第7話 優しさ
どうやら菅原に一杯食わされたらしい。
でも不思議と不快感は沸いてこなかった。
そのまま教室の中へ入り、八木の前まで歩いていく。
「まさか、八木ちゃんから話があるとは思わなかったよ…」
「うん。でもまずはごめんね。騙す様な真似しちゃって…」
俺の質問に、頭を下げてくる八木。
「気にしてないよ。大事な事なんでしょ?」
「ありがとう。やっぱり清水君は優しいなぁ…」
「っ…!!」
心臓を締め付けられる感覚とはこういう事だろうか。
以前、俺は八木に酷い事をした。
そういった感情を向け、最終的には彼女にそれをぶつけてしまった。
だけど、八木はそんな俺を優しいと言う。
「こんな俺が…優しいわけないだろ…」
「ううん、清水君は優しいよ」
俺の否定を、笑顔で否定してくる八木。
心臓を締め付ける感覚は、未だに収まらない。
「それで、八木ちゃん。話って…?」
強引に話題を変える。
このままこの場にいる事は、正直言って体が持たない。
その時は早々に話を聞いて、立ち去る事だけを考えていた。
しかし八木ちゃんの一言で、その考えが浅はかだったと思い知ることになる。
「清水君は、根岸さんの事、どう思ってるの…?」
「……は?」
「ううん、清水君はどうして、根岸さんから逃げているの…?」
さっきまで考えていた事が、真っ白になるほどの衝撃だった。
まさか八木からそんな言葉が出てくるとは思わなかったからだ。
「何でだよ…」
「えっ…?」
「何でお前が、そんな事言えるんだよ!お前を見て、悪口を言ってた奴だぞ!?何でよりにもよって…お前が…!」
一番言われたくない言葉を、一番言われたくない人物から言われてしまった。
取り繕っている余裕なんてありはしない。
握りしめる手が、どんどん熱を帯びていく。
「俺も、お前にひどいことを言った!お前と菅原がそのまま別れればいいとか、別れたお前が俺のものになる様になんて考えてた最低な男だ!俺のどこに優しい要素がある!」
「ううん、清水君は優しいよ…」
「だから、俺は優しくなんか…!」
「だって、清水君は今でも、こんな私と友達でいてくれるから…」
その時、瞼の裏が熱くなっていくのを感じた。
荒くなった呼吸音が、静かな教室音にただただ響いている。
「清水君がいなかったら、私はずっと臆病なままだった。菅原君と付き合うことだって、絶対に無理だったと思う。清水君に好きだって言われたのに、それを断って、本当だったら、もうこんな関係にも戻れないと思ってた…」
「……」
「本当だったら話しかけたくもない様な関係になってしまったのに。それでも清水君は、私や菅原君もちゃんと相手をしてくれる。気にかけてくれる。自分の感情を押さえつけてまで、こんな関係を続けてくれる清水君が優しくないわけないよ…」
それは違う。
俺はただ前に進めないだけで、この関係を続けていれば、いずれまた八木が俺を頼ってくれるんじゃないかという、女々しい下心があるだけだ。
「それにね、ほな…根岸さんとも色々お話できる様になったんだよ?最初はお互いにオロオロしちゃったんだけど、今ではそれもなくなって。この前一緒にクレープ食べに行っちゃった。えへへ…」
八木も最近は笑顔でいることが増える様になった。
あぁ…そうか…。
八木は…もう俺がいなくても…。
「だからね。私がどうにかしないといけなかったいざこざだったのに、根岸さんを助けてくれてありがとう。私の大切な友達を守ってくれてありがとう。私はもう大丈夫だから。今度は、そんな優しい清水君が幸せになって欲しいな…」
十分幸せになれたんだな…。
「ははっ、何だよそれ…」
頬に熱いものが流れ落ちていく。
身体から力が抜け、窓際に背中を預けると、そのままずるずると座り込んでしまった。
「そうだよな…俺が…いつまでもこんなんじゃ…八木ちゃんも…安心して…笑う事ができないよな…」
八木ちゃんが席を立ち、俺に目線を合わせてくる。
「清水君、今までありがとう…。こんな私でよければ、これからも仲良くしてね…」
俺の頭ごと抱きかかえ、優しい涙声でそう告げた。
「そういう優しい言葉は…彼氏の菅原にでも言ってあげなよ…」
俺も八木も、お互いに涙でくしゃくしゃになった顔で、声を上げて笑いあった。
俺は、あの時からやっと、少しだけ前へ進み始めることができたのだ。
「情けない所見せちゃったなぁ…」
「べ、別に、それはお互い様だよ…」
お互い少し冷静になった所で、正気に戻った。
はっきり言って、顔から火が出そうな程に恥ずかしい。
八木ちゃんも顔を真っ赤にしている。
「俺さ、失恋した後に、新しく人を好きになるのが怖かったんだ…。八木ちゃんを好きだった気持ちが、嘘だったんじゃないかって…。この気持ちの捨て方もわからなかったから、できるだけ周りを見ないようにしてた…」
「その気持ちを隠さずに、清水君は私を好きって言ってくれたんだよね…。何だか今でも少しこそばゆいなぁ…」
そう言うと八木は鞄の中をあさり始めた。
筆箱の中から、シャー芯のケースを取り出す。
すると中身を出すわけでもなく、ケースごと俺へと差し出してきた。
「これ、この前の芯のお返しだよ」
「いや、別にいいよ。俺もこの前「根岸さんはね、私と同じなんだ…」」
差し出した八木の視線は、真っすぐに俺を見つめていた。
どうやら俺は、八木のこの真っすぐな視線に弱いらしい。
だけど、不思議と、先程まで感じてた、心を締め付けられる感覚はしなくなっていた。
「だから、ちゃんと、思い出してあげてね…」
両手でしっかりと、俺にケースを握らせた八木ちゃんは、そのまま教室を出て行った。
手の中に握られたシャー芯は、今、俺が使っているメーカーとは、別のメーカーだった。
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