第8話 きっかけ
八木と会話をしたその日の晩。
俺は彼女から受け取ったシャー芯のケースを掲げながら、ベッドで横になっていた。
今、俺が使っているメーカーとは違うメーカーのシャー芯。
このシャー芯を使っていたのは、高校に上がった直後くらいまでだ。
高校の購買部では取り扱っていない。
『根岸さんはね、私と同じなんだ…』
八木ちゃんと同じ。
それはきっと、ずっと見ているだけで踏み出せずにいるという事。
『むぅ、やっぱり清水君は覚えてないんだ。私にとっては人生で1、2を争う事件だったっていうのに…』
そして俺は、根岸と以前にどこかで会っている。
『だから、ちゃんと、思い出してあげてね…』
あんな劇的な出会いを忘れていたなんて、本当に俺は、八木ちゃんしか見えていなかったらしい…。
この話は高校受験の日にまで遡る。
高校受験当日。
試験が始まる直前だというのに、隣の女生徒が、落ち着かない様に見えたのが始まりだった。
少し気になったので観察をしていたら、そろそろ仕舞わないといけない筆箱の中を念入りに漁り、シャーペンのノック部分を開けて、ひっくり返していたので、すぐにシャー芯を切らしているという事に気が付いた。
「…あの」
「えっ…?」
少し泣きそうな顔をしていたその子は、今みたいなポニーテールではなく、肩までかかる柔らかそうなこげ茶色の髪と、くりくりとした大きな目が印象的だった。
声をかけられるとは思っていなかったのだろう。
その大きな目をパチクリさせていた。
「0.5のHBでよければ、使ってください」
「あっ…」
少し強引にシャー芯を何本か手渡し、問題用紙に目を向ける。
彼女は何か言いたそうにしていたが、本番も本番。
それ以上深く考える余裕はなかった。
結局、試験終了後はそのまま面接の流れになった為、彼女と会話する機会は訪れず、合格して、今に至るわけだ。
余程、受験が終わった事に気が抜けていたのか、合格発表の時には、この出来事を忘れてしまっていた。
髪型が変わったとはいえ、今思えば、あの時の女の子は間違いなく根岸だ。
それよりも…。
『あ、あのね、シャープペンの芯って、持ってないかな…?』
『いや、その、シャー芯、持ってないかな!?』
八木だけでなく、紗代ちゃんがシャー芯の話題に触れるタイミング。
そして中学の頃に愛用していたシャー芯のメーカーを知っているのは、俺の知人の中では航だけだ。
八木の頼み事を聞いた菅原はどうかわからないが、とりあえずは全員がこの件に関わっていると考えるべきだろう。
『今日中に頼みたいんだ!どうせ帰っても暇だろ?頼む!』
菅原のあの言葉の通りなら、明日にでも大きな動きがあるのかもしれない。
ここまでおせっかいを焼いてくれる友人達の為、俺はこの壮大な計画の
翌日、いつもの様に登校したが、珍しく教室に八木ちゃんの姿はなかった。
会話する相手のいない教室。
始業のチャイムまで、まだまだ時間はある。
珍しく遅い時間まで考え事をしていたので、眠気も強い。
やることもないので、そのままうつ伏せの体勢を取ると、比較的簡単に眠ることができた。
「ねぇ、清水君、起きて」
「ん…?」
誰かが寝ている俺の肩を揺すった。
この状態の俺を起こす人は、このクラスでは紗代ちゃんくらいなものだが、彼女の場合は問答無用で叩き起こそうとしてくるので、今回は紗代ちゃんではないとか、そんな事を思いながら、少しずつ思考を覚醒させていく。
俺が顔を上げると、そこには顔を真っ赤にした根岸がいた。
「根岸か、どうかしたか…?」
「いや、その、し、清水君にお願いがあるんだけど…」
手をもじもじさせている根岸を見て、思った。
いや、思ってしまった事がある。
(か、かわいい…?)
ここ数日。
彼女とは極力目線を合わさず、逃げる様に過ごしてきたつもりだ。
しかし、その行動は昨日、八木の手によって終わりを迎えた。
そして過去を清算し、改めて根岸と向かい合うと約束したわけだが、いざ彼女からの好意を真正面から受け取る事を意識すると、急に変な気恥ずかしさがこみ上げてくる。
「清水君…?」
「あ、あぁ、すまん…」
「顔、赤いけど…体調悪いとか…?」
「い、いや、大丈夫だ。それで、俺に頼みって…?」
根岸と目を合わすことができない。
思わず視線を逸らしてしまった。
「え、えっと、シャーペンの芯…持ってない…?」
「あ、あぁ、前と一緒で大丈夫か…?」
「えっ……?」
「……あっ」
予想以上の混乱に、思わず口を滑らせてしまった。
それは根岸も同じようで、先程の一言を発した後から、完全にフリーズしている様に見える。
「ご、ごめんごめん。最近、紗代ちゃ…嶋本や八木ちゃんも俺からシャー芯を借りて行ったんだよ。だからさ、ついつい根岸にも前と一緒でって言っちゃったよ」
「あっ、そ、そうだよね。私の勘違い…だよね…」
その返答に根岸の眉が下に下がった。
あからさまにしょんぼりしている。
(かわいい…じゃなくて!)
多少の誤算はあったかもしれないが、これで高校受験でのやり取りが、俺と根岸の接点だという事が感覚でわかった。
外れていたらどうしようもないが、その時はその時だ。
八木の時とは比べ物にならないくらい、鼓動が早くなっている。
「シャー芯あげる代わりに、1つだけお願いしたい事があるんだけど、いいかな?」
「うん、いいよ。何かな…?」
「俺と、付き合ってください」
その瞬間、教室の空気が変わった。
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