第20話

「全軍!整列ッ!」

「応ッ!」

 平原に男たちの野太い声が駆け巡る。同時に鐘の音が唸り声を上げ、兵士らの足音と鎧の金属音が合唱する。

 曇天の下、二つの山を背にした二つの大軍が横に広がって向かい合っていた。

 一定の距離が保たれた両者の間には殺伐とした空気が漂っている。当然だ。これから殺し合いを始めるのだから。

 兵士たちが武器で地面を叩き始める。ドッ、ドッ、ドッと大地がゆさぶられ、心の臓を鼓舞する。熱気に包まれた肌で汗が珠に変わって滑っていく。


 陣営の先頭には四頭の馬が繋がれた馬車があり、三人の人影が見える。

 御者として中央に立つは浩源ハオヤン、矛を携えて右に立つは勇豪ヨンハオ。そして左に立っていた子佑ジヨウが叫ぶ。

 "いざ!尋常にッ!"

 すると敵陣営から

 "勝負ッ!"

 と聞こえた。

 それを口火に、兵を率いるように馬車が駆け出す。兵士たちも一斉に雄叫びを上げながら走り始める。

 たちまち戦場は土煙に包まれ、剣戟音が咆哮す。

 泥と汗と、そして血にまみれたいくさの火蓋が切られた。





 そんな戦場に少女の小さな体が垣間見える。

 少女、美琳メイリンは一番手として男たちの肉壁に迷わず突き進む。

 隣国の兵士らは常の戦場では有り得ないその存在に気づき、驚き、そしてせせら笑う。

 敵国はか弱い少女に不似合いな鎧を着せて何をさせようというのか。そんなのに頼らないといけない程に人手に困っているのか。

 そういうことなら可愛がってやろう、とにやけ顔の敵兵らは、速度を緩めて少女を囲まんとする。


 その油断を美琳は見逃さない。

 美琳は手戟てぼこを一人の首に素早く掛け、あっ、という間も与えずに手前に引き抜く。

 彼女の刃は肉に喰らいつき、骨まで噛み千切る。

 男の首からは大量の血飛沫ちしぶきが弾け、少女の白肌を紅くいろどる。

 それは普通の少女なら一生味わうことのない感触だろう。不快で、無慈悲で、恐ろしい、の刻印。

 だが美琳の顔は微動だにしない。邪魔そうに男の体を転がすと、次の標的を見定めんとこうべを巡らす。

 敵兵らは度肝を抜かれる。あんな細腕が、まさかそんな。

 予想だにしなかった光景に一瞬、竦んだ。が、すぐさま武器を構え直し、勢いよく飛び掛かった。

 どうせまぐれだ。知っていればやられるはずない。そこは兵士としての矜持があった。

 されど彼らは等しく同じ末路を辿ることとなった。


 瞬く間に美琳の足元に肉塊が貯まった。

 近くにいた敵兵たちは異常事態を察知し、同時に少女を放っておいてはまずい、と本能が叫んだ。

 彼らは傍にいた雑兵の相手を放り出すと、手汗で冷たくなった武器を固く握って彼女の元へ駆ける。

 急に相手のいなくった兵らは目を瞠った。だが敵の矛先を見るときびすを返し他の敵を求めて戦地を走った。

 なにせ彼女に助けは不要だから。




 三十人余りの敵兵を相手取ることになった美琳。さしもの彼女も一度に捌ききれる数ではない。

 一人を手戟で刈った傍から、横、上、後ろ、とたくさんの武器が襲ってくる。剣が、げきが、弓が、少女だけを狙っている。そこにはもう、わらった顔などなかった。

 そんな猛攻を美琳は小さな体を活かして、避けては刈り、蹴飛ばしては刈る。武器が折れると落ちたのを拾いすぐに次を刈る。

 矢継ぎ早に美琳は動き続け、男たちは息つく暇もなかった。

 少女を倒すべく集った彼らが全滅するのは、時間の問題だった。

 そんな折、彼女に一瞬の隙が生まれた。

 血眼になった兵がそれに気づかぬはずがない。

「くッそがぁぁぁぁ!これで終われぇぇぇぇ!」

 兵は叫び、死に物狂いで斬り掛かる。

 これ以上少女との戦いを長引かせたくない、悪夢のような彼女から早く解放されたい。

 少女と刃を交えた男たちはそう一心に願い、実現すべく少女の体に武器を振るった。


 ずぶ、と少女の体に刺さる。

 一本、二本、三本……。

 針山のように次々と突き立てられていく。

 美琳メイリンは地に縫いつけられ、倒れ伏し、やがて動きが止まった。

 兵士らは肩を激しく上下させて、静かになった少女の体を見下ろす。

「……った、よな」

「ああ……やっと、終わった。化け物みたいな強さだったが、こうなっちゃおしま……ッ?」

「?どうし、た……は?ちょっと待っ、嘘だろ?」

 兵士らは目の前の光景におののき、膝が震えた。戦場の只中だと言うのに、腰が抜けて尻餅をしてしまう。




 目の前にいる少女が、蠢いている。だがは死の間際に見せる苦悶の動きではない。

 はっきりと、意思を持って、動こうとしている。

 倒れていた少女は自身の体に刺さった武器を掴むと、ぐっと力を込めて抜く。

 一本、二本、三本……。

 へたり込んだ兵士たちの足元に抜いた武器をカラン、と転がしていく。

 矛のせいで穴が開いた体にはもうすでに傷はなく、着物には返り血だけが染まっている。

 美琳はゆらりと立ち上がる。その顔に表情はない。

 無言のまま手戟てぼこを構えると、切っ先を敵兵に向ける。

「ば、化け物……本物の、化け物だ……」

 兵士たちは怯え、降参の構えを取る。そんな彼らの首すべてを美琳は無慈悲に刈り取った。

 切り離された首からは非難する断末魔がほとばしった。


 残されたのは、死体の山に立つ少女の姿だけだった。

 その異様な姿を目の当たりにした敵兵たちは近寄ろうとしない。

 あんな少女を相手にするくらいなら、普通の兵士の方がよっぽど良い。兵らは他の相手を探そうとその場を去っていった。

 そうして美琳は、騒がしい中で一人静かに佇むことになった。

「……あなたたちだって、あたしのことを殺そうとしたじゃない。なんであたしばっかり責められなきゃいけないの」

 美琳はぼそりと呟くと、血を吸って重くなった革鎧を脱ぎ去り、軽く着物を整え直す。そこでふと胸元を探る。

 美琳のてのひらには小さなお守りが握られていた。

 出発前にもらったときは、つぎはぎだらけでありながらどことなく清らかな装いだった。だが今や、血が滲んですっかりけがれていた。

「汚れちゃったなぁ……」

 と言いながら美琳がこすっても、染みは広がるばかりである。

 そこにぽつり、と透明な滴が落ちる。

 ぽた、ぽた、と増えていく滴に気づいた美琳が顔を真上に向けると、どぶねずみ色の空から雨粒が零れていた。


 雨は少女の血化粧を綺麗に落としていく。されど紅く染まった汚れを落とすことはない。

「……これで文生ウェンシェンに近づけたんだもの。あたしは、間違ってない」

 雨で冷えたお守りを美琳はぎゅっと握りしめた。

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