第32話 口が減ったら大変

「アレは、なんだ?」


スワンガン伯爵家の義父の書斎兼仕事部屋に呼び出されたバイレッタは、憮然とした面持ちでこっそりと聞いてくる義父に少し呆れた。


「お義父様、面白いご冗談ですわ。ご自分の息子でしてよ」

「言っておくが、儂の息子は近づいてこない。ましてや仕事部屋など立ち入ったこともないほどだ」


胸を張って答えることでもないが。

当の息子はバイレッタに貼り付くように、ぴったりと寄り添っている。

ここ数日はずっとこんな状態だ。

軍人は忙しいのではないのか、とさりげに問うても大丈夫の一点ばりだ。

こちらは何も大丈夫ではない。


「では、あれは幻なのでしょうね」

「ほう? また貴様の嫌がらせかと思えば、そうでもないようだな」


なぜ、自分の息子が仕事部屋にやってきただけで嫌がらせだと思うのだろう。相当に仲が拗れている。

そもそも、バイレッタがいつ義父に嫌がらせをしたというのだ。いつもされている側だというのに。


「呼び出した用件はなんです?」

「バードゥから連絡が来た。水路の増設の件で近々視察に来て欲しいらしい」

「ああ、ようやく人手の目処がついたのですね。戦争から戻ってきて男手が増えたのでしょう」

「そのようだな…何か言いたいことでもあるのか」


無視を決め込んだのかと思えば物言わぬアナルドの視線に耐えられなくなったらしい。

息子に弱い一面があるなど意外だ。


「いえ、随分と仲が良いのですね?」

「ふんっ、小娘が生意気なだけだ。いい加減、大層な年齢になったのだから、落ち着けばいいものを、しゃしゃり出てくる」

「あら、ではこの件はお義父様にお任せいたしますわ。そうですわよね、領主様ですもの。女の意見など頼らずに、さぞや立派な手腕を見せていただけるのでしょうから。楽しみでしょうがないですわね」

「全く何年経っても口が減らないなっ」

「あら、おかしなことをおっしゃられる。減ったら大変ですわね? お義父様の欲しい答えも返すことができませんもの」

「相変わらず貴様は腹の立つことばかりいいおって…」


ふるふると怒りで震えている義父を見て、少し溜飲が下がった。彼の息子のおかげで通常業務は回らないうえに、明日に迫った祝勝会へ参加する準備も進めているのだ。しかも夜の夫婦生活が執拗で体力もごっそりと削られる。夜といわず昼にも時折仕掛けられるので、気が抜けない。

過度なストレスは身体にまで影響しているようだ。隣にいるだけで胃痛を与える夫とかある意味家庭内暴力では、と考えてしまう。


「やはり、仲が良いのですね」

「用件は済んだのだから、出ていけ!」


怒りに油を注いだ夫とともに、二人して部屋から追い出されてしまう。

廊下に出て、隣にいる彼を見上げる。


「旦那様、もう少しお義父様には優しくなさっては?」

「どういう意味です?」


きょとんと問い返された視線は純粋で、他意は見えない。つまり本心から何も分かっていないということだ。

義父に追い討ちをかけたと気づかないなんて、やはり鈍感なのか?


親があれなら子も同様らしい。自覚なく、他人の嫌がるところを突いてくる。たちが悪いと言ったらない。


「旦那様はお義父様と、よく似ておいでですわね」

「……そんなことは初めて言われました」


確かに容姿に似通ったところはないが、バイレッタに嫌がらせをしてくるところなどそっくりだ。二人が関わる共通の人物がいなかっただけではないだろうか。もしくはいたとしてもそのような発言ができないだけで心の中では思っていそうだが。

筆頭は家令のドノバンあたりだろう。


今度ドノバンに差し入れでも持っていこうと、こっそりと心に決めるバイレッタなのだった。



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