いっしょにいこう

月之 雫

いっしょにいこう

 閉店時間が過ぎると、俺は猛スピードで、けれど几帳面に後片付けを終えた。

「お先~」

 まだフロアのモップがけをしていたウエイター仲間の諒太郎に声をかけて店を出ていく。

「早いね、晋平さん。今日はデート?」

「そう。七夕だからね」

「晋平さんってほんとイベントははずさないね」

「まあね。じゃ、あとよろしくね」

「はーい」

 クローズドの札のかかったガラスの扉を押して出ると、店の前の植え込みに腰掛ける大きな影がすぐに目に入った。

 暗いけれどすぐ分かる、その熊のような大きなシルエットは、俺の恋人久間清春のもので間違いない。

「おまたせ」

 俺の姿を見て立ち上がった久間は、平均的男子の身長である俺よりも頭一つぐらい大きい。

 スポーツインストラクターをしている久間は、縦だけでなく横にもがっちりと大きく、名前の通りまさしくクマさんのようである。

 俺は駆け寄って、そのたくましい体にぎゅっと抱きつく。

「お疲れ」

 ぽんぽんと頭をなでられる感触に満足してすぐに離れた。

 人一倍シャイな久間は往来でこういうことをするのを嫌がる。が、はっきりきっぱりとやめてくれとは言わないところが奥ゆかしくて可愛いのだ。

「ケーキ屋さんでも笹飾るんだな」

 久間は店の中に置かれた大きな笹と七夕飾りを見ていたようだった。

 七夕だからと、店長がどこかから調達してきたのだ。

「ケーキ屋に七夕ってミスマッチだよね。でもほら、うちの客は若い女の子がほとんどだから、短冊渡してお願いごとどうぞって言うと結構喜んで結んで帰るんだよね」

「へえ」

「せっかくだから俺も書いたよ」

「なんて?」

「それは秘密」

 立てた人差し指を唇に当てて笑うと、久間は不満げに俺を見た。

 別に内緒にするようなことではないけれど、そんな反応が見てみたかっただけだ。

「ちーさんは商売繁盛って書いてたよ」

「…あの人らしいな」

 ぷっと吹き出してにやりと笑うと、歯並びのいい白い歯列が唇からのぞいて、とても愛らしい。

 男らしくてたくましくて格好良く、およそ可愛いなんていう形容詞とは縁がなさそうであるけれど、俺よりだいぶ年下だからなのか、俺には久間が可愛く見えて仕方がないのだ。

「クマくんも書く?」

「いや、俺はいいよ」

 そうは言ったが、本当は書きたいに違いない。そういう奴なのだ。

 来年は家用に小さな笹をプレゼントしてやろうかなと思いつつ、想像したらパンダみたいで笑えた。やっぱりやめておこう。

「じゃ、行こっか」

「裏に車停めてあるから」

「うん」

 近くのコインパーキングに、久間の愛車である深緑色の大きな四輪駆動車があり、俺たちはそれに乗り込む。

 おそらく久間が迷彩服でも着ていれば軍用車に見えるに違いない、というほど久間にはお似合いの車である。

 車自体にさほどこだわりがあるわけではないらしいが、自分が乗ってゆとりのある車を探すとどうしてもこの手の車になってしまうらしい。

「どこいくの?」

「今日はちょっと山の方まで」

 運転するのは好きなようで、よくこうしてドライブに連れていってくれる。

 公共の乗り物は自分の規格に合わないのが苦痛なんだそうだ。

 逆に公共の乗り物に乗り馴れてしまっている平均サイズの俺は、車を持つ必要性のない生活をしているため、未だ免許すら持っていない。

 それでも男子ゆえに車への興味はそこそこにあり、助手席といえどもこうして道路の上を自在に走っていくのは心躍るものである。

 それに、特にこんな夜のドライブは、車内の密室感が強くて良い。

 久間と二人きりであるこの空気感がたまらない。

 シフトレバーを握る手に俺の手をそっと重ねても、困った顔をされないのが良い。

 照れたようにはにかむ横顔が最高だ。

「大好きなクマくんとずっと一緒にいられますように」

「え?」

「って書いたの。さっきの短冊の話」

 久間は照れて笑った後、「そんなこと、星に願わなくても」と小さくつぶやいた。

「俺に願えばかなえてやる?まあいいじゃん、それはそれでさ」

 イベントごとは余すことなく楽しむのが信条だ。

「うん、ちょっと、うれしいかも」

「でしょ?」

 久間がそう言ってくれると、俺もうれしい。 



 しばらく峠道をぐるぐるとまわると、展望台のようなところに到着する。

 さほど標高の高い場所ではないが、街が一望できるようになっていた。

 車を降りた俺たちは、真っ暗な中、スマートフォンの明かりを頼りに一番端まで歩いた。

 転ばないようになのか、はぐれないようになのか、珍しく久間の方から手を握ってくれるのに胸をときめかせてついていく。

 視界が悪いせいか、ゴツゴツと分厚くあたたかい久間の手の感触が妙にリアルに感じられた。

 背筋がぞくぞくする感覚。

 逆の手も重ねて、指先で久間の手をなぞった。

 くすぐったかったのか、ぴくりと反応しておきながら、何もなかったかのように握る手に少し力を込める久間に、胸がきゅんとなる。

 一番見晴しのいい場所に着くと、明かりを消した。

 ぼんやり見えていた久間の顔は見えなくなり、小さな街の光だけが眼下に広がった。

 それはそれで綺麗なのだけれど、久間が見えないのはちょっとつまらない。

 暗闇に目が慣れるのを待って、俺は久間の横顔を見つめた。

 久間は空を見上げていた。

 つられて俺も上を向くが、暗闇ばかりで何も見えない。

「何?」

「見えないなと思って。…天の川」

 久間は小さくため息をついた。

「今日は曇ってたからね」

 七夕だから天の川を見ようということで、今日ここへ連れてきてくれたのだろう。

 残念ながら昼間から曇っていたが、雲の隙間から少しでも星が見られれば、なんて思っていたのかもしれない。

「でもクマくん、下は綺麗だよ。ネオンの川だけど」

 小さくなった街の光が星空のように見えなくもない。

 慰めるためではなく俺は心の底からそう思ったのだけれど、久間のテンションは落ち込んだままだった。

 しゅんとなった横顔が可愛くて仕方がない。

 なんとかしてあげたい、そういう気にさせる。

「この時期はほら、梅雨だからどうしてもね。だからクマくん、旧暦の七夕にもう一度来ようよ。そのころならきっと、いい天気だよ」

 子供の頃、七夕に天の川なんて見れたことがなくて、どうしてこんな雨の時期に?と親に訊ねたことがあるのだが、その時に旧暦の7月7日は真夏だからねと教えられた記憶がある。

 旧暦の七夕が何月何日になるのかなんて知らないが、きっと梅雨は明けているだろう。

 俺の提案に久間は見る見る顔を輝かせ、ぎゅっと俺を抱きしめた。

 言葉にすることが苦手な彼の、精一杯の喜びの表現だ。

 俺は得意げに、久間の大きな背中をあやすように叩いた。

「ちゃんとてるてる坊主を作ること。いいね?」

「え、俺が?」

「もちろん。だって天気悪かったらクマくんしょげちゃうでしょ」

 単なる俺のいたずらだったのだけれど、真面目な久間はテンションが下がっていた今の自分を反省したのだろう、「わかった」と大きく頷く。

(わ、ほんとに?)

 部屋にてるてる坊主をぶら下げている様を想像して笑った。やばい、可愛すぎる。

 あの大きな手でどんな表情のてるてる坊主を作るのか、これは前日に抜き打ちで部屋に押し掛けるしかないだろう。


 背伸びをして、唇を重ねた。


 今俺は、この不器用なロマンチストが愛しくて仕方がない。



<終>

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