どうしてもキミが好き

 昼休みの終わり近く、校庭でまぶしい太陽を見上げて目を細めた。5時間目の体育に備えて体操服姿だが、熱いし眠いし午後の体育はなかなか気分が乗らない。


「ねえヒロくーん」


 前を歩くヒロの襟足で細いくせ毛がふわふわと揺れるのを、猫じゃらしを狙う子猫みたいにうずうずと見つめながら、俺はその背中を呼び止めた。


「何よ」


 まだ何も言っていないのにヒロはちょっぴり不機嫌そうな顔をして振り向く。


「何でもう怒ってんの?」

「キョウちゃんがアタシをクン付けで呼ぶ時はたいていろくな事考えてないのよ」

「マジっ?」

「マジ。キョウちゃんわかりやすすぎ。で、何?」


 すっかり俺の行動パターンは読まれてしまっているらしい。ヒロの言う通り今俺が考えている事はろくでもない。


「一緒に体育さぼっちゃおう」


 ヒロの返事は待たず、俺はその手を引っ掴んで目的地とはてんで違う方向に足を向けた。


「ほらね、当たりでしょ?」


 呆れたようにため息を吐きながら、けれど反対する気もないらしいヒロはおとなしく俺に引っ張られてついてくる。


「だってさあ」

「アタシはいいけど、キョウちゃんのおバカな脳みそでも唯一なんとかなる体育をさぼっちゃっていいの?」

「俺の成績の事今更言ったってしょうがねえし」

「まあ、ね」


 体育一つが良かったところで俺の成績が進級に値するものになるわけでもなし、俺の学校生活はやりたい事をやりたいようにやる、というのが目的なのだからそれでいいのだ。最初から誰にも期待はされていない。こんな事を気にかけてくれるのはきっとヒロぐらいだ。そんな細やかな優しい心を持つヒロが大好きだ。

 繋いだままの手に少しだけ力を込めてキュッとすると、ヒロも同じように少しだけキュッとした。





 校舎の裏手側、人目につかない木陰に並んで座る。強い日差しは勢いよく茂る木の葉で優しく遮られ、時折爽やかに駆け抜ける風が心地良い。


「絶好のさぼりポイントね」


 気持ち良さそうに両腕を空に伸ばしたヒロは、風に揺れる木の葉の間からちらちらとこぼれ落ちる木漏れ日できらきらと光ってすごくきれいな絵みたいだった。ヒロの見た目を表す形容詞は一般的には「格好良い」なのだと思うけれど、俺の中では「きれい」だ。内面も反映された結果かもしれないが、それが一番しっくりくる。こんなことヒロに言ったら怒られそうだから内緒だけど。


「ねえ、ヒロ。俺の恋人になるって話、考えてくれた?」


 そう言ったらヒロは変な声を発して慌てた。あの話はなんとなく流されて、それ以来になっている。たぶんもうヒロの中では過ぎた話になっているのだろう。


(だけど俺は本気なんだ)


 どうしてもヒロの事が好きで、いつだってヒロの事しか考えていない。ヒロも俺を好きになってくれるようにいつも願っている。


「か、考えておくなんて、一言も言ってないわよ」


 多分俺の本気にヒロは気付いている。


「そんな申し訳なさそうに言われたらちょっと傷つく…」


 気付いていて、あえて考えないようにしているのだろう。それはつまりヒロの方は俺に対して友情以上のものを持っていないということだ。わかっているけど俺はそれが少し切ない。


「ごめっ…キョウちゃんの事は好きだけど、恋人とかって男同士でそんな事…」

「ヒロはオカマとかって言われるの嫌いだもんね。わかってるよ、俺バカだけど、たぶんそういうのってヒロのコン…なんとかってので、ダメなんだろ?」

「あー、コンプレックスね」

「でもさ、ヒロ。オカマとホモは全然別ものなんだってよ?」

「キョウちゃん、そんな事力説されても…。アタシだってそんなことはわかってるけど、世間一般の目はだいたい同じじゃない。キョウちゃんとつき合ったりしたら、ほらやっぱりって思われるのよ?」

「うーん、難しいなあ」


 頭の中がうわーっとなってきたので俺はごろんと仰向きに倒れて空を見上げた。青い空と白い雲と緑の木の葉。そんな単純な視界で心を落ち着ける。


 これまでヒロの心を傷つけてきた奴らを全員殴り飛ばしてやりたい。

 だけどそんな繊細なヒロが俺はたまらなく好きなのだ。

 俺はヒロを傷つけたくはない。なのに恋人にしたいと思う。矛盾する二つの思いが俺のおバカな脳みそでは処理しきれない。


「だったらさー、ヒロくん」

「今度は何ろくでもない事考えてんのよ」

「恋人にならなくてもいいから一回だけキスして」


 ヒロの体重を支えているヒロの腕をぐっと掴んだ。


「な…に言ってんのよ…」


 体勢を崩したヒロは俺の上に倒れそうになりながら大きく目を見開いた。


「ヒロがしてくれなかったら俺がしちゃいそうだもん。ヒロは女側の立場になるの嫌なんだろ?だったらヒロがして」


 ねだるようにヒロの目をじっと見つめて、それから誘うようにゆっくりと目を閉じる。

 ヒロはしばらく動かず、言葉も発しなかったけれど、俺はただじっと待つ。ダメならダメで仕方がないと思いながらも、期待で目が開けられなかった。


「…ずるいわ、キョウちゃん」


 やがて小さな声でぽつりとヒロが呟いたかと思うと、熱く柔らかい感触が俺の唇を覆った。

 まさかの感触に驚いた俺は目を開けてヒロの顔を見ようと思ったのだけれど、予想外に深い本気のキスに溺れてしまって叶わなかった。

 どんな顔で、どんな思いで、俺にキスしてくれるのか、確かめたかったのに。


(ずるいのはどっちだよ…)


 永遠にも感じられる長い恍惚の時間が終わる。ヒロの唇が離れ、ようやく俺が目を開けられる状態になると、ヒロは目を逸らして体を起こし、さっきまでと同じ座り姿に戻る。

 くせっ毛の間からのぞく耳が真っ赤に染まっていた。


「ヒロのキスってすごく男らしいのな。超気持ち良かった」


 放心状態で感想を述べるとヒロは「バッカじゃないの」といつもの調子で怒った。


「ねえ、もう一回して」

「一回だけって言ったじゃない」

「えー、じゃあ今度して」

「だから一回だけだって…」

「ヒロのケチー。ケチんぼー」

「もうほんと、あんたって人は…」


 ヒロは呆れたように首を横に振る。こうやっていつもヒロはバカな俺を許してくれるのだ。もう一回のキスはしてくれなかったけれど。




 だから俺はどうしようもなくヒロが好きなんだ。



<終> 

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