第7話

 田園風景では聞き慣れない、ガラガラと何かが転がる音がする。

 青々と茂った稲穂を尻目に手綱が繋がれた四頭の馬が畦道あぜみちを通り抜け、その後ろを四輪の馬車が進んでいる。


 中が見えないように板で覆われた馬車は、簡素でありながら匠の技によって仕上げられた一品であることがわかる細かな細工が見受けられた。

 馬車の周りには二十人程の護衛が付き従い、傍には馬車を上回る程の大男が並んでいる。田舎には不釣り合いな華やかな行列だったが、馬車は重そうに引きずられていた。


 ふいに大男が格子窓に向けて話しかける。

文生ウェンシェン様、乗り心地はどうだ……いかがですか?」

「……大丈夫です」

 答えた青年の声は、言葉とは裏腹に沈んでいた。大男は深くため息をつき、何か言おうとしたのか口を薄く開けたが、声が発せられることはなかった。


 仄暗い馬車の中では、豪華な黄色の着物を着て丁寧に髪を結い上げられた青年が格子越しに遠くを見つめている。

 青年は日焼けとあかぎれの目立つ手で膝を抱えて座り、零れ出ないように堰き止めながら昨日のことを思い出していた――――






「どういう、こと?婆様、そんな……嘘、だよね?」

「全て、事実でございます。文生様が王になることも、儂が文生様の母上を殺したことも」

 文生は頭がくらんだ気がした。

 身寄りのない自分を育ててくれた老婆が、まさかそんな。それにいきなり王になるだなんて。

 受け止めきれないことばかりでどうすればいいか分からず、立ち尽くすしかなかった。

 そんな文生の様子を老婆は予期していたのか、棒立ちの文生に手を伸ばす。だが文生はその手を振り払う。

「ッ!ずっと、騙してたのか?!酷いじゃないか!!」

 文生の大きな声が外にいた美琳メイリンにまで届き、彼女が慌てて中に入ってくる。

 そこでは肩を震わせながら顔を俯けている老婆と、憤怒の顔で老婆を睨みつける文生ウェンシェンに、それを無表情で見守る勇豪ヨンハオが見受けられた。


 美琳は緊迫した雰囲気にオロオロとするが、文生が泣いていることに気づくと、駆け寄って肩を撫でる。

 文生はハッと顔を上げると、歪んでいた顔をさらにくしゃくしゃにして美琳に抱きつく。美琳は何が起きたのかさっぱり分からなかったが、婚約者の背中を優しく撫でた。




 文生の泣き声だけが聞こえる中、勇豪の低い声が空気を裂く。

「文生様。先のいくさで他の御側室の御子たちは亡くなり、御正室の御子も先王も流行り病で亡くなった。もうあんたしか正当な後継者はいないんだ。受け入れがたくても、受け止めろ」

 その言葉に美琳は目をみはる。

 たった数分の間に状況が目まぐるしく変わっていたのに驚いた。だが第三者である自分よりも、当事者である文生の方が何倍もショックを受けたことだろう。

 美琳は震える手で抱きついてくる文生を固く抱きしめ返した。


 文生は勇豪の言葉に何も返さずにただ美琳にすがり続ける。

 険しい顔をした勇豪は更に言葉を畳みかける。

「……そして、あんたはこいつを断罪しなきゃならん。あんたが王を継ぐことがなければ、こいつの罪は隠せ続けた。だがあんたを王宮に連れて行くとなると、こいつの存在を明るみに出さなきゃ説明がつかん。そのときにこいつが生きたままでは王族の沽券に関わる」

 その言葉に文生は振り返る。勇豪の目を見据えると、声を絞り出す。

「そんな……そこまでする必要ないじゃないか!そりゃ、母のことを隠されていたのは許せないよ。だけど婆様はここまで育ててくれた。僕にとっては親代わりなんだ!そんな、沽券とかのためにそこまでするなんておかしいよ!」

 文生は美琳の体から離れると、老婆を庇うように肩を抱く。老婆は肩に手を伸ばしかけたが、二人の手が重なることはなかった。

 老婆は手を握りしめると、優しく話し始める。

「文生様……いや、文生。儂は貴方を育てられて幸せだったよ。御側室への贖罪しょくざいの気持ちがなかったと言えば嘘になるが、それ以上に貴方と過ごす毎日が愛おしくて仕方なかった。このまま貴方が王にならなければいいと祈っていたさ」

 老婆は、今や見上げる高さに育った文生を仰ぎ見る。

「だけど、もうそうもいかない…………民に母上を殺した者と暮らしていたなどと知れたら貴方の評判は失墜する。儂は、文生の邪魔はしたくない。後悔は、もうたくさんだ」


 そう告げた老婆は勇豪に目で合図する。勇豪はそれに頷くと腰に下げていた剣を抜き、老婆目がけて振りかぶる。

 文生は初めて見た本物の武器に身が竦む。目の前の大男が放つ殺気は、狙った獲物を確実に仕留めるという気迫を伝えてきた。

 蛇に睨まれた蛙の気持ちが分かった。

 老婆を逃がさないといけない、頭では分かっている。だが指の一本すら動かすことが出来ず、ただ裁きを見守ることしか出来ない。

 片や老婆は、座ったまま動じることなく目を閉じた。


 その間を、一筋の影が遮る。

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