第15話 改めてよろしく

「お前、昨日公園で斎藤と話したの?」


 帰宅後、ネクタイを解きながら眼鏡が尋ねてきた。昨晩からの喧嘩はなかったみたいな穏やかな口調だった。

 俺は台所でルサンチマン王国の郷土料理『ニーチェ鍋』に隠し味の砂糖を仕込んでいるところだった。


「ああ。俺を女子と間違えたらしくて、陰茎を露出してナンパしてきた。この世界ではああいうナンパ方法もあるのか?」


「ねーよ。犯罪だから絶対やんなよ」


「いや、俺はやらないけど。どうしてお主が知っているんだ?」


「ん、ちょっとね」


 俺の質問には答えず、テーブルの前に腰を下ろし、テレビをつけ、リモコンで何やら操作をし始める。

 人に聞いておいてそれはないのではないかと抗議すると、眼鏡はめんどくさそうに反論した。


「お巡りさんには家族にすら言えない秘密が多いんだよ。お前だって仕事上の秘密あっただろ」


「仕事以外で深く関わる人がいなかったから、意識したことはなかったが、言われてみればそうだな」


「前からうっすら気づいてたけど、お前ちょいちょい闇深いよね。……俺が考えた設定では、肩書きは確かに『闇の騎士ナイト』だったけど、もっと真っ当というか、なんだかんだでお姫様と結婚してガキ作って、普通に太陽の下歩いてる系だったはずなんだけど」


 発狂する程嫌がっていた設定資料集の話題を自ら出すとは、心境の変化でもあったのだろうか。

 湯気の上がる鍋を慎重にテーブルに運ぶ。


「違って当たり前だろう。俺はお主の妄想の産物ではない。実在する人間だ」


 実在するからこそ、俺の人生はままならない。現実は妄想のように都合良くできていない。


「……お前、本当に存在するんだな。俺の妄想じゃなくて」


「だから何度も言っているだろう。俺は今、この時をここで生きている」


「……何か、ごめん。俺の頭がついに逝っちゃったのかと思って、つい」


「気にするな。異世界人で、しかも自分が昔考えた理想の自分にそっくりな男が現れたら、誰だって混乱する」


 立場が反対だったら、俺も素直に眼鏡の存在を受け入れる自信はない。

 昨日は逆上してしまったけれど、冷静に考えると眼鏡の反応は無理もないものだった。

 俺も不幸が重なって、余裕がなかった。

 もうこの件は、おあいこにしよう、仲直りをしようと提案すると、眼鏡は気恥ずかしそうに微笑んだ。


「改めてよろしく、サツマ様」


「こちらこそ」


 ボニー様。まだ分からないことだらけだけど、落ち込んだりもするけど、俺は元気です。

 眼鏡ともうまくやっていけそうです。


「あのさ、昨日から思ってたこと、言ってもいい?」


 一緒に鍋を囲んでいると、不意に眼鏡が切り出した。


「何だ?」


「文化の違いなんだろうから、言っていいのか迷ったけど、この鍋まずい。鍋にプリン入れるとかありえない。あれ俺がデザートにしようと楽しみに取っておいた奴だったのに。というか、朝飯の謎の小麦粉飯もキツかった。しばらく飯は俺が何とかするから、こっちの料理覚えてくんない?」


「……分かった」


 言いたいことは沢山あったが、住まわせてもらっている手前、我慢した。


 箸を置いて、眼鏡は続ける。


「あとさ、お前さ、昨日テレビのコンセント抜いただろ」


 抜いた。テレビがあまりにつまらなくて、うるさくて嫌だったから。

 だがそれが何だと言うのだろう。


「おまっ、本当さ! そういうのマジやめて! せめて抜いたら一言言ってよ!」


 眼鏡は急に興奮して、テーブルを拳で叩き、悲痛な声を上げた。

 人のことを闇が深いとか異常者扱いするが、こいつもかなり危険だと俺は思う。


「昨日の『魔法少女マジカル⭐︎ガールズ』撮れてねーじゃんかよおっ! コンセント抜いたせいで、録画タイマーリセットされたせいだ。深夜だから録画して見てたのに。マジガーが今期の俺の生きる活力だったのに! くっそ、アンナとマコ先輩の因縁の対決が見れないじゃねえかよお。絶対神回だっただろうに。マジガーはネット配信出ないし。あー、もーやだあ。明日から仕事行きたくないぃ。ニートになりたい」


 死にかけの魚みたいに、ビチビチと悶える眼鏡はものすごく気持ち悪かった。


 ボニー様。申し訳ありません。前言撤回です。

 白波薩摩は俺と外見や名前こそ似ていますが、俺と違って、性根が腐っただらしのないダメ人間です。

 早くこの気持ち悪いクソ眼鏡と決別し、あなたの待つルサンチマン王国に帰りたいです。

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