第2話
赤ん坊が少女へと変貌を遂げてから幾ばくかの月日が経った。数か月、数年、はたまた数十年だろうか。
少女と光は時の流れを気にすることなく森の木々や動物たちと遊ぶ日々を送っていた。
光は少女を慈しみ、少女は光を慕っていた。そこには確かな絆が育まれ、お互いにかけがえのない存在になっていた。
ただ少女には一つだけ気になっていることがあった。水面に映る自分と同じ姿の者が動物たちの中には一匹もいないことだ。
共に過ごす光の
うららかな陽気の中、森を一人の少年が歩いていた。少年はぼろきれのような服を纏い、手にはほつれかけのざるを抱えて、何かに怯えたようにしながら奥深くに進んでいる。
しばらくすると澄んだ泉に辿り着く。泉の傍には苔むした祠が建ち、他の場所とは違う空気を放っていた。
少年は生唾を飲み込むと、ぼそぼそと独り言を言いながら祠に近づく。
「大丈夫、きちんとお参りすれば
少年は祠の汚れを清めていく。苔は拭いきれなかったが埃やゴミを取り除き終えると、手を合わせて祈り始める。
「……地祇様。森の恵みを分けてもらいに来ました。かつて赤ん坊を捨てられてお怒りになり、村を一つ沈めたと聞いております。我々はもう二度とそのようなことを致しません。えっと、でも今年は税が増えて、食べるのがやっとなのです。だからどうか山菜を採ることを許してください……」
真剣な表情で話し終えた少年は、よし、と一呼吸置き振り返りわぁッと声をあげる。すぐそこには一人の裸の少女が立っていたからだ。
少年は驚きのあまり腰を抜かす。しかも初めて見た女の裸体に慌てふためく。
「な、な、あッあんた誰だ?!ここはそんな格好でいちゃいけないんだぞ!てかなんでここに?!」
少年は捲し立てたが、少女はただ不思議そうに少年を見つめるばかりだった。返事がないことでかえって落ち着きを取り戻し始め、少女の顔を見つめ返す。
小ぶりで艶やかな唇にツンと上向いた小鼻、切れ長な二重の涼やかな目からは栗色の瞳が覗いていた。濡れ羽色の髪は胸元まで伸びており、さらさらと風に揺れている。少年は少女の美貌にしばし見惚れ、徐々に頬が赤く染まっていく。
この世のものと思えないほど美しい彼女はもしかしたら地祇様の御使いか、と気づいた少年は急いで土下座する。
「失礼しました!森にはもう立ち入りません!だから怒らないでくださ……ん?」
地面に額を擦りつけていた少年の頭上を何かが触っている。いや、きっと目の前の少女が触っているのだろう。
だがその手が彼を赦しているかというと違うように思った。どちらかと言うと赤ん坊がおもちゃを弄りまわしているようだった。
「あの……?地祇様の御使いではないのですか……?」
少年が頭をあげると、少女は彼の顔を触り始める。ペタペタと目、鼻、口を触ると、ふいににこりと微笑む。
花が綻んだようなその笑みは、少年の心を撃ち抜くのには十分だった。
「な、なんだ、違うならそう言えよ、びっくりするじゃんか……あんた、追い剥ぎにでも遭ったのか?そんな
だが少女は少年の言葉をただにこにこと聞くばかりだった。
「うーん、どうしよう……あ、そうだ。どこも行くあてないならうちくるか?あんまり食べ物はないけど、婆様が困ってる人は助けるもんだって言ってたし。その代わり山菜採り手伝ってくれよ?」
その言葉にも少女は小首を傾げると、ふいに後ろを振り返る。合わせて少年も同じ場所を見やるが、そこには木々があるばかりで何もいなかった。
少女は後ろに向かって少年にしたように小首を傾げたと思いきや、ふいに満面の笑みを浮かべたりしている。
少年はなんだかそれを気味が悪いとは思えず、少し待っていればいいんだな、と思うばかりだった。
少女は何かを納得したのか、満足気な顔で少年に振り返ると手を取り立たせる。その手はひやりと冷たく、眼前には少女の乳房が広がった。
はっとした少年は急いで自分の着物を脱ぐ。
「あんた体冷え切ってるじゃないか。これ、きれいじゃないけど、とりあえず羽織っておけよ。俺は男だもの、大丈夫だからさ!それに女はす、好きな奴にしか、その……見せちゃダメなんだぞ!」
そう話しながら褌姿となって着物を着せてくる少年を、少女はにこにこと見つめ、もう一度彼の手を掴む。
少年は頭から湯気が出たかと思った。きっとなんの意図もないのだろうが、思わせぶりな態度に動揺してしまう。
「えっと、あ、俺の村案内するよ!こっちだから付いてきて!」
少年は少女の手を引き移動しようとしたが、ふと祠の方に向き頭を下げる。ついでにぼうっと立っていた少女の頭も下げさせると、泉を後にする。
二人がガサガサと茂みを
手を引かれている少女がつと光を見やる。
光が点滅しながら手を振ると、少女はきょとんとする。初めて見た仕草だったが、なんとなく真似した方がいい気がして振り返してみる。
それが別れの挨拶などと知らない少女は、無邪気に笑顔を浮かべて去っていく。光は少女が見えなくなっても手を振り続ける。
気づけば、しとしとと小雨が降っていた。森中が湿気を帯び始めたが、木々に守られた少女たちの体が濡れることはなかった。むしろ温かさを孕んだその雨は、近くの村々を潤し、その年はいつになく豊作となったのだった。
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