閑話 水面下の戦い(アナルド視点)
久しぶりにスワンガン領地へと来た。
馬車を降りて、領主館の前に立ち並ぶ使用人たちを眺めれば見知った顔が随分と年齢を重ねているのがわかった。
幼かった自分が、成人してかなり経つ。周囲も年を取っていて当然だが、なぜか月日を実感してしまった。
大きかった館もなんだか小さく見えてしまう。不思議な気持ちがした。
バードゥは記憶の中と同じくかくしゃくとしていた。
数年前に父と揉めたとは思えないほどに、穏やかさを保っている。
だがアナルドが驚いたのは使用人たちと妻がすっかり打ち解けているところだ。
しばしば父が領地に連れて行ったことは報告書を読んで知っていたが、これほど仲が良いとは思わなかった。
信奉者がいると父が苦虫を嚙み潰したような顔をして告げていたのを思い出しながら、アナルドは自然と口角を上げていた。
バイレッタは慣れた様子で近況を聞き、指示を出す。
それを眺めていると、到着したばかりだというのにすぐに仕事にとりかかろうとする。領地にいる時間を少しでも短くしたいらしい。
帝都での彼女の仕事も山積みしているのだから当然だろう。
働き者の妻を少しでも手伝えればいいのだが、今のところ自分が手を出すと余計に手間を増やしてしまいそうなことばかりだ。一介の軍人には手出しできない業務ばかりに携わっている。
「それから、さっそく堤防の現場の様子を知りたいのだけれど…」
「それでしたら、先ほど…」
バードゥが言いかけた時に、男の声が聞こえた。
「今、着いたところだ」
裏から出てきた長身の男が、穏やかに声をかけてくる。
赤みがかった髪色に茶色の瞳。よく日に焼けた精悍な顔立ち。整っていると言われる自分とはまた違った男らしい顔つきをしている。
「ゲイル様、よかったわ。すぐに話せるかしら?」
ゲイル様?
妻が親しげに名前を呼ぶ相手を初めて見た。
「誰です?」
「旦那様、こちら領地の水防事業の担当官をお願いしている方でゲイル=アダルティン様ですわ」
ゲイル=アダルティン。
元ナリス王国の部隊長で、王妹を母に持つ男だ。
侯爵家の次男で、剣の腕も確かだと聞いている。スワンガン領地に流れてくる前に縁は切れているようだが、以前は王位継承権第5位だった。血筋は確かで部下からの信用も篤い。
そして、父も警戒するほどバイレッタと近しい。
「なるほど、父が話していた…バイレッタの夫のアナルド=スワンガンです」
「ああ噂のご夫君か。戦場から無事に戻られたそうで、何よりですね」
「ありがとうございます」
にこやかに話し出すが、穏やかさは表面上のものだろう。敵意を感じるには十分な視線だ。
父の言葉もあながち的外れということはないようだ。
実際に会ってみれば、言葉はなくとも宣戦布告されたのだと感じた。
自分の妻は、本当に男たちに人気があるのだとアナルドは水面下の戦いを覚悟するのだった。
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