第25話 穏やかな暴君

朝食の席に向かえば、すでに他の家人は食事を終えていたようで、一人分だけが整えられていた。時間はすでに十時頃だ。

こんな時間まで寝ていたことなど、人生であっただろうか。

心なしか頭が重い気がする。


バイレッタは何食わぬ顔で、隣で優雅に紅茶を飲んでいる男に視線を向けた。


「これだけ空いているのだから、わざわざ隣に座らなくてもよろしいのではないかしら」

「いつもと同じ席でなければ居心地が悪いもので。お気になさらず、召し上がってください」


しれっと答える男が、心底憎らしい。

いつもはその席にバイレッタが座り、今自分が座っているところにミレイナが座っていたはずなのだ。

つまり、バイレッタが来るまでは彼の席だったのだろう。


「そんなに見つめられては穴が開いてしまいますわ」


睨みつければ、アナルドはゆっくりと瞬きをした。

きょとんとした顔はどうやら気が付いていなかったらしい。


「これは申し訳ない。俺の妻はこんな顔をしていたのかと思いまして」

「そうですか。まあ、8年も経っておりますから、昔と比べても変わっておりますでしょうしね」

「そうですね。結婚が決まったときに絵姿をいただきました。その頃よりかは、柔らかくなったように思われますが」


どういう意味だと問う前に、すかさずアナルドが口を開く。


「俺は変わりましたか?」


そういえば、結婚が決まった時に絵姿を貰ったはずだが、見もせずに暖炉に放り込んだのだった。

顔を合わせなかったが、彼の方は一応絵姿を確認していたのだ。なんてことだ、とバイレッタは内心で嘆く。この点を追求しても自分にダメージを与えることになってしまう。


「ええ、すっかり落ち着かれましたわね、きっと。ところで、お仕事の方はよろしいの?」

「ええ。少しの間は休暇をいただいていますので、大丈夫ですよ。心配していただいてありがとうございます。貴女は今日は何か予定はありますか」

「ちょっと出かけることになっておりますが」

「どちらへ?」

「街まで、ですけれど…」

「ついていってもよろしいですか?」

「は、はい?」


ついてくる、とはどういうことだ。確か彼は昨晩に多忙だと話していたはずだ。

バイレッタの頭は目まぐるしく働くがどちらかといえば、空回っている。


「あの、ちょっと買いたい物があるのですが。女の買い物ほど、殿方にとって退屈なものはありませんでしょう。お止めになられたほうがよろしいですわ」

「女性の買い物に付き合うのは初めての経験ですし、至らぬこともあるかとは思いますが。妻の欲しいものが分かるのならば有意義な時間ではないでしょうか。是非ともご一緒させていただきたい」


物腰は柔らかくお願いの形式にはなっているが、有無を言わさずに押し切ってくるあたりは、なかなか頑固だ。

よく回る口に、無口なイメージも壊れた。というか、先ほど寝室で感じた愚鈍さはどこにも見当たらず戸惑いしかない。これは身を引き締めなければ、昨晩と同じく振り回される結果になりそうだ。


彼は義父と同じで一度決めたら意見を変えないのかもしれない。

穏やかな暴君など、一見相反するものだが、夫のなかでは十分に成立するらしい。


義母からの情報である無関心、冷徹な男というのはどこへ行ったのだ。

目の前にいるのは、本当に夫なのか。

別人であっても、残念ながらバイレッタは気づくことができないのだが。


ていのいい断り文句も思い付かず、結局二人で連れだって出掛けることになったのだった。

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