第4話 しらないせかい
田舎者の家は存外に堅牢だった。
奴の見なりからして、地方にありがちなウサギ小屋みたいな木造の一軒家を想像していたのだが、見事に裏切られた。
2階建の細長い建物の集合住宅だったが、石造りなのかコンクリなのかは不明だが、とにかく丈夫そうな外観だった。
丈夫なのは良い。
田舎者の後ろにつき、外階段で2階に登ると、バルコニーのようになっている廊下があり、廊下添いに各世帯ごとの玄関ドアと鉄格子のついた小窓が規則正しく並んでいた。
随分変わった造りの集合住宅である。
都にもアパルトメントと呼ばれる集合住宅はあるが、石造りの高層ビルが基本だ。
外に面した廊下も鉄格子付きの小窓もない。
「悪いけど、玄関で服脱いでって。家ん中濡れちゃうから」
一番奥のドアの鍵を開けながら田舎者が言った。
涼しい顔で屈辱的な注文をしやがる。
俺が何者か知った上でこの態度とは、神経が太いのか大馬鹿ものかのどちらかだ。
風呂を借りる手前、怒れないのが悔しい。
「どうぞ。狭いけど」
田舎者はスイッチ一つで玄関のランプをつけると、顎をしゃくって促した。
狭いとかいう問題ではなく、ドアの向こうには魔窟が広がっていた。
田舎者の家はまさしくゴミまみれだった。そこはかとなく酸っぱい臭いもして臭い。
ゴミまみれのくせに、靴を脱いで上がらなければいけなかったのが辛かった。
玄関で服を脱がされ飛び込んだ風呂場はカビ臭く、ドアの隙間などに黒カビがこびりついていて不潔だ。
しかし、不潔なくせに簡単に湯を出せる蛇口や洗浄力の高そうな石鹸類と、魔法のような物に溢れていた。
不潔が台無しにしているけれど、掃除さえすれば天国のような家だ。
風呂から出ると、洗濯物が積み重寝られた小棚の上にバスタオルと下着、それに小豆色の衣が置いてあった。
田舎者が準備しておいてくれたようだ。
下着はともかく、小豆色の衣は生まれて初めて見る形状だ。伸縮性のある柔らかい布地で、上着とズボン対になっている。
前開きの上着の胸には『3ー1白波』と書かれたゼッケンが縫い付けられていた。
『3-1』の意味は分からなかったが、この短時間で俺の名前を記したゼッケンを縫い付けてくれたのは奴なりの親切心によるものなのだろう。
ありがたく着させてもらう。
洗い髪をタオルで拭きながら、リビング兼私室と思しきゴミだめに出ると、田舎者が帰宅したままのワイシャツ姿で待ち構えていた。
ローテーブルの前に座った田舎者は胡散臭い笑顔で微笑み、水の入ったコップを差し出した。
「喉渇いただろう? 飲んで飲んで」
「すまない」
「遠慮しないで。ここ座ってよ。ちょっと話そうか。そんなに時間は取らせないからさ」
有無を言わせぬ威圧感がビリビリと伝わってきて、俺は緩んでいた警戒心を高めた。
「サシが嫌なら、こっちのベッドでも良いよ。並んで話そう。そうだ、腹減ってないか? シーチキンあるよ」
田舎者は「よっこいしょーいち」と奇妙な掛け声を上げて立ち上がると、ガラクタの間を器用に縫って近づいてきた。
俺は咄嗟に後退りしたが、何か固い物を踏み、激痛が走る。
蹲って悶絶する俺を見下ろし、田舎者は続ける。
「あーあー。気をつけないと怪我しちゃうよ。俺掃除苦手だからさ。ごめんね。ほら、こっちおいでー、怖くないからね。言いたくないことは言わなくて良いよ。ただ正直にお話ししてくれれば良いだけ」
怖くはないが、猫撫で声も引きつった笑顔も猛烈に気持ちが悪い。
おまけに、明るい部屋で見る田舎者の顔は、もはや他人の空似では片付けられぬ程に俺そっくりだった。
付いていく相手を間違えたか。
「大丈夫、大丈夫。俺、こういう者だから」
田舎者は俺のすぐ側にしゃがみ、縦長の折り畳み式の手帳のようなものを掲げた。
奴の身分証だろうか。紺色の制服を着た田舎者の非常に写実的な絵の下には、
『静玉県警察 巡査長 白波薩摩』
と記されていた。
「けいさつ? しらなみさつま?」
「そ、こう見えてね。びっくりしたよ、君、俺と同姓同名なんだもん。表記の順序は違うけど、君もシラナミが名字でサツマが名前だろ?」
田舎者、じゃなくて警察に勤めているらしい白波薩摩は妙に親しげに笑いかけてきた。
おかしい。
ここは俺が知っている世界とは違う。
一度は蓋をした疑念がむくむくと育ち始めていた。
ルサンチマン王国の警察官の制服は手帳の絵の中で白波薩摩とやらが着ているものとは全く異なるし、いくら田舎の下っ端警察官でも、国中の有名人である近衛師団長の俺を知らないなんてあり得なかった。
「ここはルサンチマン王国だよな?」
恐る恐る尋ねると、白波薩摩はにべもなく言い切った。
「違うね。日本だよ。ルサンチマン王国とやらがどこにあるか知らないけど、君が住んでる設定……じゃねーや、君の母国はどんな国なの? さっきから俺たち会話できてるし、君、日本語も読めてるみたいだけど、ルサンチマン王国も日本語使ってるの? お巡りさんに教えてよ」
急死に一生を得たと思っていたのだが、俺はやはり死んだのかもしれない。
そして、地獄の一地域である『日本』という国で自分そっくりの同姓同名の悪魔に裁かれる罰を受けているのだ。
「ここは地獄なのか……」
情けない、かすれた声をやっとの思いで絞り出した。
「うーん。地獄みたいなことも結構あるけど、あの世とかこの世って意味で言ってるのなら、ここはこの世だね。俺も君も生きている」
地獄だと認めてくれた方が何倍も良かった。
俺は死にかけた拍子に、全く異次元の世界に飛ばされてしまって、そこには自分の一卵性双生児のような男がいて……。
あまりに荒唐無稽で受け入れ難い、けれども一番納得のいく正解を受け止められず、めまいがした。
白波薩摩はふらついた俺の肩を抱き、囁いた。
「床に座ってるのも冷たいよ。ベッドに座って話そう」
逆らいたくても、体に力が入らなくなってしまっていた。
しらないせかいでこれから、俺はどう生きていけば良いのだろう。
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