第9話 可愛い姪

「叔父様」

「やあ久しぶり、バイレッタ」


二階の応接室に顔を出すと、優雅にお茶を楽しんでいた長身の男が立ちあがってバイレッタを出迎えた。

黒に近いこげ茶の髪色がさらりと揺れ、翡翠色の瞳がにこやかに細められる。


サミュズ=エトー。

義母と同じく30歳だが随分と若々しい容貌をしている。その一方で端正な顔立ちは貫禄があり年齢より下にも上にも見える男だ。


「ご無沙汰していて申し訳ありません。叔父様はお変わりありません?」

「ああ、私が変わりないように思える? 商談で少し国元を離れているだけで可愛い可愛い姪が結婚したんだよ。この胸の内をお前にも見せてあげたいな」


叔父は半年ほど商談のために東隣のナリス王国へと足を運んでいたのだ。

大きな額以上に、有意義な話だったのでバイレッタも心配していたが、どうやら元気そうだ。この様子なら商売も上手く行ったのだろう。


「敬愛する叔父様の心に留めておいてもらえるのだからありがたい話ですわね。いつお戻りになられましたの?」

「一昨日だよ。そう簡単に話を変えられるとは思わない方が賢明だ、バイレッタ」

「あら、そんなつもりはありませんが。叔父様が疲れておられるだろうと心配しただけですわ。この婚姻に関しては私も随分とお父様を責めたので、これ以上は追及しないであげてくださいませ」


全くもって笑っていない翡翠色の瞳を見つめて、思わず父をかばってしまった。

叔父は母の弟にあたる。

商家の次男の出だが、いつの間にか家を出奔して商売を始めた。それがハイレイン商会だ。10年以上かけてハイレイン商会は帝国のみならず大陸に店舗を構える大店になった。

随分悪どいことにも手を染めていると囁かれているが、真実ではなくやっかみが多分に混じっている。と、バイレッタは思っているが、叔父の涼やかな顔とは対照的に腹の内は苛烈であることを知っているので、強く否定することも難しい。


商いの関係で忙しい両親に変わって母が叔父を育てたようなものらしい。叔父はすっかり感謝して親の言うことより母の言うことばかり聞く。

父と結婚するときは、大反対をしたのが祖父ではなく叔父だというところでもおかしいのだが、相当いびられたらしい。その時の記憶が甦るからか父は今でも叔父を恐れている。


そんな叔父は母によく似たバイレッタをとても可愛がってくれた。

結婚せずに商人が向いていると、十五歳の小娘に一軒の店を与えるほどの溺愛ぶりだ。

表向きは店を仕切っているレットの名前になっているが、資金はすべて叔父が出してくれた。

もちろんスパルタなので、見守ってはくれるが助言はくれない。

試行錯誤でなんとか店を維持しているのだが、叔父にとっては一応合格ラインを超えたらしい。


労いのために、こうして店舗に寄ってくれる。そうしていろいろと評価をくれるのだ。


愛されている自覚はある。

彼にとっては育てた弟子を横からかっさわれた心地がするに違いない。

怒りのこもった瞳を見て、父よ逃げろと心の中で警告する。


「それに結婚生活と言っても夫の顔を見る間もなく、彼は戦地に向かわれたました。なので夫不在で実家と変わらずに自由にさせていただいていますわ」

「ああ、息子のほうは結婚には乗り気だが、結婚生活は望んでいないらしいからね。むしろ、相手は誰でも良かったんだろ。しかし顔を見なかったとは僥倖だ。だが、スワンガン伯爵がそんな寛大な御仁だとは聞かなかったが」

「あら、親切にしていただいておりますわ。可愛がっていただいていると言っても過言ではないですわね」


何せ剣術の相手までしてくれるのだから。


もちろん、そこはこっそりと胸の中で呟くに留めておくが。叔父に話せば今度は義父が責められそうだ。


「可愛がられてるってどういうことだい? おかしな関係にはなっていないようだけれど」

「ある意味おかしな関係ですけれど、言葉の通りですわね。始終呼びつけられては領地の収支報告書を読まされたり、最近の市場動向を聞かれたり、まあ世間話に付き合わされるようなものですけれど」

「くっく、なるほど。俺が教えたことが役立って嬉しいよ。可愛らしいバイレッタの魅力には誰も敵わないってことだね。さすがだなぁ」

「まあ叔父様ったら、相変わらずお口がお上手ですわね。それより、今日はドレスに取り付ける花飾りの試作品が出来上がったと伺いましたが?」

「ああ、そういえばレットが話していたな。だから、君が来ると聞いて待っていたんだった」

「あら叔父様もご覧になりたくてお越しになられたのではないのですね。叔父様のご用事はなんでしたの?」

「もちろん、可愛いくて愛しくてそのうえ聡明な姪の顔を見に来ることに決まっているじゃないか。スワンガン伯爵家はあまりいい噂を聞かないからな」


いつもの叔父のお世辞が始まったかと聞き流そうとして、最後の一言に不穏な空気を感じて身が引き締まった。


「それは…お忙しい叔父様の貴重な時間を戴いてしまって申し訳ありません。ですが、私は大丈夫ですわ。でも、スワンガン伯爵の領地経営はうまくいっていると社交界では噂されているようだとお父様がおっしゃられていましたけれど…」


あの義父の様子を見ていると、そうとも思えないのだが。


「それは上手く隠している者がいるからだ。うちの業界じゃああそことはあまり大口の取引はしないように注意しているほどだからね」

「あら、物騒なお話ですこと。詳しくお聞きしてもよろしいでしょうか」


上目遣いで叔父を見やれば、彼はとても嬉しそうに破顔したのだった。

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