コミュ障の紫さん、自殺に失敗して吹っ切れる

浅見朝志

プロローグ

第1話 紫さんは吹っ切れている

 トートバッグを自分の手前で強く抱えながら、私は満員電車に揺られていた。

 緩やかに掛かるブレーキの後、プシューッという音と共にドアが開くと人々が我先にと身体をぶつけ合いながら電車を降りていく。

 私もそんな帰宅ラッシュの最中の人波に乗せられて歩き、駅の階段を昇って改札をくぐったところで声を掛けられる。


「お姉さん!」


 振り向くと、両結びにされたサラサラの髪を揺らしながら、制服を着た少女が小走りでこちらに駆け寄ってくるところだった。


「こ、こ、こんばんは。あかりちゃん」


 平たく言ってコミュ障な私はどもりながら、私の横に来た少女にそう返した。


「こんばんは! お姉さんはお仕事終わりなんですよね。お疲れ様です!」

「う、うん。あかりちゃんも学校お疲れ様」


 現在高校生のあかりちゃんは同じマンションに暮らす住人同士で、最近、とある事件をきっかけにして距離が縮まって以来、真に友達と呼べるようになった間柄だ。

 当然帰宅のルートも同じな私たちはそのまま並んで帰ることになる。

 うす暗くなってきた夕方の帰路を取り留めもない話をしながら歩いていると、急に思いついたようにあかりちゃんが訊いた。


「そういえばお姉さんは最近お仕事を始めたんですよね? それってどんなお仕事なんですか?」

「え、えっと……その……」


 純粋な好奇心の宿る瞳で尋ねられて、私はどう答えたものかと視線を泳がせる。

 残念ながら、『ありのまま』を語る訳にはいかないからだ。


「ふ、普通の……歩き回るお仕事、かな……」

「歩き回るって、営業さん? みたいな感じですか?」

「そ、そんな感じ……」

「へぇ~」


 無理やり絞り出した返答は上手いものではなかった。

 『普通ってどんなだ』とか『話すの苦手なのに営業なんてできるのか』とか、色々と追求できる部分はあっただろうけど、優しいあかりちゃんは私がその話題から離れたがっているのを感じたのか、それ以上深く掘り下げようとはしなかった。

 それからはほとんど私があかりちゃんの話に相槌を打つだけだったが、とても楽しそうに次から次へと話題を広げてくれるので、私としても気まずさがなくとても楽な時間だった。


「それじゃあお姉さん、また」

「ま、またね」


 マンションの私の部屋の前であかりちゃんと別れる。

 同じ階に住んでいるが、彼女の部屋は階段から一番離れた奥の角部屋だった。

 その背中を見送るのもそこそこに私は部屋の鍵を開けて中に入り、ホッと一息を吐いた。


「き、今日も、疲れた……」


 私は玄関先にヘタッと座り込み、帰りの道中決して両手を放さなかったトートバッグから財布を取り出して、今日の『戦果』を確認した。

 

「2万3千円か……」


 今日は最寄駅からずいぶんと離れた路線での行動だったので、通勤ラッシュと帰宅ラッシュに合わせられたチャンスが少なかったせいもあり、最近の平均金額には及んでいなかった。

 それでも0円の日ももちろんあるわけで、それに比べれば成果が見えるだけマシとも言えるし、何より捕まっていないのだからそれだけでも最低ラインの『仕事』はできていると考えるべきだ。

 ――仕事、という単語に先程あかりちゃんから受けた質問が脳内にリフレインする。

 

『どんなお仕事なんですか?』

 

 私は1人、苦笑した。 

 だって仕事なんて言葉で表せるほど、私は真っ当な職に就いていなかったから。

 そもそも、職業とすら言えない。

 それはただ人に損害と迷惑を掛けるだけの行為で、自分自身と他人を秤に載せ、私が生き続けるために人へ迷惑を掛けることを良しとした結果である。

 職業ではなく、『犯罪』。

 私――むらさき木葉このは、元引きこもりの24歳は人々の財布から金を抜き取ること、言わば『窃盗』を暮らしの種にして生きていた。

 

 こんな暮らしのキッカケは、もう2ヶ月も前になるあの日。

 私が自殺を決行した、まだ寒さの残る春の日にあった。 

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