第6章 結びの挨拶
第72話 夫の熱狂的な信奉者
「な、何をしたんだ?」
「少し脅しただけだ」
「少しの脅しで、この女が泣くわけがないだろうが!」
目の前で男二人が言い争っている。
バイレッタは泣き続けながら、ここはどこかと首を傾げた。
頭はしっかりしているのだ。涙が止まらないだけで。
慌てたヴォルクはとにかく馭者を急がせた。
てっきりスワンガン伯爵邸に送ってくれるものだと思っていたが、抱きかかえるように馬車から降ろされれば目の前には見知らぬ館が建っていた。
そのまま馬車は庭先を出て行ってしまったので、バイレッタはヴォルクに案内されるままに応接室のような部屋のソファに座っている。
すぐに顔を出したのはエミリオだ。
ここはエミリオの自宅なのかと訝しんだが、なぜ自分が連れてこられたのかはわからなかった。
エミリオも自分が泣いているのに気が付くと、ぎょっとしてヴォルクに詰め寄ったのでわりと放置されていることになる。
状況を説明してくれないだろうか、とバイレッタは思うのだが涙が止まらなくて迂闊に口を開けない。きっと口を開いても嗚咽できちんと言葉が紡げないのは簡単に想像できる。
みっともないし、悔しいのでしばらくは黙っておくことにした。
目の前の男二人は言い争うことに忙しいようだし好都合だろう。
「連れてくるにしてもやりようがあっただろうが。なぜ泣かせる」
「連れてこいとしか言われていないからな」
「お前はどうしてそう短絡的なんだ!」
「エミリオには言われたくない。連れてくる先がここではつながりがあるとバレるのも時間の問題だろうが」
「バレても支障はないとの判断だ。むしろ、バレないと人質の意味がないだろう。そうすれば相手も迂闊には動けないだろうからな」
「そうは言うが、本来の護衛だったサイトール中尉はあっさりと彼女の護衛を俺に譲ってくれたぞ。おかしいと思わないのか。上官からの直々の命令を同僚に頼まれたからって簡単におりたりしないだろう」
「それだけあの男に人望がないのでは?」
「馬鹿な…それまでも有名だったが、南部でさらに名を上げた男だ。どうやったか知らんが、一部に熱狂的な信奉者もいる。サイトール中尉もその一人だ」
そこで二人は睨み合いながら黙る。
不穏な単語がいくつか出てきたので、バイレッタも黙ったままだ。
そもそもしゃくりあげることしかできないけれど。
バレる、人質、本来の護衛、あの男?
話から察するにアナルドが本来バイレッタの護衛につけた者は別の人だということだろうか。
それをヴォルクが代わるように頼んだらしい。つまり、彼がきたのは夫の嫌がらせではなく何かの計画の一部だということだ。だが、それが誰の思惑かはわからないというところだろう。
熱狂的な信奉者というところでウィードの姿が思い浮かんだ。そのサイトール中尉とやらも下の世話をしあった仲なのかもしれない。それならば、結束は固そうだ。男たちの熱い事情にはイマイチ共感が持てないが。
「はっ、どうせ迂闊なことをしたんだろう」
「エミリオが失敗しなければ、俺の出番はなかったんだ。急な計画の変更はどうしたって無理がある。今日だって屋敷から一歩も出ないかと思えば普通に職場に行くような女だぞ。行動が読めないのに計画通りにいくものか」
「それは…っ、バイレッタ=ホラントのせいだろう」
瞬時に激昂したエミリオが泣いているバイレッタを見つめた。つられて、ヴォルクも視線を向けてくる。
男二人に見つめられて、バイレッタはとりあえず瞬きを繰り返した。
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