第39話 南と北の空

 南の上空にはハーピィーに両肩を掴まれたフォクシーの姿が見受けられた。鋭い眼光で獲物を物色する狩人のような眼で地上を見渡している。


「フォクシーさま、ユーゲニウム国の古城が見えて参りました」

「うむ、まさか上空から直接王を取りに来るなど、無能な連中は想像もしておらぬじゃろうな」

「さすがはミラスタールさまですね」

「妾の夫じゃからの」


 ユーゲニウム城が真下に差し掛かると、フォクシーは胸元から煙管を取り出し煙を吸い込む。それを吐き出すと同時に闇狐を喚び出した。


 黒い煙が狐を象り、無数の闇狐へと変化していく。

 プカプカと煙のように宙を漂う彼らに指示を出すと、フォクシーはドラゴンの如く一際巨大な闇狐の背へと飛び降りた。


「行って参る」

「いってらっしゃいませ、フォクシーさま」


 ご武運を……と部下のハーピィーが口にしなかったのには理由がある。

 フォクシーにとってこの程度のことは危険でも何でもなく、むしろ容易いことであった。


 そんな主に対し、ご武運をという言葉はフォクシーに対する暴言と心得ていたからだ。


 群れを成した闇狐を引き連れ町に降り立ったフォクシーは、微笑を浮かべて「殺せ……」と呟く。


 最小限の兵を残して出払っていたユーゲニウム兵たちは、突然の奇襲に為す術もないまま噛み殺されていく。

 その中を悠然と歩く彼女が城門へ向かって扇子を仰げば、風の爪が門を容易く破壊する。


「なな、なんだ貴様っ!?」

「どこから入った!」


 突然門が破壊されたことで、驚いた兵が白煙の中からぞろぞろと姿を現す。その手には鋭利な得物が握られている。

 しかし、フォクシーは門番の言葉に耳を傾けることなく小さな欠伸を一つし、「邪魔じゃ」と扇子で仰ぐ。


 刹那の時に肉塊と化したそれらに眼もくれず、彼女は王の間へと足を運ばせた。



 女衒のフォクシーがユーゲニウム城に侵入を果たした頃、北の上空にもハーピィーに運ばれた選抜部隊の姿があった。


「俺たちは町に残った兵どもの始末をする」

「じゃあリリスたちはその間にバカな王をぶち殺しに行くわ♪」

「ふうう。久々の獲物……そそりますこと♡」


 大きな蝙蝠羽を広げて無邪気に笑うリリスと、彼女の足首に掴まって恍惚の表情を浮かべるレネア。そんな二人がアルスタルメシア城の頭頂部へと降り立った。


「あらあら、ウルフボーイも久々の狩りにはしゃいでいらっしゃるわね♡」


 レネアが見下ろす視線の先には、選りすぐりの人狼たちが獣の姿と化して暴れ回っている。人狼ならではの俊敏性と膂力を活かし、目まぐるしく町中を移動しては力任せに切り裂いていく。


「さすが魔王軍……やるわね」

「見事な手際ですこと」


 ウルフボーイたちの働きに感心するリリスは「あっ!?」と何かを閃いたように口にする。


「ねぇレネア……リリスとどっちが先に王を見つけて狩れるか勝負よ! 勝った方がミラスタールさまと先にエッチなことをできるって権利を賭けてね♪」

「それは名案ですわね。わたくし絶対負けませんわよ」

「リリスだって!」


 クスクスと笑い合ったアラクネとサキュバスの二人は、まるで遊びに興ずる少女のように爛々と瞳を輝かせていた。


「じゃあ、せいので開始ね」

「望むところですわ」


 悪魔の翼を広げたリリスと蜘蛛の糸を垂らしたレネアは、互いに逆側の窓から城内へと侵入していく。


「な、なんだお前……どこから入った!」

「ここをアルスタルメシア城と知っての侵入か!」


 予期せぬ魔族の来訪に、城内を警備に当たっていた兵たちの怒声が嵐の如く鳴り響くと、耳をつんざくほどの足音が津波のように差し迫る。


 しかし、夜のような翼を有する彼女が慌てることはない。微動だにすることなく自身を取り囲む兵たちを「一二三ひふみ……」と愉快そうに数えて肩を震わせる。


 自らの乳房を両手で揉むような仕草をとり、甘えたような声音で問いかける。


「みんな……リリスのお願い……聞いてくれるわよね?」


 睥睨するリリスの視線と彼らの目線が重なると、男たちは何かに取り憑かれたように目尻が垂れ下がる。熱に浮かされたように頬に赤みが差し、肩の力が抜け落ちた。


 サキュバスお得意の魅了チャームである。


「なんなりと……ご命令……ください」

「じゃあとりあえず、王さまのところに案内してちょうだい。途中で出会った兵は……もちろん殺すのよ♪」

「畏まり……ました」


 屈強な奴隷たちを従え、彼女は歩みを進めた。長く伸びた廊下の曲がり角から見張りの兵が飛び出して来ようとも、その足は止まらない。


 彼女に骨抜きにされ、正気を失った男たちが一斉に襲いかかる。仲間だと信じて疑わなかった者たちに体躯を貫かれた男が最後に見せた相好は……目を覆いたくなるほどのものだった。


 男たちに先導されるまま城内を練り歩く彼女の姿を何かに例えるとするならば、それは無数の働き蜂を従えた女王蜂である。

 極上の蜜がこの先に待っている。考えただけで気分は高揚し、自然と鼻唄なんぞ口ずさんでしまう。


 意匠が施された黄金の観音扉を勢いよく開くと、先程までの高揚感も楽しかった気分も蜘蛛の子を散らすように霧散する。


「あら、遅かったですわね。リリス」

「…………」


 ムッと口を真一文字に結ぶリリスは、目の前の光景にわずかな苛立ちを募らせた。


 本来はきらびやかなはずの王の間が、百年間誰もここに足を踏み入れることがなかったのではないかと錯覚してしまうほど、視界一面を覆い尽くし広がる蜘蛛の巣。


 巣には王と思わしき老人の姿もあり、かろうじて息をしている。

 が、何らかの毒物を注入されたのではないかと思うほど、老人の焦点は定まっておらず、譫言のように何かを口にしていた。


「賭けはわたくしの勝ちのようですわね」

「……まだ死んでないじゃない! 殺すまでが勝負って言ったでしょっ!」

「巣にかかった時点で死んだも同然ですわ。巣にかかった獲物をわたくしから奪える者などいないのですから」


 悔しいと地団駄を踏んだリリスは、八つ当たりをするように細くしなやかな鞭のような尻尾で働き蜂たちの頭部を切り裂いた。そのまま蜘蛛の巣まみれの王の間に足を運び、ドスンッと不機嫌な面持ちで玉座に腰をおろす。


「本当に役立たずな王なんだからっ。これで王さまなんて務まるのが信じられないわよ。人間て本当バカッ!」

「同感ですわ。唯一素晴らしき人間の王はミラスタール・ペンデュラムさまのみ……ですもの♡ うふふ」

「そ・う・ねっ!」



 難なくアルスタルメシア王の首を取ることに成功した彼女たち。

 そんな彼女たちから少し時間を遡った東の空には、飛行モードで風を切るミラスタールの姿があった。

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