第8話 記憶
サキ姉ちゃんの家からの帰り道、俺もグランマもしばらく無言だった。
だが、例の神社の石段をゆっくり登りながら、グランマは独り言のような口ぶりで話し始めた。
「あたしの母さんも婆さんも霊媒師もどきの商売やってたけど、あれがインチキだったのはとっくに知ってるし、あたしに力がないことだって、あたしもサキ姉ちゃんも十分分かってるさ。あたしどころか、神様だっていないことも知ってる。けど、縋っていたいんだ。75年経とうが関係ない。姉ちゃんは今でもトシオさんの帰りを待っているし、あたしはあの日の生々しい夢を見てしまう。あたしらの戦争は終わってない」
「あの日って何ですか?」
石段を登り切る。手水の近くに置かれたベンチにグランマは腰を下ろした。
俺も隣に腰掛けた。
鎮守の森が春の青空を暗緑色の影で切り取っている。
「あたしはこの村の生まれだけど、お嬢様だったから、女学校は川岸市の中心部の学校の寮に下宿して通ってたんだ。と言っても、当時は戦争中で授業なんてまともになくて、軍需工場で働かされていたけれど。でも、その合間にみんなで歌を歌ったり、誰かの親からこっそり差し入れられたわずかな菓子を分け合ったり、楽しくやってた。あんな世の中だったけど、あたしたちには夢があったし、青春があった」
遠くを見つめるようなグランマの瞳はいつもより険が減っていた。少女時代の心持ちに戻っているのかもしれない。
「けど、昭和20年の5月の夜だった。川岸空襲さ。空襲って知ってるかい? 空から爆弾が降ってくるんだ。市街地は焼け野原になり、あたしたちのいた学生寮も燃えてしまった。……寮だけじゃなく、先生や友達も何人か燃えた。知らないおじさんやおばさん、子供も老人もみんなみんな燃えた。あたしの目の前で。何もできずに、助けを求める友達を振り切って逃げた。何で自分が生き残れたのか、今でも不思議さ。絶対に生き残ってやるとは考えてたけど、そんなん死んだ人達だって同じさ」
「サイレンの響き、焼夷弾が降ってくる音、飛行機のプロペラ音、人のうめき声や血の臭い、人が焼ける臭い、その後の腐臭。全部思い出せる」
すうっと息を吐くと、グランマはこちらに刺すような視線を向けた。
「あんた、軍人さんだったんだろ? やっぱり、人が死ぬのは沢山見たのかい」
俺は黙って首肯した。
「自分で殺したことは?」
「……あります。いちいち覚えていられないくらいに。兵士も民間人も、老若男女、王家のためならと手にかけました」
グランマは深い深いため息をついた。
「ほんの少しの死を70年以上も引きずっているあたしやサキ姉ちゃんは、さぞや変に見えるかい?」
そんなことない。二人から生々しい悲惨で残酷な死の記憶を聞かされ、心が改まりました。
そんな模範解答を口にすべきだったに違いない。
けれども、俺は嘘がつけなかった。
「はい。もちろん、お二人とも大変な思いをされたと思いますし、とても悲しいと感じました。でも、70年以上も戦争でもたらされた死に納得できずに引きずる気持ちは理解できませんし、自分の過去の行いを心から悔いることができないのです。共感しなきゃ、反省しなきゃとは思うのですが。……できない」
知らぬ間に涙が流れ落ち、膝の上に置いた拳に落ちた。生温い。
「この薄情者!」と怒鳴られるのを覚悟したが、いつまで待っても怒鳴り声は聞こえなかった。
やがて、シワだらけの両手が伸びてきて、俺の頬を包んだ。
ザラザラとした手は冷えていた。
鬼婆のように両目をまん丸に剥いたグランマは、両手で愛おしむように俺の頬を撫でながら絞り出すように言った。
「……かわいそうに」
その言葉に秘められた意味をあれこれと頭で解釈する間もなく、堰を切ったかのように、両目から涙が溢れた。
無意識に嗚咽まで漏れてしまう。
何で泣いてるのか自分でもよく分からなかったが、無性に悲しくて、悔しくて、そして自分自身が嫌でどうしようもなくなった。
ごめんなさい、ごめんなさいと何に対するものかも分からぬ謝罪の言葉を俺はうわ言のように繰り返した。
グランマは突然子供のように泣き出した俺を、強く強く抱きしめてくれた。
やっぱりこの人は俺のお婆様だ。
線香とぬか漬けの匂いのする胸に顔を埋め、骨張った手に頭を撫でられるととても安心した。
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