閑話 妻の貸し出しお断り(アナルド視点)

妻と最後に顔を合わせてから、1週間近くが経つ。

彼女も昨日、スワンガン領地から戻ってきたそうだ。

帝都にいても自宅に帰れない日々だが、ひとまず家令のドノバンを通じてバイレッタの動向だけは聞いていた。今日は仕事に行くと話しているとのことで、妻の精力的な働きぶりには感心してしまうほどだ。


「おい、アナルド、手が止まってる」


帝都内の地図を見ていた筈だが、いつの間にか視線は空中を彷徨っていた。

目を向ければ、軍本部の薄茶色の壁紙が見える。


だが、脳裏には夜が明け始めた薄明かりの中にそっと眠る妻の顔が思い起こされた。

疲れ切って眠る姿に、征服欲が満たされる。

同時になんだかむず痒いような気持ちになるから不思議だ。居心地が悪いわけではないのがますます混乱する。


「おい、アナルド。聞いているのか?」

「ああ、聞いているさ」

「なら、さっさと作業を続けろよ。家に帰れなくてイライラしているのはお前だけじゃないんだからな」


珍しくジョアンが素直に家に帰りたいと吐露している。それだけ余裕がないということだろう。

自分も家に帰れるなら、帰りたい。

戦時中でもないのに、狭い部屋で軍人たちが四六時中顔を付き合わせている異空間から解放されたい。なぜ南方戦線から解放された帝都でこんな目に遭っているのか。

家には信じられないくらい可愛い妻が待っているというのに。


「まあ、これを纏めたら帰ってもいいよ。もうすぐ出来るならね」


悪魔が悪魔なことをさらりと告げてくる。


「終わるんならとっくに帰ってますよ!」


ジョアンが天井を仰ぎながら、叫んだ。狭い部屋なのだから、すぐに音が反響する。


「あはは、あまりに帝都での爆発騒ぎが頻繁だからね。作業が全く進まないねぇ」

「理解しているのだったら、もっと人手を増やしてくださいよ。現場に派遣して情報集めて解析して…とてもじゃないが二個大隊でできる仕事じゃないですよっ」

「君たちは優秀だからつい頼ってしまうんだよね」

「優秀ってのはわかってますよ。だからこそ、乗せられたりしませんからね。俺は家に帰りたいんだ!今すぐ人員を増やしてくれっ」


ジョアンの悲鳴じみた叫びにさすがの悪魔なモヴリスも考えを改めたらしい。


「じゃあ、その地図抱えて場所を移動しようか。そうだな、作戦会議室なんてどうだ」

「あんたは鬼ですかっ?!」

「だってここだと人を増やせないだろう?」

「それはそうですがっ! だったらなんでこんな狭いところでやりはじめたんだよっ」

「極秘任務だからだねぇ」

「大隊2個も動かす極秘任務があってたまりますかってんだっ!」

「ジョアン、閣下に遊ばれているだけだから少し落ち着け」


地図の上には大小さまざまな駒が置かれている。爆発の規模と投入された人数を表す駒だ。地図を動かすだけで、せっかく配置した駒が一瞬で転がることは目に見えている。地図の上に貼り付けてあるわけでもない。


今、地図が置かれている部屋は、もともと物置として使用されていた場所だ。そこの真ん中に大きなテーブルを配置しているため、大人が10人ほど入るのが精々だ。

今は8人ほどで作業をしている。だがやはり狭いと感じてしまう。


地図の上には小さな紙が置いてあり、クーデターの情報が書き込まれている。

何日の何時に爆発騒ぎや襲撃が起きて何人が襲撃犯として目撃されているのか。爆発の規模と死傷者の数が事細かに記されている。そこからクーデターの規模を把握し、主な拠点を割り出すためだ。


置かれた駒は情報統括本部、佐官以上の上官向け宿舎、練兵場、ソイヤ大将の屋敷、ナポートマン中将の屋敷など軍関係施設と上官の屋敷だ。主に戦勝会で地位が上がった者たちが襲われている。もちろん、モヴリスもその中の一人だ。彼は馬車に乗り込んだところを襲われた。


「クーデターってのは奇襲が基本だ。戦略的には可及的速やかに少数部隊での鎮圧が重要だが、編成は技能だけでなく信頼関係が大事だろう」


そんな状況なので、誰が味方で誰が敵かわからない。

クーデターを扇動しているのが立法府の議長であることは揺るぎないが、実際に軍のクーデターの指揮を執っている最高幹部が誰かは不明だ。推測では立法府から派遣された裏切り者が軍にいて、それなりの地位についているのだと考えられているが尻尾を出す気配はない。そのためこちらも大っぴらにするわけにもいかない。

今回、クーデターを阻止する指揮を任されたモヴリスのお眼鏡にかなった人物たちが集められ、極秘に情報の収集と分析を任されていた。襲撃の処理は大軍を使って大規模に行うが、集約された情報を精査するのは少人数となっているのだ。

だからといって、部屋を狭くする必要は全くないのだが。


「スワンガン中佐の言うとおりだ。諦めて手を動かすんだな」


オズーン少将ががははと豪快に笑う。狭い部屋に反響して頭が痛くなってくるほどだ。

体も大きいので、全体的に暑苦しい。

彼の右隣にいた細身のナミライ大佐が苦笑する。


「ガクレマス中佐の意見にも大賛成ですけどね。スワンガン中佐も愛しの奥さんのもとに帰りたいでしょうから気持ちは同じでしょう」

「どいつもこいつも奥さん美人だもんなぁ。羨ましい。でもあれか。スワンガン中佐んとこは浮気性の奥さんだっけか? 俺の相手もしてくれないかなぁ。貸してくれよ」


妻帯者のナミライ大佐の隣にいた独身のトレド大佐に思わず冷ややかな笑みを向けてしまう。


「断固、お断りします」

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