第2話 本当に怖いものは……
これを見ているあんたにとって怖いものって一体なんだ?
きっとあんたが思っているのは予測出来ない天変地異だとか実体のない幽霊あたりだろうか。昔から変な出来事が周囲で度々起こって、それを間近で経験してきた俺でも天変地異や得体の知れない幽霊は怖いと思う。いくら動かないはずのオルゴールが鳴ったり、ドアノブがガチャガチャ鳴るような現象が起きる家に住んでいたからといって怖いものは怖いのだ。きっとあんたもそうだろが、きっと他にも怖いものはたくさんあるだろう。数えたらキリがない。
怖いものといえば地震、雷、火事、親父だって? またあんたも古臭いことを知ってるな。でも、それはあくまで一般論だろう。さすがにこの時代に親父が怖いだなんていう奴がいるかは知らないけどな。
え? 俺の家は嫁が怖いって? まぁ、それはあんたの家の事情だろう。それにあんたの家の嫁が怖いのはあんたが夜遊びばかりしてるからだと思うぞ。
とにかく話を戻していいか?
俺が言いたいことっていうのは本当に怖いものなんて世の中にはたくさんあるってことだ。もちろんあんたにとっては嫁なんだろうけどな。
そう、本当に怖いのは……。
名古屋で就職した友人から電話がかかってきた。電話の内容は『今度、彼女を連れて地元に帰る』という内容だった。きっと向こうで作った自慢の彼女を俺に見せびらかしたいのだろう。電話のスピーカーから漏れ出るうるさいまでに弾んだ声が何よりの証拠だった。
あいつの自慢話は学生だった頃から度々聞いているが、どうにも要領を得ない。自慢するだけならどこか他でやってほしいものだ。
だが、電話の内容というのはただの自慢話だけに留まらなかった。
友人曰く、帰ってくるはいいが、旅費などの関係で帰ってくることは出来るが泊まる場所がないということらしく、かといって実家に連れていこうにも泊まれる部屋がないということで地元の頼れる友人である俺の元に白羽の矢が立ったということだ。こういうときだけ頼れる友人とか言わないでほしいがな。
まぁ、俺のほうとしてもその自慢の彼女とやらの顔を一目拝んでみたかったという気持ちもあってか、友人の頼みを受け入れることにした。
だが、これが後に俺にとっての災厄をもたらす前兆だとはこの時は思ってもみなかった。
連絡があってからしばらくして名古屋から友人が彼女を連れて地元に帰ってきた。久しぶりに見た友人の顔は学生時代とほとんど変わりなかったが、お互いに少しばかり社会の荒波っていうものを経験したせいかわずかだけど大人びて見えた。
ちなみに件の彼女とやらはずいぶんとまぁ友人にはもったいないくらいの美人で、こいつの彼女ってどんな奴だろうか、と色々と脳内シュミレートしていたにも関わらずへぇ、とため息を漏らした。
友人は予想していたのかどうかは知らないがそんな俺の反応に満足した様子でにやりとあの懐かしい笑みを浮かべていた。もし、横に彼女がいなかったら顔面をぶん殴ってやりたいくらいにイラッとしたが、そんな俺でも心の中ではいい人が見つかって良かったななんて柄にもないことを思っていた。
久しぶりに会った友人とその彼女を連れて夜の街をぶらぶらとしながら彼らのいきさつやら地元であった出来事なんかを話ながら楽しい時間はあっという間に過ぎて、その日俺は仕事明けだったこともあってか夜が深くなる前には俺の部屋に戻っていた。
俺の部屋はお世辞にも広い部屋とはいえず、三人も入れば少し窮屈になるくらいの大きさしかない。とはいえ、当時パイプベッドを寝床としていた俺は女の子特有の甘い香りなんて全くしない、自分の匂いの染み付いたベッドに一人登るとその下で身を寄せ合うようにして眠りにつこうとする二人を見ながらそっと部屋の明かりを落とした。
真っ暗な部屋の中で目を閉じると、仕事疲れもあってかすぐにうとうととしだす。
ああ、これはすぐに眠れそうだな。そう思いながら下にいる二人のことを思う。二人は俺が寝ていると思っているようで、わずかに聞こえる甘い愛の囁きがひそひそとまるで内緒話のように聞こえた。
ま、あとは二人仲良くやってくれや。俺は一足先に眠るとするよ。
そうしてかろうじて保っていた意識をそっと手放そうとした──その時だった。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
真っ暗な闇の中で聞こえた悲鳴とも叫び声ともいえない声に俺は跳ね起きた。その拍子に天井に頭をぶつけた。だが、そのかいもあってうとうとしていた意識はすぐに引き戻され、慌てて部屋の明かりを点けた。
パイプベッドから見下ろすとそこには泣きじゃくる彼女と必死にそれを宥めている友人の姿。俺は一言「何があった?」と尋ねると彼女のほうはふるふると首を振るばかりで、友人のほうもなにがあったのかわからない様子。
その時、俺は大方虫でも出たのだろうと思っていた。古い家だし黒い円錐形の物体もしょっちゅう見かける。季節も夏ということもあって活発に動き回っているみたいだしな。けれど、彼女の答えはそんな生易しいものではなかった。
友人がなんとか彼女を宥めるとようやくその重い口を開いてくれた。彼女の話を聞くとどうやらわずかに開いた襖の隙間から誰かがこちらを覗いていたというのだ。友人はその話を聞いてそんなわけないよ、何かの勘違いじゃないか? と言っていたが俺は友人の彼女が発したその言葉に背筋に汗が流れ落ちるのを感じていた。
暑いからじゃない。思い当たるフシがあるからだ。
そこで俺は彼女にいくつかの質問をしてみた。
髪は長かったか?
着ている服は?
どんな特徴があった?
事情を知らなければどれも不思議な質問だったと思う。けれども彼女は震える声で丁寧に答えてくれた。
そして俺は理解した。彼女が一体何を見たのかを。
不可解な出来事に遭遇してばかりいる俺だが実は幽霊そのものというのは見たことはない。せいぜい、『あ、何かいるな』とか、触ってもいないのに物が動いたりだとか、あとは聞こえるはずのない声が聞こえたりとかその程度のものだ。
だが、幽霊を見たことのないはずの俺にはある一つのイメージがある。イメージなんて言い方をするとなんだか漠然とした物言いに聞こえるかもしれないが、俺には“それ”を一つのイメージとしか言いようがない。
俺が持っているイメージというのは俺が寝ているパイプベッドの下から長い黒髪の服装は白いワンピースを着たドリンク剤とかビールのCMに出ている某女優にそっくりな女性がこちらをじっと見つめているイメージだ。
俺がイメージと言い張るのには訳がある。俺はそれを自分がこの目ではっきりと見たわけではない。知らない間に頭の中にそのイメージが紛れ込んでいたのだ。夢を見ていてたまたま覚えていたのであればそれは夢だと言い切ることが出来るんだろうが、残念ながら俺はそんな夢を見たことがない。じゃあこのイメージはなんだ? これを書いてる今でもそれは謎のままだ。
俺はそんなイメージを抱えている。だが、それを彼女に話したことはない。もちろん友人にすらだ。それに俺の家が不可解な現象の塊だということも話してはいない。
なのに彼女は“見た”と言う。それなら間違いなく彼女はそこに“いる”のだろう。
その日は結局、眠ることも出来ずそのまま朝を迎えた。
次の日友人たちは当初の目的どおり親戚の家を訪ねるということもあって俺の部屋から離れた。正直、あんなことがあったばかりだ。出来るだけ離れたいというのもあったのだろう。俺にはそれが残念であったが、同時に友人たちのことを思えば安心もしていた。
しかし、そんな思いを持っていても昨日の今日で不安が拭えるわけもなく、その日俺は親しい友人二人を部屋に呼び込み、眠れない夜を過ごすための犠牲者もとい協力者として泊まってもらうことにした。
最初は急な話だと二人して笑っていたが、昨日あったばかりの事情を話すとその顔から笑顔がプツリと消えた。
どうやら二人の話を聞くと、以前からこの家には何かあると気付いてはいたが、それを口に出せば俺が不安がるからということで黙っていてくれたらしい。友人二人の心遣いは大変ありがたかったが、出来れば状況を考えてほしかったというのが本音だ。
二日後、名古屋の友人たちが帰る前日に再び、あのいわくつきの部屋に泊まることになった。
さすがに彼女のほうはこの部屋に泊まることを渋っていたそうだが、この部屋以外であれば、泊まるところなんて公園のベンチか橋の下しかないということで、それならまだこの部屋のほうがいくらかマシだろうということで無理やりに納得してもらったそうだ。もう少し言い方を考えてもらいたいものだ。
三人して再び怯えた夜(俺にとってはあの日以来毎日が怯えた夜だった)を過ごすことになったが、結局その日は何も起きなかった。幸いといえば幸いだった。
平和な朝を迎えて気持ちのよい目覚め。なんだか久しぶりに感じた充実感だった。
そして別れの時。
彼らは俺に駅のホームまで見送りに来てほしいと頼んできた。ドラマのラストシーンじゃあるまいし、それに面倒くさいとも思ったが、またしばらく会えなくなるのであればそれも仕方ないと思い、それを了承した。
ホームに彼らを元いた場所に帰すための電車がやってくる。開いた乗降口に彼らが乗ると、トゥルルルルと電車が動きだす合図が聞こえた。お互いにどう声をかけていいやらわからず、ただ黙ったままだったが、案外こういった別れ方も悪くないと思った。
そしてドアが閉まる直前、ずっと沈黙を保っていた友人がそっと口を開いた。
「ずっと言おうかどうか迷っていたんだけど、やっぱり言う事にするわ。お前の部屋の窓あるだろ? あそこからいくつもの白い手が伸びてきて、お前をどこかへと引きずり込もうとしていたから気をつけたほうがいいぞ」
そう言ってプシューと、電車のドアが閉まった。
お、おい、今なんて言った!?
走り出す電車に思わず駆け出す。側から見れば友人との別れを惜しむ感動の場面にも見えなくもないが、生憎と俺はそれどころじゃない。事の真相を正さないと俺の安眠が……。
だが、無常にも二人を乗せた電車は次第にスピードを上げて見る見るうちに遠ざかっていった。
駅のホームでは呆然とした顔をしていた俺だけが取り残された。
小さくなっていく電車を見つめながら俺は思った。
本当に怖いのは幽霊なんかじゃない。それよりも事実だけを残して去っていく友人なのだと。
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