FILE2 虐殺 2

「あ、虐殺ちゃんじゃん。お説教は終わったの?」

「げ」

 長い廊下を歩いていくと、そこにひょっこりと金髪碧眼の男が顔を出した。

「あらら、ナイフなんて危ないもの持っちゃって。そこまで謀殺に手厳しく怒られちゃった?」

 虐殺が手に持っているものを見て、わざとおどけた調子でからかう。

「刺殺さんこそ、こんなところ歩くなんて危ないじゃないか」

「え? それどういう意味? あ、ところで今夜あいてる? 一緒に夜を過ごさない?」

「そういうところだよ」

 危ないじゃないか、アタシが。

 アタシの貞操が。

「そもそも未成年なんて誘うなよ。ほら、銃殺さんはどうだ? 手頃なメンヘラだぞ」

「同胞をそんな風に言うもんじゃないよ。俺は愛がなければ女の子は抱かないの」

 ならなんでさっきアタシを誘った。

 へらへらと笑う彼は、仲間内では好色として有名なのだ。警戒して悪いということはないはずである。

「ていうか、その容姿で流暢に日本語喋らないでくれる? 違和感しかない」

「ひどいなあ。俺は日本生まれ日本育ちなのに。でも一応英語とフランス語は話せるよ」

 金糸のような髪を緩めに縛った刺殺は、朗らかに笑った。

 よく笑う男だ。そんな彼を見て、ふと、先ほどの謀殺とのやりとりが脳裏をよぎる。

「……ねえ、刺殺さん」

「なに?」

「大人って、どうやったらなれるの?」

「そんなの簡単さ。俺と一夜を共にすれば……ごめんごめん冗談だからほんとごめんナイフ向けないで」

 刺殺に向けていたナイフをおろし、向き直る。ナイフ自体は手に握ったままだが。

「アンタとそんなことしたら、殺された挙句に食われるだろうが」

「食べないよ~。虐殺ちゃんは同胞だもん。食べたら美味しそうだけど……」

「………………」

 本気で引いた。

 危険すぎる。

「……で、大人になるって話題だよね」

「う、うん」

 直前の台詞と打って変わり、突然の真面目な声のトーンにぎくしゃくと頷く。切り換えの早い男だ。

「気の持ちようじゃないかなって、俺は思うけど」

「気持ち?」

「うん」

 頷いて、刺殺は優しげに微笑んだ。

「俺は自分のことを大人だと思うよ。今年で二十六だしね。殺人鬼だけど、それなりに分別もついてるつもりだし、色々と自分でやらなきゃいけないからね。だけどそれができない、身体だけ育っちゃった子供もいる。電車で大騒ぎする人とか、そんな感じじゃない?」

「大きくなっても、大人にはなれないってこと?」

「ちゃんと中身が伴っていれば大丈夫。きっと虐殺ちゃんも素敵なレディになれるさ」

 無遠慮に頭を撫でる刺殺の手をぱしんと払う。払われた手を特に気にした風もなく、刺殺は締めくくった。

「まあ、急いで大人にならなくてもいいんだよ」

「……どうも」

 身体だけでも、大人になれるとは限らないのに。

 こんな裏社会に生きている自分が、そうやすやすと大人になれるはずがない。

「遊殺ちゃんみたいにずっと幼いままでもいいし、銃殺ちゃんみたいにもがいてもいいんだよ」

「それは勘弁してほしい」

「ははは」

 いつも女の人をナンパしたり食べたりしているから誤解しがちだが、刺殺も立派な大人なのだろう。見直した。

「ところで、虐殺ちゃん」

「ん?」

「ウィッピングって興味ある……?」

 秒速で見損なった。

「ちょっと! ちょっとだけ俺の尻を鞭でしばくだけだから! ね!?」

 それこそなにかの本でしか見たことがないような形状の鞭を取り出し(バラ鞭?)、虐殺の手に握らせようとする刺殺。虐殺は必死になって抵抗する。

「え、ちょ、やめ……っ、いやだぁぁぁあああああああ!」

「おやめなさい」

 がつん。

 とても痛そうな音が刺殺の脳天に炸裂した。

 見ると、踵落としを決めた姿勢のままのメイドが佇んでいた。謀殺に仕えるメイドであり殺人鬼クラブのひとりでもある、抉殺だ。

「け、抉殺さん……」

 長いスカートをふわりと舞わせ、見惚れてしまうほどに優雅に、抉殺は虐殺を慮った。

 殺人鬼クラブの中で、虐殺が最も話しやすいと感じるのは、この抉殺である。

「大丈夫? そこの変態ったら、なにをさせようとしたのかしら。本当、いやねぇ」

「抉殺ちゃんこそ邪魔しないでよ」

 穏やかな微笑で虐殺に笑いかける抉殺に、刺殺が後頭部を押さえながらぼやく。

「いたいけな子供に鞭でしばくのを強要するのが大人のすることですか」

「虐殺ちゃんの代わりに抉殺ちゃんがやってくれてもいいんだよ」

「断固拒否します」

「えー」

 殺人鬼の会話だというだけでも危険なのに、ドエムとメイドと女子高生が同じ空間にいるという現実がなによりも危険な気がしてきた。

 気がしてきたということは、すなわち危険なのだろう。

 今すぐダッシュで逃げたい。

 せめて刺殺がいなくなってくれたらいい。

 ドエムとメイドの口論に居心地悪く、逃げ場もないのでとりあえず同席している女子高生は、上下に左右にきょろきょろと視線を泳がせた。すると、

「あれ」

 廊下の奥に、救いを見つけた。

 彼はゆったりとした足取りで、鼻歌を歌いながら歩いてきた。

 そして口論している刺殺と抉殺、それを苦い顔で見ている虐殺に気付く。

「絞殺さん」

 すらりと伸びた身体に凛とした顔立ち。殺人鬼でなければモデルになっていても不思議はない。

 ……いや、殺人鬼でモデルになっている者はいるのだけれど……そこのドエム。

「………………」

 気付くや否や、歩調を速める。

 つかつかと、スニーカーが床を叩く音が近づいて――

 ――そのまま通り過ぎて行った。

「待って!」

 見て見ぬふりしないで!

 思わず絞殺の肩を掴む虐殺。

「ちっ」

 え、舌打ち?

「なに、虐殺? ボク急いでるんだけど」

「ちょっとでいいから助けて! ほんのちょっとでいいから!」

 男のくせに化粧をした顔が、迷惑そうに歪んでいる。

 まあ、どう見ても面倒くさそうな現場だもんな。虐殺だってそうするだろう。

「仕方ないなあ、ちょっとだけだよ。これ貸してあげるから、あとは自分でなんとかしてね」

 おざなりにそう言って手渡されたのは、一本の長いロープだった。とても頑丈そうな、工事なんかでも使われるやつ。

 どうしろと?

「別に。あいつエムでしょ。適当にあいつを悦ばせたら満足するんじゃないの」

「え……?」

「もう、鈍いなあ。あとは自分で考えて。ボクもう行くね」

「え、待って絞殺さ……」

 にべもなく、絞殺は廊下を曲がって見えなくなってしまった。

 仕方がないので、使い方を抉殺に訊ねることにする。

「抉殺さん、これ……」

「あら、ありがとうございます。助かります」

 え? 使い道わかったの?

 アタシが鈍いだけ?

 と思った矢先に、目にもとまらぬ早業で、抉殺が刺殺を受け取ったロープで縛り上げた。

 ちなみにすまきである。

 肩から足首までくまなく巻かれているので、エビフライみたいになった。

 喚く刺殺。満足する抉殺。

「え、抉殺ちゃん、ロープで縛るって言ったら普通亀甲縛りでしょ! あ、でもこれもいいかも……」

「行きましょう」

 抉殺に促され、虐殺は歩き出す。

 階段に差し掛かったあたりで刺殺の「ねえ! これって放置プレイ!?」という声が聞こえてきたが、ふたりは無視を決め込んだ。

「今日はもう帰った方がいいわ」

 と、抉殺が勧める。

 虐殺も正直帰りたい気分だったので、そうすることにした。

 結局、大人とはどういうものなのか、わからずじまいになってしまった。

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