事もできる。


 自分には彼女達を助けられる力がある。この危機を解決出来る絶対的な力があるのだ。ララならばこの場にいる悪魔くらい余裕顔で片付けられるだろう。


 そんな自分が、この場から逃げていいのだろうか。


 逃げ出していいのだろうか。


 ここで逃げて、冒険者になるという夢が果たして叶うのだろうか。


 否。この先ずっと逃げる選択肢しか取れなくなる。それは望んだ冒険者像ではなかった。



「私は、冒険者になりたい」



 己を鼓舞するように呟く。


 オリビアはララの力を使う事に躊躇いを感じていた。元々己が持つには分不相応な力。そんな力を振りかざすことに抵抗があった。


 謙虚な振る舞いをしようとしていた訳では無い。目立ちたくないという気持ちもあったが、それだけで躊躇っていた訳では無い。ララはきっとそう勘違いしているだろうが、本音のところでは違っていた。



 オリビアが躊躇う理由の大部分は劣等感。ララの後ろに隠れる続ける事が嫌だった。せめて横に並んで戦いたい。そんな自分勝手な感情で抵抗していたのだ。



 しかし、結局ララが居なければ自分は冒険者になれない。その存在に甘えなければ冒険者にはなれないのだと理解していた。


 故に考え方を改めた。ララに頼る事は恥ではない。最悪なのは、ララという力を持っていながら、それに甘えていながら、窮地からは逃げるということ。甘えるなら逃げるな。胸を張って立ち向かえ。臆すな怯むな。前に出て戦え。



 そうでなければ、憧れる冒険者には到底なれないから。



 オリビアは立ち上がった。目を擦って涙を拭う。開いた時には覚悟を決めた目をしていた。


 そして歩き出す。校舎の方向ではなく、悪魔達と交戦するデルフィア達の方へと。迷い無い足取りで、胸を張って前に進んだ。



「オリビア!?何をしているの!?早く逃げなさい!」



 デルフィアが逃げようとしないオリビアに気付き、止めるべく叫んだ。


 その言葉を聞きながらもオリビアは歩みを止めない。



「私は、今ここで立ち向かわなければ駄目なんです!」

「何を......ぐっ......!」

『俺と戦う中で余所見をするとは......あの餓鬼を殺せ!俺の戦いを邪魔立てする奴は許さん!』



 オリビアに意識を向けていたデルフィアが攻撃を受け体勢を崩した。間も無く立て直すが命を落としかねない隙だった。


 デルフィアが隙を見せた事に悪魔は苛立つ。そして叫んだ。オリビアを睨み付け、殺すようにと命令を下した。


 ランドア達と交戦中の下級悪魔1柱が命令に従い飛び出した。フィージャスが咄嗟に魔法を放つも、他の2柱がそれを阻害する。


 悪魔が高速で飛来する。先程よりも明確な殺意を持っていた。


 オリビアは目を瞑らない。



「ララッ!!」



 オリビアが叫んだ。叫んで呼んだ。自身に忠実な従魔の名を。


 


 悪魔の攻撃は、オリビアに届かなかった。


 突如として現れた人物に顔面を捕まれ地面に叩き付けられたのだ。その一撃で地面には小さなクレーターが作られる。長年学生達によって踏み固められた地面に罅が入っていた。そこから推測される破壊力たるや。人が耐えれるものでは無いだろう。


 下級悪魔は抵抗するかのように数回痙攣したものの、力尽きて消滅した。魔素で構成された悪魔特有の絶命を表す現象。叩きつけ、という一撃だけで下級悪魔を屠り去った。


 悪魔を滅した人物がゆっくりと体を起こす。砂埃が晴れ、その人の姿が見え始めた。



「おまたせ。ちょっと時間がかかった」

「ううん。ナイスタイミングだったよ──」



 煌めくような銀髪を靡かせた一人の少女。オリビアと顔立ちから身長まで瓜二つ。



「──ララ」

「にひひ」



 ララは歯を見せ、屈託のない顔で笑った。

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