キミからのメール
英語の授業中、先生の読む英文を聞きながらうっかりウトウトしかけていたアタシは、耳慣れたメール着信音にビクッと肩を震わせた。
(ヤバッ、音切るの忘れてたわ)
おい誰だと先生の視線がこちらに向くのを、アタシじゃないですよという顔でやり過ごすと、スマホの入った学ランのポケットに手を突っ込んでマナーモードに切り替える。
(ったく、誰よ、こんな時間に)
授業中だという事はみんなわかっているはずだ。だから普段は音を切っていなかったとしても困る事なんてないのに。
もしかしたら家からの火急の用事だったりするのだろうかと少し心配にもなるけれど、ここで堂々と見るわけにもいかない。
誰からだろうとどんな内容だろうと、どのみち授業が終わるまでは確認のしようがないのだから、授業に集中しようと姿勢を正す。
しばらくすると再びポケットの中のスマホがメールの着信を知らせる。続けざまに3回。音はしないけれどバイブの軽い振動が太ももの辺りに伝わった。
(何なのよ)
さすがに気になって集中できず、アタシは大きくため息をついた。
授業終了まであと10分。
小さくもどかしく動く腕時計の秒針を馬鹿みたいにくるくると目で追っていた。
教室から先生が出て行くと同時にポケットからスマホを取り出して見た。
合計4件の新着メール、その差出人は。
「はあ!?あんた!?」
発信元はまさかの隣の席。睨みつける勢いでキョウヤを見れば、ヘラッとした顔で嬉しそうに笑っている。
「授業中に何してんのよ」
「だってヒマだったんだもん。先生何言ってるかわかんないし」
怒られたキョウヤは拗ねたように口を尖らす。
「それにさ、ヒロ眠そうだったから起こしてあげよっかなって。音が鳴るとは思わなかったけど」
「大きなお世話よ。っていうか、隣なんだからちょこっと肩でも叩いてくれればいいじゃない」
「ああ、なるほどね」
「なるほどって、ほんとにもうキョウちゃんは…」
この純粋馬鹿は本当にたちが悪い。根源にあるものがピュアすぎて愛しい。いたずらしてやろうなんていう気持ちは微塵もないのだから。
ため息と一緒に怒りなんて瞬時に抜けてしまって、笑みがこぼれる。
途端にまたヘラリ顔になったキョウヤは、早く見て、メール見て、と期待のこもった熱い視線を送ってくる。お座りしながら尻尾をぱたぱた振って一心不乱にご主人様を見つめるワンちゃんみたいで思わずきゅんとなる。こうしていつもアタシはこいつに振り回されるのだ。世話好きなアタシの庇護欲をどこまでも駆り立てる。
キラキラした目に見つめられながら、一体何を送ってきたのかとアプリを開く。
『おーい、寝ちゃダメだぞー』
初めは本当に居眠りするアタシを起こそうとしてメールしたらしい。
『ごめんね、音鳴っちゃった』
二つ目は謝りの言葉。
そこまでは良かったのだけれど。
『ヒロは俺の嫁。あいしてるー』
『横から見てると耳からうなじの辺りがたまらなくそそる。好きだっ!』
残り二つはひどい。
「本当に暇を持て余してたのね」
「見た?俺の心の叫び」
「見たわよ、変態」
「えー、なんでだよ」
キョウヤは右手を伸ばして、先ほどメールでそそると言っていた部分にそっと触れた。そしてくるりと髪に指を絡める。
くすぐったくてアタシは肩を窄めた。
「この辺の感触が好き。たまんね」
「ばーか」
お返しにほっぺたをぐにっとつねってやった。
「いひゃいよ、ひおくん」
思いのほか柔らかくてすべすべだ。お金持ちだから使っている石鹸とかが庶民のアタシとは全然違うのかもしれない。
ほのかに赤くなったそこを指先でそっと撫でるとキョウヤはンっと妙な声を出す。
「ヒロの手、気持ちいい。あったかいし」
「あ…そ、そう…?」
心地良さげにアタシの手に頬を擦り寄せてくるキョウヤを見て思わず胸をときめかせるアタシだって十分変態なのかもしれない。
がっくりへこんだアタシの顔を、キョウヤはどうしたの?と心配そうに覗き込む。
「なんでもないわ。世も末だなと思っただけ」
「は?」
「あのね、授業中にメールはやめてくれる?」
「ダメ?」
「ダーメ。授業に集中できないから」
「真面目だね」
「アタシにはあんたにも教えなきゃいけないっていうプレッシャーがあんのよ。自分がわからないものは人に教えられないんだから」
べつにそんなに深くその事にとらわれているわけではないけれど、わざと恩着せがましく言ってやる。すると途端にしゅんとなったキョウヤは小さな声でごめんなさいと呟いた。
「感謝してます、ヒロくん」
「わかればいいのよ」
ぐりぐりと頭を撫でれば嬉しそうに笑う。
そんなキョウヤをアタシはとても可愛いと思っているのだ。
ほんの一瞬だけ『アタシも好きよ』なんていうメールを返信してやろうかと思ったけれど、すぐに思いとどまった。
(なに、流されかけてんの、アタシ)
開きっぱなしだったアプリを閉じ、スマホをポケットにしまった。
<終>
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