第2話 女学生堂と駄菓子屋

「ねえ、帰りに女学生堂に寄らない?」

「いいわね、わたし新しいレターセットがほしいと思っていたの」

「お姉さまがいるひとはさすがね。レターセットの便箋なんて、一度で使い切ってしまうのでしょう?」

「あら、からかって。いやなひとね」

 わたしたちは四人で連れ立って、学校の門をくぐり、女学生堂までの道のりをおしゃべりとともに歩く。

 女学生堂は学校と駅のほぼ中間にある文具店で、こぢんまりとしたお店のなかに、レターセットや香り袋、千代紙のセットなどが並んでいて、放課後はいつもわたしたちのような女学生で賑わっていた。文房具を売っているお店はほかにもあったけれど、抒情画の表紙が美しいノートや、ちいさな詩の添えられた栞などといった、乙女心を満足させるアイテムを求めることができるのは女学生堂くらいのものだった。

「わたし、ほんとうに××美さんが羨ましくてよ。お姉さまが学舎にいらっしゃるんですもの」

「××江さんのお姉さまは、去年卒業されたのだったわね。いまでもお手紙は……」

「ええ。けれど前までと同じようにとはいかないもの」

「でも、××江さんには妹だっているじゃない。一年生の可愛い子」

「今年の一年生は、可愛い子が多いわね。わたし、出遅れたわ」

「ショウコさんには、妹候補いて?」

 三人の目が、わたしに向けられた。わたしは困ったなと思いながらも微笑んで「いいえ、いないわ」と答えた。

「ショウコさん、結局お姉さまもつくらなかったじゃない? わたしたち、来年には最上級生でしょう。もう残された時間はそれほどないのよ」

「いやだわ、そんな言い方」

「あら、わたし真面目に言っているのよ」

「わたしももったいないと思うわ。二年にいる妹――血のつながった方のね――に聞いたんだけれど、ショウコさん下級生から人気あるみたいよ。手紙もらったことも、あるのでしょう?」

「それほんとうなの、××乃さん」

 女学校には「エス」という、独特の文化のようなものがある。

 たいてい上級生と下級生との間で結ばれる、お友だちとも恋人とも違う特別に親密な関係にあることが、そう呼ばれた。誰が誰に手紙をわたした、とか、誰と誰がエスらしい、とか、女学生の間で交わされるゴシップの多くが、おおよそエスに関するものだった。ときどき、誰々は特定のお姉さまがいるのに別の上級生と「うわき」したらしい、などというあまり穏やかでないうえに、嘘かほんとうかわからないようなものも登場したりする。

「ショウコさん、チャンスじゃないの。それとも、誰ともエスの関係にはならない――なんていう信念でもお持ちだったかしら?」

 わたしは慌てて、首と手を横に振った。

「いいえ、そんなことはないわ。どの子も可愛いものだから、なかなかひとりに絞れないだけよ」

「まあ! 人気のあるひとは違うわね」

「ちょっとおやめなさいよ、そんな言い方」

 わたしは皆が言うほど人気のある上級生というわけではなかったけれど、下級生からの手紙が下駄箱に入っていたことは確かに何度かあった。

 けれどそのすべてに、やんわりとした断りの返事をしている。それはわたしが一、二年生だったころに、上級のお姉さま方からお手紙をいただいたときにしていた返事とだいたい同じだった。

 「エス」という関係に関心がないわけではなかったけれど、きっとわたしはこれまでお姉さまを持たなかったように、妹を持つこともないのだろうと思っている。


 女学生堂のちいさな店内は、セーラー服であふれかえっていた。わたしたちと同じ学校のひとがやっぱり多いけれど、このあたりではあまり見かけない制服のひとたちの姿も、いくらかあった。休日前の放課後だからかもしれない。女学生堂近くの道路に駐車している車の数も、いつもよりも多い気がした。


 ――あなたは何にするか決まって? わたしはこの便箋にするわ……。

 ――すみれ色とさくら色、どちらがいいかしら……。


 並んでいる品物を眺めていると、左右の耳から、たくさんのおしゃべりが頭の中に入り込んでくる。


 ――××子さんからノートを頼まれていたのよ。淳一先生のがいいんですって……。

 ――あの子、寄り道は禁止だものね。お母さまが……。

 ――あら、わたしの家だって車でなければだめだわ……。


 わたしや、わたしが特に仲良くしている級友たちは、家がそこまで厳しくなく、比較的自宅が学校に近いということもあって、女学生堂への寄り道は許されている。

 それだって事前に電話を入れなくてはだめだけれど、それでもわたしたちのような女学生はまだ自由にさせてもらえているほうだった。寄り道に限らず、少女だけで出かけること自体をよく思わない保護者や先生のほうが、ずっと多い。

 不自由だと、ときどきふと思う。なにがなんのためにわたしたちを不自由にさせているのかはわからなかったし、わかりたいと思ったこともなかったけれど。ページごとに違った花の挿絵があるノートだとか、毎月家に届けてもらっている数百ページの少女雑誌だとか、そういうちいさくてささやかなもののなかでだけ、わたしたちは自由を生きていた。

 女学生堂では、ちょうど切らしていた鉛筆を三本だけ買った。たっぷりと少女の世界に浸ったあとは、お店の出口で「ごきげんよう」を交わして、それぞれ駅に向かうなり、迎えの車を待つなり、する。わたしは「家の用事で」と、誰にということもなく断って、家のある方角とは反対の道に通じる角を曲がった。級友たちの輪から抜けてひとりになると、周囲が急に静けさをおびたかのように感じる。小瓶に入ったときの感じと、ほんのすこし似ているような気がした。


 足をのばした先は、駄菓子屋だった。店構えは女学生堂よりもさらにこぢんまりとしている。小学生くらいの男の子がふたり、お店の前の道路で遊んでいた。さすがにわたしのような、女学生の姿はここにはない。

「こんにちは」

 声をかけてから、色々な大きさの箱や保存瓶が雑多に並んでいるのを、ゆっくりと見まわす。

 級友たちが知ったら「お菓子なんて、デパートで買ってもらいなさいよ」と眉をひそめるか笑うかするかもしれないけれど、わたしは駄菓子屋という場所がすきだった。そこで売っている、素朴なお菓子たちも。デパートで売っている気取ったお菓子は確かに美味しい。けれど、ああいうものは、手土産としてや家族との贅沢のためにおとなが買うためのもので、少女が自分のお小遣いから買い求めるのにはふさわしくないような気がして、わたしはここに来ることを選んでしまう。女学生堂に寄ることは家に連絡してあっても、駄菓子屋にも寄るとまでは言っていないから、これは誰にも内緒の寄り道だった。

 お店番をしているおばあさんは、無口で笑わないひとだった。前に一度、子どもに笑いかけているところを見たことがあるから、無愛想なのはわたしにだけなのかもしれない。はじめて訪ねたときに、ついいつもの癖で「ごきげんよう」と挨拶をしたら、怪訝そうな顔をされてしまったことがある。それ以来は「こんにちは」と言うように気をつけていたけれど、品物を渡してくれるときの「ほら」と、わたしがお礼を言ったあとの「ああ」以外の言葉をもらったことは、いまのところない。

「これ、みっつください」

 いただけますか、と言いそうになって、寸でのところで言いなおす。おばあさんは四角い保存瓶の中からとりだしたお菓子を、油紙につつんで「ほら」と言う。

 お財布を取り出すのに鞄に手を入れたら、指先が一瞬だけ、小瓶の冷たさに触れた。


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