第61話 彼女の様子がちょっと変(前編)

 7月7日火曜日。いつものように、朝食を一緒に食べて、登校するはず……なのだけど、今朝はちょっと真澄の様子がおかしい。


 歩いていても、心ここにあらずで、どうもぼーっとしている気がする。


「……真澄」

「えーと。何の話やった?」


 どうやら、ぼーっとして話を完全に聞いていなかったみたいだ。


「今日の部活だけど、何しようかなって」

「そ、そやなー。今日はパスタとか考えとるけど」

「パスタか。簡単に作れるのがいいんだけど、納豆スパとか明太子スパとかそういうのでもいいんだよね?」

「……真澄?」

「あ、ああ。それでもかまへんけどな。せっかくやし、ミートスパゲティとか

ボンゴレとかもうちょい挑戦してみたらどうや?」


 やっぱり返答に間が空くのが気になる。ひょっとして……


「ちょっと熱あるんじゃない?」


 手のひらを真澄のおでこにあててみると、なんだか熱いような気がする。といっても、そんなことをする機会なんて多くないんだけど。


「ほんの、ほんの少ーし、調子悪いだけや。心配し過ぎやよ」


 声に少し無理をしているような様子があるのは気のせいだろうか。


「ならいいんだけど。つらそうなら言ってね」


――


 そして、授業中も。


「中戸。この問題の答えは?」

「……」

「中戸!」

「あ、ああ。すいません。えーと」


 少しふらふらとした足取りで黒板に向かって、答えを書いている。

 これは、本当に体調を崩してるな。


 休み時間。


「真澄。保健室に行くよ」

「コウは心配し過ぎやって。これくらい……」

「いいから」


 少し強引に腕を引っ張る。

 真澄もしぶしぶといった様子で、僕の後についてきた。


 保健室の先生に、真澄が体調を崩していることを言って、体温を測ってもらうと、なんと39.0℃。かなりの高熱だ。


「真澄。これはさすがに病院に行った方がいいよ」

「……そうやね。ごめんな」

「いや、謝らなくていいけどね」


 いつになく弱気な彼女の様子が気にかかるけど、とにかく病院に連れて行くのが先決だ。幸い、徒歩で10分くらいのところに病院があるので、肩を貸しつつ歩く。


「はぁ。はぁ……」


 さすがに熱が出ているのを知らされたせいか、真澄の息も荒い。


「もう少しだから」

「うん。わかっとる」


 そんなこと話していると、あっという間に病院に到着。受付で保険証のコピーを出して、診察を待つ。


「〇〇番。〇〇番の方。5番診察室にお入りください」


 ようやく順番が呼ばれた。さすがに、付き添いとはいえ、診察室に入ることはできず、待合室で待つ羽目に。待つこと15分。診察室から真澄が出て来た。


「どうだった?」

「ただの風邪やって。数日安静にしてたらよくなるやろうって」


 ちょっと気落ちしたようにつぶやく真澄。ただの風邪だってわかったのに、何か心配事でもあるんだろうか。


「そっか。インフルエンザとかじゃなくて良かったよ。とりあえず、帰ろうか」


 そう促すのだが。


「コウは高校に戻っといて。ウチは一人で寝とるから」


 返ってきたのは、思わぬ答え。


「えーと。無理しないで。真澄が調子崩してたら、僕も落ち着かないよ」


 これは本音だ。大切な人がしんどそうにしているのに、一人学校でいることはできそうにない。


「……コウは期間限定でウチに編入してるんやし。楽しまないと勿体ないよ」


 それは、確かに、真澄と同じ高校の生活は毎日が楽しいけど。


「あのさ。僕は、真澄と一緒に高校生活が楽しみたいんだ。だから、そんなこと言わないで」

「そやな。すまんかった」


 しゅんとしてしまう真澄。風邪のせいなのか何なのか。


「とにかく。はい」


 かがんで、おんぶの体制をする。


「は?」

「いや、おんぶ」

「そ、そんな高校生にもなって、おんぶなんて……」

「熱でつらいでしょ?つらそうな顔を見てる方がつらいから」

「そやな。ありがとさん」


 そう言って、両手両足を使って僕をホールドしてきた。


「思い出したんだけど。昔、真澄をおんぶして帰ったことがあった気がする」

「覚えとらんかったんか。まあ、コウやしな」

「馬鹿にしてる?」

「感謝しとるよ。そうやって、いつも助けてくれたんやし」


 真澄は、たびたび、僕が何かしてあげたことを覚えていないっていってたっけ。


「そっか。で、何があったんだっけ?」

「ウチが足に怪我したときに、こうやって家に連れ帰ってくれたんよ」

「その時の僕ってそんな力持ちだったっけ?」


 小学校高学年の頃だろうけど、そんなに体力があったかどうか。


「コウは結構無理しとったよ。それで、必死で平気居な振りをしてな」


 楽しそうにそのときの事を語る真澄。自分が思い出せないのが少し悔しい。


「あ。そうか。思い出した」


 確か、放課後に遊具で足首を怪我したんだったか。


「ますみちゃんが確か、遊具で足を怪我して泣いてたんだよね。あのときは、ほんと放っておけなかったし」

「その呼び名、懐かしいわあ」

「編入のときに、つい、使っちゃったけど」


 悪戯心が湧いてきて、編入当日に真澄「ちゃん」と呼んだことを思い出す。


「あの後、ほんと、大変やったんやからな」


 そう言いつつ、特に怒って居なさそうな声色だ。


「ごめんごめん。ちょっとついいたずら心で」


 そんなふとした事を話しながら、真澄を家に連れて帰ったのだった。


 真澄を家に連れ帰ると、慌てておばさんが出て来たので事情を説明して、部屋に運び込む。アイス〇ンを持ってきてもらって真澄の額に貼る。


「何か、飲みたいものとかある?」

「スポドリが冷蔵庫に確かあったと思うんやけど。お願いできる?」

「もちろん」


 冷蔵庫に入っていた、スポドリ500mlのペットボトルを持ってきて、部屋に戻る。


「んく。んく。んく……少し落ち着いたわ」

「よかった。良くなるまでゆっくり寝てね」


 あんまり部屋に居ても逆に落ち着かないだろうと思い、立とうとするのだけど、ベッドの真澄に腕を掴まれた。


「その。ウチが寝るまで側にいて欲しいって言ったらあかんかな?」


 少し弱弱しい声でそうお願いされてしまっては、断る選択肢はない。


「もちろんいいよ。寝るまでずっとここにいるから」


 そう言って、なんとなく手をさすっていると、次第に彼女の寝息が聞こえて来た。僕は、起こさないようにそっと部屋を後にした。


 廊下を降りると、おばさんの姿が見えた。


「ちょっといい?」

「ええ、構いませんけど」


 何か話があるらしいので、リビングに行くことになった。


「あらためていうのもなんだけど。真澄の事、いつもありがとう」

「え、いや。僕の方こそ、いつも真澄には助けられてばかりですから」


 突然お礼を言われて恐縮してしまう。


「ほんとコウ君はいい子ね。だから、あの子も好きになったのかしら」

「そういうことを言われるといたたまれなくなるんですが」


 そういう風に褒められると大層居心地が悪い。


「真澄はね。中学になってからなんだけど、お友達を家に連れてくることがなくなっちゃってね。いじめられたりしてるわけじゃないとは言っていたんだけど」

「僕も、そのときのことはよく知らないですけど」


 中学になってから聞いたのは、真澄の生活のきっとごく一部に過ぎない。


「あの子、いつも寂しそうだったから。最近、家にコウ君を連れてきたり、遊びに行くようになってから、ほんとに楽しそうで、私としてもほっとしてるの」

「そうですか。それなら、良かったですけど」


 真澄と付き合いたいと思ったのは単なる僕の一方的な気持ちだけど。


「その。私からお願いすることじゃないとは思うんだけど。これからも、あの子をお

願いします」


 おばさんから頭を下げられてしまう。ただ、別にお願いされなくても。


「はい。僕も、真澄と一緒にいたいと思っていますから」


 それは紛れもない本音だった。


――

※後編に続きます

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