第十五章 林檎とゆきあそび
1
ある朝目覚めると、ベッドの中に林檎がいた。
「えへへ、おはよう、百合お姉ちゃん」
「え? おはよう?」
彼女はわたしに抱き着きながら、胸に顔をうずめてきた。なんだかこそばゆい。
「お姉ちゃん、いい匂いがする」
状況が上手く呑み込めない。林檎を引き離すのは無理なようなので、とりあえず彼女のしたいようにさせた。が、これが失敗だった。
しばらくの間、林檎はわたしに密着したまま離れなかった。胸から顔を離すと今度は布団の奥に潜り込んでお腹に顔をくっつける。本人は甘えてるつもりだろうが、わたしとしてはかなり恥ずかしかった。
「あのね、あのね、すごいんだよ」
ようやく飽きたのか、林檎は布団から顔を出して言った。
「どうしたの?」
「外」
「外?」
言って、林檎はベッドから出て、窓に向かった。その後に続いて、彼女の頭越しに中庭の様子を見る。
「わっ、すごい」
外は一面の銀世界だった。灰色の空からちらちらと雪が舞い落ち、中庭を真っ白に埋め尽くしている。まるで白い絨毯が敷かれているようだ。
「すごいでしょ、ね、ね」
どうやらこの雪の感動をわたしに伝えたかったようだ。わたしの周りをぴょんぴょんと跳ねながら、早く外に行こうとせっつく。
「まだダメでしょ。先に朝ご飯を食べないと」
今日は家庭教師はやって来ない。そんな日は、朝から林檎に付き合わされるのだ。はしゃぐ林檎を宥めながら朝食を摂り、防寒着に着替えて中庭へ。外に出る直前、夏江に引き留められ、こう忠告をされた。
「あんまり長い時間遊ばせないようにしてくださいね。体が冷えると困るから」
「判りました」
「それと、今日は城戸先生がいらっしゃるから、それも伝えておいて」
夏江はそれだけ言って、そそくさと自室へ引き揚げた。彼女にはいまだに心を開くことができないでいた。顔は笑っているけれど、その笑顔の裏にやはり何かが隠れているような気がしてならないのだ。
中庭に出ると、檻から放たれた猛獣のように、林檎が積雪に突進していった。
「走っちゃダメでしょ」
「はーい」
しかし、彼女は足を止めない。
「全くもう」
雪を踏みしめながら小走りで林檎の許に向かい、強引に停止させた。
「うわー捕まったー」
「こら、おとなしくしろー」
「ねえねえお姉ちゃん、雪合戦しよ」
わたしの手から逃れると、林檎は足元の雪をすくって小さな塊にし、投げてきた。山なりの軌道を描いて、雪玉はわたしの肩にぶつかる。わたしも雪玉を握り林檎に向けて軽く投げるも、大暴投に終わってしまった。
「あれ?」
おかしい。
どうして真っすぐ投げているのに真上に飛ぶのだろう。手を離す瞬間をもう少し意識してみよう。そうしたら、今度は林檎から二メートル近く左に飛んだ。
「百合お姉ちゃんって、下手くそなんだねぇ。あははっ」
「なんですってぇ?」
その後も十球近く投げたが、林檎に雪玉がぶつかることはなかった。逆に林檎は素質があるようで、何発もわたしは彼女の雪玉を食らった。姉としての威厳をぽっきりへし折られ、わたしは少なくないショックを受けた。
「はあはあ、林檎苦しくない? 別の遊びしようか」
「かまくら作りたい」
「かまくらは、二人じゃ無理かなぁ」
「えー、じゃあね、雪だるま」
「よーし、じゃあどっちが大きい雪だるまを作るか競争しようか」
「え? 違うよ。林檎はね、百合お姉ちゃんと一緒に作りたいの」
そうして共同作業で雪だるまを作ることになった。小さな雪玉を転がし、だんだんと大きくしていく。わたしの膝下辺りに迫るまで大きくなると、転がすだけで大変だった。
なんとか胴体にあたる一つ目の雪玉を作り終えたところで、林檎の様子がおかしいことに気づいた。
「けほっ、けほ」
胸に手を当て、咳き込んでいる。やはり先ほどの雪合戦が負担になったのか。
「大丈夫? 苦しい?」
「大丈夫だよ」
咳は何とか止まったが、これ以上は限界のようだった。体に障るとまずいので、今日はもう切り上げることにしよう。林檎はまだ遊びたいとぐずったが、中で遊ぼうと提案すると、おとなしく従ってくれた。
南館の裏口から玄関ホールに戻ると、ちょうど玄関口に勇心の友人であり、林檎の主治医である城戸誠が立っていた。
「百合ちゃんはもうここでの生活には慣れたかな」
「はい。それはもう」
八神家に来てからもう三週間が経っていた。
「そうかいそうかい」
城戸はまぶしそうに目を細めた。彼と別れ、林檎の自室に向かった。まだ午前九時だが、思いのほか雪遊びで体力を使ったようで、林檎はそろそろとベッドに歩いた。
「お昼寝したいの?」
「うん。お姉ちゃんも来て」
林檎と二人でベッドに潜り、彼女を抱き寄せる。
「お姉ちゃんの匂い、好きなの。落ち着く、いい匂い」
十秒と経たずに林檎は夢の中へ旅立ってしまった。
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