嘘つきとの上手な暮らし方
東雲みさき
いつでも始まりは突然に
都心から少し外れたベッドタウン。会社員の唯川 修平とその妻の歩美、一人娘の千紗はまだ幼稚園の年少さんでまだ生活に慣れない。同居の夫の両親で信治と千代子。
ありふれた、何処にでもある、本当にありふれた普通の家庭。
毎朝同じ時間に起きて、三世代が食卓を囲む。
「肉じゃが、味が染みて昨日より美味しいねぇ。ママが料理が上手でよかったね、ちーちゃん。」
祖母は料理があまり得意ではなかった。ただ、裁縫は本当に職人のようで、洋裁も和裁も綺麗に仕上げてくれる。幼稚園の給食袋は全て千代子お母さんが作った。
「あゆちゃん、ごめんね。いつもご飯のこと任せちゃって。」
「気にしないで下さい。私も千代子お母さんがお裁縫上手で助かってますし。」
「呉服屋の娘にはこれくらいのことしかできなくて。本当に、お嫁にきてくれてありがとう。」
千代子お母さんは時々、ご飯拵えのお礼から嫁いだことへのお礼にまで話が飛躍してしまう。
「オフクロはいちいち大袈裟すぎるよ。朝ごはんくらいで。」
「修平!アンタなんかお皿運ぶわけでもなく座って食べて御馳走様も言ってないでしょ!?嫁をなんだと思ってるの!お父さんも!」
全く関係ない信治にも攻撃が始まってしまった。
「お母さん、私のことはいいんですよ。本当に何不自由なく暮らせてるのは修平さんのおかげですし、同居を許してくれたお二人のおかげです。」
「うちはほとんど男兄弟みたいなものだけど、誰も同居したがらない。あゆちゃんが自分の娘以上にかわいい。」
千代子はいつも“ほとんど男兄弟”と言うが、修平にはお兄さんも弟も居るが、お姉さんだって居る。女、男、男、男の四人兄弟の次男坊。兄の隆典は二人が結婚する少し前に通勤に不便もなく、土地としての価値も高い都心部にマンションを買ったからと同居を断った。姉の恵美子はもし困ったら病院に頼るしかないと同居を見るからに嫌がった。その頃、弟の雄大は交際している相手はいたものの、結婚の話までは煮詰まっていなかった。
そんな時に信治が倒れた。軽い脳梗塞だった。たまたま、千代子にお茶でもと誘われて歩美が来ていた時だった。歩美は医療事務として働いていたが、必要最低限の救命措置は専門学校の講習で心得ていたし、どんな時に何をすべきかをわかっていたから大事には至らず、後遺症も軽度で済んだ。咄嗟の判断が出来る嫁として、結婚前から千代子に気に入られていた。
しかし、正直な所は歩美は同居に乗り気ではなかった。揉めるのが落ちだと分かっていた。だが、結婚すると決めたものの、新居を探すことにも疲れかけていた。
引っ越しの費用もいくらなのかイマイチはっきりと分からないし、新居が決まってないのだから見積もりを出してもらうのも気が引ける。住む場所をどこにするだのを言い合ううち将来を見据えて心配しか募らなかった。妊娠したら修平の給料だけでやっていけないのは見えていたし、結婚ってもっと幸せに溢れているものなのではないかと。こんなに不安ばかりが募っていくのは、この人と結婚をしない方がいいという暗示ではないのかと。
そんな歩美に声をかけたのが千代子だった。
「引っ越し先が見つかるまでうちで暮らせばいい。見つかればいつでも引っ越せばいいし、そのまま住み続けても構わない。二階は物置状態だから、片付けて使いたいようにすればいい。」と。
修平もそれに賛同した。「それなら仕事を続けても構わないし、専業主婦になってもいい。ご飯だって、母さんと当番制にして分担したらいいじゃないか。」と。
同居を希望する親世代が使う常套句なのは、歩美でも察しがついた。それに修平の言い方にも幻滅した。仮にも“二人の問題だから、少し話し合いたい”とか上手く言ってくれたら良いのにと。
「歩美さん、この家はお父さんのお父さんから継いだものなの。正直、修平が家を出たら私とお父さんだけだし、広すぎて寂しいのよ。気を悪くしたら御免なさいね。でも他の兄弟達は一緒に住みたがらない。もう手離すしかない。そのまま二人が継いだとしてもいい財産になると思うの。貴方たちが母屋を使って私達は離れに住んでもいいのよ。これからは貴方達の世代がなんだから。」
都心から外れた修平の実家は、ベッドタウンだからこそ広い敷地を持っていた。母屋と離れ、それに蔵まで。確かにいい財産である。けれど歩美は家事がこの上なく苦手だった。炊事はまだ出来る方で定評があったが、掃除なんて四角い部屋を丸く掃くような性格で一緒に暮らせば直ぐボロが出るのが手に取るように分かる。それにこんな広い家だ、朝から掃除したとしても一日が終わってしまう。
「お母さん、お気持ちは嬉しいです。でも…私、掃除や洗濯が苦手で毎日できないんです。週末にまとめて洗いたいし、掃除や片付けなんてもう目も当てあれないほどなんです。」
一気に歩美が話すと千代子は大笑いして、お料理は?と聞いた。
「歩美の飯は上手いよ。飯だけは作れる。」
本人が答えるより先に修平が答えた。
「それなら安心ね。私、お洗濯と掃除は好きなの。だけどお料理はね、」
そう言いながら、笑って修平を見る。
「うん。オフクロの飯は凄いぞ。日によって味付けのムラがすごい。」
「味付けって結構難しいのよ。修平は毎日作るわけじゃないからわからないでしょう?」
二人のやり取りを見て、親子という言葉を羨ましく思った。歩美は母親と仲が悪く、一緒に住んでいるのに父親と通さないと連絡すらしなかったし、母が生きているのか死んだのかさえ興味がなかった。
「私はお掃除とお洗濯はする。でも、二人の主要スペースは立ち入らない。見られたくないものもあるだろうし。洗濯はカゴに入ってたら迷わず洗う。洗われて嫌なものはカゴには入れない。私もお父さんも二人のことに干渉しないし、離れに移るわ。」
千代子がここまで言ってしまったのでは、歩美はもう何も言えない。それなら、と言うのが精一杯で、隣で修平は目を白黒させていた。
「でもお母さん。離れに移るのはやめてください。せっかく、家族になるんです。同じ家でいいじゃないですか。」
この人となら、親子になりたい。結婚は本人たちだけのことではなく、家族同士の問題、という父の言葉を思い出していた。
そうやって半ばやっつけ仕事のように、同居が始まった。嫁が同居を嫌がる世なのに、嫁いで同居までしてくれるなんて幸せなことだと千代子は羨ましがられ、嫁の理解があったからこそだと千代子が歩美を立てたものだから、歩美は出来た嫁だ、鏡だと持て囃された。歩美も歩美で、修平さんと結婚できれば住む場所なんて関係ない、千代子お母さんは優しいし義母ではなく本当の母のようだと返した。
車の免許がない千代子を誘い、歩美と千代子は時々二人で買い物に行ったり、千代子とその友人が出掛ける時は運転手役を歩美が買って出た。信治の通院も千代子がタクシーを呼んで行っていたが歩美が付き添った。周りはいい嫁だと盛り上がり、最終的に株が上がったのは修平だった。あんなにいい嫁を貰えるなんて幸せだ、いい男だと。惚れ込まれて幸せだと言われ、修平も浮かれ気味に毎日が過ぎていった。
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