閑話 一番大きな害虫(アナルド視点)

なかなか戻ってこないバイレッタを探すためジョアンとの話を切り上げて、妻の姿を周囲に警護している兵たちに聞けば、中庭に出たことがわかった。

それを追っていけば、開けた中庭のベンチに座る一組の男女が見えた。


「何をしているんです?」


思わず鋭く冷ややかな声が出てしまった。それほどアナルドには衝撃だった。男の腕の中にいたストロベリーブロンドの頭が大きく動いた。だが、黒に近い焦げ茶色の髪色をした男は宥めるように、彼女の背中を優しくあやしている。


「おや、これはスワンガン中佐殿」

「俺の妻から離れてもらいましょうか」

「叔父様ごめんなさい、誤解させてしまったわ」


バイレッタが男の胸をやんわりと押すと、彼はくすりと笑みを浮かべる。その余裕そうな表情に不快さが増した。


「いいんだ、バイレッタ。なにより、妻を放って遊んでいた若造に批難される謂れはないな」

「目を離した隙に、愛しい妻の姿が見えなくなっただけですよ。それより、いい年をした男性が、人の妻に手を出していい理由にはなりませんよね?」

「愛しい姪を可愛がっていただけだが?」


しれっと男は答える。

バイレッタが叔父ということは商人として名高いサミュズ=エトーだろう。

だがやり手の大商人というよりは、優男にしか見えない。

腹の底は黒そうだが。

父が注意しろと言った相手だとすぐにわかった。


「貴方のそういう態度が噂を広げていると自覚はありますか…」

「噂? 余計な虫が寄り付かないのなら構わないだろう」


サミュズはいったん言葉を切ると、あからさまに侮蔑の瞳を寄こす。


「まあ、こうして一番大きな害虫がくっついてしまったわけだが…さて、バイレッタとはいつ別れるんだ?」


自分で言うのもなんだが一応は伯爵家の嫡男で、軍での出世も順調だ。

そんな相手を害虫扱いとは。

彼の場合は誰が相手でも気に食わないのだろう。


「俺は別れるつもりはありませんが。許可なら彼女の父親の准将閣下からいただいておりますし」

「人のいない間に勝手に婚姻を結んでおいて随分な言い草だな。私は認めるつもりはない」

「貴方にそのような権限はないでしょう?」

「面白い、若造がこの私にケンカを売るだと。私は彼女の師匠でもある。大切な弟子で血縁者だ。そちらこそ偉そうになんの権限があるというつもりか。8年間も放置した夫という立場だとしたらとんだ笑い物だが」

「それでも夫のつもりですよ。婚姻を結んでいるのは事実ですから。それに彼女のことは彼女が決めるべきです。俺は妻の意思を尊重しますよ」


まあその意思を変えるつもりではあるのだが。

そこまで彼に話す必要はない。

いきり立つサミュズに、アナルドが静かに答えた。


「なるほど、立派な心掛けだ。では、バイレッタ。さっさと身軽になっておいで」

「残念ながら彼女は今すぐ俺から離れられないんですよね」


なぜなら一月の間は、バイレッタはアナルドの妻であるという念書を書いてもらっているからだ。賭けがある間は決して離れることはない。

呆れたような顔をしたバイレッタが、とりなすように彼の腕を軽く叩いた。


「叔父様、明日少し時間はございますか、少しご相談したいことがありますので」

「明日か…では、昼食でも一緒に食べよう。場所はいつものところでいいだろう?」


いつものところと慣れたように約束を交わす二人に、ますます苛立ちが募った。

どうにも暴れたいような怒鳴りつけたいような感情が爆発するのを抑えるのに苦労する。


「はい、ありがとうございます。では失礼しますね。旦那様、戻りましょう」


そんな自分には全く気付かずにバイレッタは立ち上がると、アナルドの腕をとって歩き出す。

その凛とした背中を見つめながら、さてどうしようかとアナルドは無言のまま頭を回転させるのだった。

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