暗い夜の灯りになれば
@himagari
君の暗い夜の灯りになれば
夜を
「―――――」
怖いと思い始めたのはいつからだろう。
「―――きろ、―――」
朝が来るのを、喜べなくなったのはいつからだろう。
それはきっと、全部あの日のせいで――
「おい、坂木、いい加減に起きないか!」
「ぁいて」
頭を硬い板で叩かれた衝撃で目が覚めた。
顔を上げてクラスを見渡すと皆が「またか」と言いたそうな顔でこっちを見ている。
右に視線を動かすと現国担当の西川先生が私を見下ろしていた。
「お前は授業中に寝過ぎだ。成績はいいからどの先生方も厳しく言わんようだが、せめて最初と最後の五分くらいは起きていてくれ」
「……………すみません」
私が素直に謝ると西川先生はため息をついて黒板のもとへと帰っていった。
お昼前、
窓から差し込む日差しが心地よい。光る校庭とさざめく木々を見ながら私は再び眠りに落ちていった。
「――――――由香…………もう由香ったら!」
体を揺すられる感覚と友人の声に深い眠りの中から引き起こされる。
「…………雪。おはよう」
「おはようじゃないよ!もう放課後なんだからね」
「…………放課後」
雪の言葉を聞いて窓を見れば白かった太陽は赤み掛かり、校庭には既に部活動を始めた生徒の姿がちらほら見られる。教室の中にあれだけいた人達も今では数人を残すのみだ。
「ごめん。わざわざ起こしに来てくれたの?」
「そうしないと学校が閉まるギリギリまで寝てるじゃない」
「いつもありがとね」
「そう思うなら寝ないでよ」
そう言いながらきっと雪は明日も起こしに来てくれる。まだ入学して半年なのに雪はこんな私と友達になってくれた。私の、大切な友達。
「ほら、早く帰るよ」
「………うん」
私は席から立ち上がって荷物をまとめる。二人で教室を出て昇降口で靴を履き替えた。暗い校舎と明るい夕日の差で眩む目を瞬かせながら校門を抜ける。
「ほんとに由香ってよく寝てるよね。いつも夜遅くまで何してるの?」
「別に、勉強とか、ゲームとか」
「勉強ならお昼すればいいのに。まぁお昼寝が気持ちいいのは否定できないけどさ」
「そーでしょ」
まぁ、本当は夜眠るのが怖くてただ暇を潰しているだけなんだけど、いくら雪にとはいえそんなことを言うのは恥ずかしい。
それから他愛もないような会話をしながら駅まで向かい、雪と別れる。
「それじゃあ、私こっちだから」
「うん…………ねぇ、雪」
「なに?」
いつもならそうだったけれど、私はふと気になっていたことを口に出してしまった。
「そう言えば雪の家ってそっち方面じゃないよね?毎日どこに行ってるの?」
「あー、えーっとね」
なんの気もなかった私の質問に雪が目を泳がせながら口籠った。
「あ、言いたくないなら全然いいよ!」
「そういう訳じゃないんだけどさ、ちょっと病院に」
「病院!?もしかしてどっか悪いの?」
「いや、私は全然平気なんだけどね。……お兄ちゃんが」
雪の言葉に寂しさを感じ、私は「そっか」とだけ返した。
「じゃあ、早く行かないと面会時間過ぎちゃうから」
「うん、また明日」
「また明日」
走り去っていく雪の背中が見えなくなったてから、私は自分の電車に乗り込んだ。学校の最寄り駅から五駅。およそ十五分ほど電車に揺られてたどり着いた駅で降りる。日はすっかり落ちて東の空は夜の色に変わっていた。
ホームを吹き抜ける風に肌寒さを感じながら自宅のアパートへと向かう。
「ただいま」
辿り着いた玄関を開けて誰に伝わるわけではないと知っている言葉を発した。暗い玄関を抜けて廊下を進み、奥の部屋にある小さな仏壇に手を合わせる。
「お父さん、お母さん、ただいま帰りました」
3年前に事故で死んでしまった父さんと母さん。叔父の家に引き取られて高校は学校から近いアパートから通わせてもらっている。
日課の挨拶を終わらせて夕食の準備を始める。
「………賞味期限」
この間買いだめしておいた牛乳が賞味期限が今日までだった。とは言っても所詮は賞味期限。明日までに飲みきれば問題は無いだろうとコップに注いで残りは冷蔵庫に戻した。
適当な野菜炒めを作って食べたあとお風呂に入ってベッドに腰掛けた。机の上に置いてある時計を見れば八時を少し過ぎたくらいだ。
「勉強しないと。………今日の範囲どこまで?」
学校ではほとんど役に立っていない教科書を取り出して今日一日分の勉強を始める。どうせ夜は眠れなくてすることもないのだから勉強はいい暇つぶしになった。
現代文、英語、物理、数学、生物、世界史。おそらく今日やったであろう範囲を推測しながらそれより多少多くなるように勉強をすすめていく。最後の教科が終わる頃にはいつも三時か四時を回っている。今日もその例に漏れず勉強が終わったのは三時半を過ぎた頃だった。
昼間あれだけ寝たのに重たくなり始めた瞼を擦りながら台所へと向かい、冷蔵庫から先程の牛乳を取り出した。
そしてふと目に入った昨日を示す賞味期限表示。それを見た途端不思議と飲む気が失せてしまった。ただ日付の数値が一つ増えただけなのに。昨日、正確には三時間三十分前までは賞味期限内だった牛乳と、この牛乳の違いは何なのだろう。
両親のいない私は決して裕福ではないけれどバイトもしていて貧乏と言うわけでもない。何も賞味期限が切れたものまで飲まなくてもいいか、と半分ほど入っていたパックの中身をシンクの中へと廃棄した。
☆☆☆
「それじゃあね」
あれから二週間ほどいつもと変わらない日々を過ごしていた私は、駅のホームで雪と別れようとしたとき、ふと雪のお兄さんに会ってみたくなった。
「ねぇ、雪。今日、私もついていっていい?」
「え!?な、なんで?」
「何ていうか、雪にはいつもお世話になってるし、挨拶くらいしたいなぁ、って」
「えーと、ちょっとお兄ちゃんに確認してみないと何とも」
「そっか、じゃあ会えそうだったらお願い」
「うん」
雪は私の突然の提案に戸惑いながらも拒否はしなかった。毎日雪が会いに行くぐらいなんだから多分すごくいい人なんだと思う。
本当はもう少し前から会ってみたいな、と思っていた。
だから雪に言ってみたのだけれど、会える日は案外遠くなかった。と言うかお願いした翌日には雪から許可が降りたのだ。
「ねぇ、本当にいいの?」
白い壁と白い床、白い天井というよくある病院の中で、雪の後ろを付いていきながら私は今更もう一度雪に問いかけた。
「うん。お兄ちゃんも楽しみって言ってたし」
「なら、いいんだけど」
そうこう言っているうちに目的の部屋にたどり着いたらしく、雪が一つの扉の前で立ち止まった。
病室の番号は512。名前は天野 晴。天野は雪と同じ名字で、下の名前は……
「はれ?」
「せい、だよ。晴お兄ちゃん」
私が読み方で迷っていると、雪がそれを察して教えてくれた。
「うん。おっけー」
「じゃ、開けるよ」
雪が私に声をかけてから扉を引いた。
「お兄ちゃん。来たよ」
「あぁ、雪。おはよう。今日はいい天気だね」
「もう、おはようなんて時間じゃないんだから」
私は部屋に入れず立ち尽くしていた。雪が扉を開けた時、私の目がスッと彼の姿を捉えてしまったから。
開いた窓と閉じられたレースカーテン。窓から吹き込む風がカーテンを揺らし、そして差し込む光が彼を照らしていた。
雪が彼に話しかけると彼は手に持っていた本を枕の脇において雪に笑いかけた。
その姿が、あまりに美しく見えてしまったから。
「あれ、由香、早く入ってきなよ。何やってるの?」
「あ、うん。ごめん」
雪に話しかけられてようやく心を取り戻した私は部屋に入り、晴さんに頭を下げる。
「紹介するね。こっちが私のお兄ちゃんで、晴お兄ちゃん。こっちが私の友達の由香だよ」
「はじめまして由香ちゃん。いつも妹がお世話になっているね」
「い、いえ、こちらこそ雪さんにはいつもお世話になってて!」
やばい。なんでだろう。すごくドキドキする。緊張して声が裏返った。上目遣いで晴さんの顔を見たら柔らかく笑っていた。恥ずかしい。
「雪からいつも話は聞いているよ。すっごく頭が良くて可愛いのにいつも居眠りしているお寝坊さん、だって」
「んな!?」
「ちょっと、お兄ちゃん!な、な、な、なんでそういうこと言っちゃうかな!?」
んもぅ、雪め!晴さんになんてこと言うんだ!
「ち、違うからね!由香!私はいつも由香のこと褒めてるんだけどお兄ちゃんが悪いとこだけ抜き取ったんだよ!」
「頭がいいのと可愛いのは褒めてるよ。嘘じゃなかったし」
「んなななっ」
今、顔から火が出たかと思った。そういうの心臓に悪いからやめてほしい。
「あーー!お兄ちゃん!由香は私の友達なんだから取らないでよね!」
そんなことを言う雪と朗らかに笑う彼。そして顔を赤らめる私で談笑し、面会時間が終わるまで笑いあった。
病院からの帰りに雪から「こんなに楽しそうなお兄ちゃん久しぶりだったよ。今日は来てくれてありがと」と言われた。
その日から私は度々雪と一緒に晴さんの病室に顔を出すようになり、私が晴さんへの想いに気がつくのにそう時間は掛からなかった。
「それで今日は雪が降って、雪が雪に興奮して雪合戦をしようって言い出したんですよ!」
「昔っから雪はやんちゃだったんだよ。積もった雪の中に飛び込んで居場所がわからなくなったときは僕も母さんも必死に探し回ったよ」
「あははっ、雪ですからね」
「うん、雪だからね」
「もおぉぉぉお、二人して私の事馬鹿にして!!もう知らない!ジュース買ってくる!!由香はオレンジジュースでお兄ちゃんはコーヒーだからね!!」
ぷりぷりと怒りながら優しさを見せるという器用さを発揮した雪が病室を出て飲み物を買いに行った。
私と晴さんはそれを見て顔を合わせて笑ってしまった。
「ねぇ、どうして夜眠れないのか聞いてもいいかな?」
そして久しぶりに二人っきりになったとき、晴さんがそう問いかけてきた。きっと雪がいる前じゃ話しにくいと思って二人きりになるのを待っていてくれたんだろう。
晴さんに話すのもすこしはずかしいけど、それでも晴さんならまあいいかな。
「実は、四年前に私が眠っている間に両親が車の事故にあって死んじゃったんです。それ以来夜眠ると何もかもが変わってしまうように思えて………眠るのが怖くなって」
「……そっか。お昼は眠れるの?」
「お昼は私の代わりに皆が世界を見ていてくれるから」
「なるほどね」
恥ずかしくて、正直笑われると思っていた。でも、彼は笑わずに聞いてくれて、優しく微笑んでくれた。その微笑みが何故かすごく儚く見えて。
「あの――」
私も晴さんに話しかけようとしたけど、その前に背後の扉が開いて雪が部屋に入ってきた。
「買ってきたよー。でも由香の分のオレンジジュース無かったから代わりにおにぎり買ってきたよ」
「なんで!?」
「冗談だよ。はい、りんごジュース」
「オレンジジュースが無かったのは本当なんだ」
雪が帰ってきたことで、この会話は有耶無耶になった。それでもこうして三人で語らう時間が楽しかったから聞きたかったことは先送りにした。
この時間が、ずっと続くと思っていたから。
「…………雪、降ってる」
年が明けて五日目の夜、お正月は叔父さんの実家で過ごしていた私はおよそ一週間ぶりにアパートへと帰ってきた。今の時刻はもう六時半。今から病院に向かってもすぐに面会時間が終わってしまうから晴さんにも雪にも会えない。
「せめて帰ってきた報告くらいはしないと」
と誰に言うわけでもなくそう呟いてスマホを手にとったとき、ちょうど着信音がなった。画面に表示されているのは雪からのメッセージ通知。
急にどうしたんだろうと思い、すぐにメッセージを開いた。そこに書かれていた文章は短く二文だけ。
『お兄ちゃんが死にました。病院で待っています』
…………………。
……………………………。
…………………………………………。
「え?」
全く文章が理解できなかった。何度も何度も字の上だけを目が走って、内容は全く理解できない。
お兄ちゃんが……………死にました?
雪からのメッセージ。着信は今。死んだ。………誰が?お兄ちゃん?雪のお兄ちゃん?雪……の?雪のお兄ちゃんは晴さんだよね。雪の兄弟は兄が一人って言ってたからお兄ちゃんって言うのは晴さん一人だけでじゃあ雪のお兄ちゃんが死んだってそれはつまり――
何度も何度も繰り返し頭で文章を読み直して、繰り返し繰り返し問い直して、それでようやく内容が理解できたとき私の全身に電流が流れたように感じた。
膝から力が抜けて立っていられない。ストンと腰が抜けて体が全く動かない。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁはぁはぁはぁ」
視界が狭くなっていく、呼吸が荒くなっていく、鼓動が激しくなっていく。
どれくらいそうしていたか。前の文にばかり頭が行っていたけれど、待っているという言葉にようやく思考が追いついた。
「――――――――病院………………行かないと」
幽鬼のようにフラフラと力の入らない膝を押さえつけて立ち上がり、玄関を出て駅に向かう。足が速くなっていく。気がついたときには何も考えずに全力で走っていた。
「………由香!………足が」
私が病院にたどり着いたとき、雪は病院の前の階段に腰を下ろして俯いていた。けれど私の足跡が聞こえるとすぐに顔を上げて私に気づいてくれた。
雪はさっき走っているときに転んで擦りむいた膝を心配してくれているようだけど、タイツが破れて血が出ているだけで痛みなんか感じていないからそんなことはどうでも良かった。
「そんなことはどうでもいいよ、雪。ねぇ、さっきのメッセージ……………晴さんが……」
尋ねようとしても言葉にならなかった。死んだなんて口にしたくない。だってきっと雪の悪い冗談で私が晴さんに会いに来るように嘘をついただけでだって晴さんが死ぬなんてそんなこと……………
「……………………ぃ。………めんなさい。ごめんなさい。ごめ、なさい」
だけど、現実は優しくなんてないことが雪の涙で分かってしまった。
「―――――あぁ、ぁ………ぁ…ぁ」
涙が溢れてきた。だって、なんで、どうして、そんな。つい一週間前まであんなに元気だったのに……。嘘だよ。そんなの。嫌だよ!!泣かないでよ。嘘だって言ってよ。どうして私だけこんなことになるんだ。お父さんもお母さんもいなくなったのに晴さんまでいなくなるなんてそんなの嫌だ。嘘だって言ってよ。
ぐしゃぐしゃの心は言葉にならず、ただ嗚咽となって口から溢れていく。雪も同じように涙を流して座り込んだ。抑えきれない感情が溢れて涙になって流れていく。また大切な人を失って、私はなんで、こんなことにばかり。そんな思いがとめどなく溢れ、涙が枯れて、声が枯れて、それでも心が叫ぶから、雪にすがり付いて、雪にすがり付かれながら二人で涙を流した。
「……………お兄ちゃんから預かってた」
涙も枯れて、声も出なくなるほど泣き叫んで、心すら枯れた時、雪から一通の手紙を手渡された。
その手紙にはきれいな文字で『坂木由香様へ』と書かれていた。晴さんの字は見たことが無かったけどその優しい文字で晴さんが書いたものだと理解できた。
手紙の後ろにあるシールを剥がして中から一枚の便箋を取り出す。そこにはやはり先ほどと同じ筆記で晴さんから私へのメッセージが書き込まれていた。
『坂木由香様へ
この手紙は私が手術へ臨む前に書き記したものです。もし手術が失敗したら貴女へと渡すように雪にお願いしました。
ですので、ありきたりな言葉ですが、あなたがこの手紙を読んでいるとき私はもうこの世界には居ないでしょう。
貴女への謝罪とお礼をこの手紙一つで済ませてしまうことをどうかお許しください。
私は五年前からとある病気を患っていました。自然に治癒することはなく、手術をしなければ余命はあと十年も無いだろうと言われ、手術の成功率は二割を切るというものです。この事を貴女にずっと黙っていた事を謝罪させてください。
貴女は私に夜眠ることが怖いと打ち明けてくれました。あの時は言い出せませんでしたが、実は私もずっと眠ることが怖かったのです。残り少ない人生を無駄にしているのではないか。今眠ったらもう二度と目覚めないのではないかと言うか死の恐怖にとらわれてどうしても眠ることができませんでした。
そうして病院に入院してからは死んだように希望もなく日々を送る毎日。手術を受けられる期限も迫り、いつも面会に来てくれる雪だけが生きる支えでした。もう手術は受けずにこのまま緩やかに死んでいくんだと、そう思っていました。
でも、あの日、貴女が来てくれたあの時から、私は再び明日を生きるために今日を生きるという当然のことを思い出したんです。貴女と、雪と、僕と。三人で談笑する日々が僕にとっての光になりました。
両親もいない、雪もいない暗い夜の時間の中で、貴女に会える明日だけが僕の光でした。
それからずっと悩んでいたのですが、私は手術を受けることにしました。
だって、貴女に会って、雪と笑って、あんな幸せを知ってしまったら緩やかに死んでいくことなんて出来なかったから。たとえ可能性が低くても、貴女たちと共に歩む未来を夢見てしまったから。
けれど、どうやらそれは失敗したようです。
どうか貴女のせいで僕が早く死ぬことになったなんて勘違いは絶対にしないでください。私はあなたに会うまで人間としては死んでいたんです。
別れも告げられず申し訳ありません。本当はもっと三人で話したい事がありましたがそれは叶わないようです。
貴女が僕の光になってくれたように、僕も貴女が怖いと言った夜を照らす光になりたかったのですが。
後のことは雪に任せます。兄である私が言うのは何ですが雪はとてもいい子です。貴女のことを笑うことも、貶すことも絶対にしない子なので、どうか雪を頼ってあげてください。きっと雪が貴女の光になってくれるはずです。ですからこれからも雪のことをどうかよろしくお願いします。
全て自分の事で申し訳ないとは思うのですが、最後に感謝の気持ちをはっきり伝えさせてください。
貴女のおかげで死んでいた僕は再び人として生きることができました。貴女には感謝の気持ちしかありません。
僕と、雪の事を救ってくださって本当にありがとうございました 』
………滲んでいく。世界が歪んでいく。もう、一滴も、一欠片すら残っていないと思っていた涙がまた溢れてきた。
何度も何度も繰り返し読んでその度に溢れる涙を袖で拭う。
「……………雪は知ってたの?」
「………うん」
「………そっか」
雪は全部知っていたんだ。晴さんの病気のことも、手術の事も。だからさっき私を見たときに繰り返しごめんなさいと謝っていたのだろう。
「……………ごめんなさい」
「………雪」
再び聞こえる謝罪の声。でも私は雪に怒ってなんかいないから、聞かなくてもいいと思った。でもそれじゃあきっと雪自身は納得できないだろうから。
「ごめんなさい」
「…………」
「お兄ちゃんに会わせてごめんなさい」
「…………」
「何も言えなくてごめんなさい」
「…………」
「由香に甘えてしまって、ごめんなさい」
「…………」
「でも、本当に、辛いのは、申し訳ないはずなのに、謝らなきゃいけないはずなのに、由香がお兄ちゃんのことを好きになってくれて嬉しかったて思ってしまう事。ありがとうって………思ってしまって本当に、ごめんなさい」
雪の言葉は途切れ途切れだったけれど、どれだけ辛かったのかが、どれだけの後悔が、どれだけの自責があったのか悲しいほどに伝わってくる。
「…………うん。………うん。わかったよ」
同じように涙を流す私が雪の事を強く強く抱きしめた。そうしないと雪までどこかに消えてしまいそうに思えたから。
私も辛くて、口に出したくは無いけれど、それでも雪に伝えなきゃいけない事があるから。
「私、両親が死んでからずっと夜が怖かった。でもね、雪があの日、晴さんに会わせてくれた日から次の日が楽しみで夜が怖くなくなっていったの。晴さんは、雪は、二人と過ごす時間は私にとって暗い夜を照らしてくれる光だったんだよ。
だからね。あの日、私を晴さんに会わせてくれてありがとう。一緒にいてくれてありがとう。頼ってくれてありがとう。
晴さんの事を好きにさせてくれて、ありがとう」
それだけ伝えるのが限界だった。口に出したらもう言葉なんか出ないくらいに涙が溢れてしまったから。雪と一緒に私はまた泣いた。日が暮れて、雪が降る中、私と雪だけはお互いを抱きしめ合って涙を流していた。
「ねぇ、本当にこの花でいいの?」
私は手に持った三輪の向日葵を雪に突きつけてそう尋ねた。
「ほんとは良くないかもしれないけどお兄ちゃんが好きだったからいいかなぁって」
雪はのほほんと笑いながらそんなことを言う。全くあてにならない。
「んもう、雪は本当に変わらないんだから」
そうして私達は一つの墓石の前に立ち止まり、悩んだ末向日葵をお供えして手を合わせた。
あの日以降、私は夜眠ることが怖くなくなった。だって私と雪はここにいて、晴さんはきっといつだって私達を見守ってくれている。
こうして三人でいられる日々が私にとって、どんな暗雲も払いのけ、暗い夜さえも照らす眩い光なのだから。
暗い夜の灯りになれば @himagari
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