第八章 勇心の告白
1
「どうして今になって、わたしを引き取る気になったんですか?」
「それは……」
言いかけて、勇心は口を噤んだ。
やはり何か事情があるらしい。
しかしこれは絶対に確認しなくてはならないことでもある。裏があるのか、と勘繰ってしまいたくなるほどに、わたしにとって父という存在は異端であり、彼との出会いは突然だったのだから。
たとえわたしが愛人の子であろうとも、少しくらいは時間を作って会いに来てもいいはずではないか。それが親子というものではないのか。しかし勇心はそれをしなかった。
わたしの記憶の中に、彼にまつわる思い出は一切ない。また、母が失踪し、わたしが孤独の身になった時だって、彼は保護者として名乗り出なかった。それはなぜなのか。そして、なぜ今になってわたしの許に足を運ぶ気になったのか。どのような事情もしくは心変わりがあったのか。父を責めるつもりは毛頭ないが、わたしには真実を知る権利があるはずだ。
しばらく沈黙が流れた。勇心は慎重に言葉を探しているようだった。思い詰めた表情がこちらの緊張を増幅させる。
「何度も繰り返すが、私は百合、君のことを心から愛している。そのことだけは信じておくれ」
「はい」
わたしが返事をすると、勇心は満足そうに顔をほころばせた。
「今でこそなんとか子を授かったが、当時の私と妻は子宝には恵まれなくってね。彼女に辛く当たったりもしたよ。私はとにかく子供が欲しくて欲しくてたまらなかった。自分の血を分けた小さな命の誕生を待ち望んだ。しかし、どれだけやっても……どうしたら子供ができるか、もう習ったかい?」
わたしは顔を赤らめながら頷いた。勇心はぎこちない空咳を繰り返し、続ける。
「おほん。だが、妻が子を宿すことはなかった。今度こそは、と期待して、ことごとく裏切られる。そのたびに、恥ずかしい話だが、妻を恨んだりもした。すれ違いの日が続いて、夫婦仲も次第に冷えていったよ。だから、愛人の蘭との間に子供ができたと知った時、私は妻と別れて蘭を本妻に迎えようと決心した。それくらい、君の誕生は嬉しかった」
わたしは余計な言葉を挟まず、勇心の話に耳を傾ける。
「蘭のお腹が大きくなっていくたびに、私の期待も同じように膨らんでいった。この子とどこへ行こう、何をして遊ぼう、何を見せてやろう。我が子とのこれからを想像するだけで、一日が終わってしまうこともままあった。そうして遂に出産というところになって、変更できない大きな仕事が入ってしまった。だから私が君の顔を見たのは、出産から二か月近くも経ってから……あの写真の時だったんだ。君をこの腕で抱いた時のことは、昨日のことのように思い出すことができるよ」
「……」
「あの時、私は幸せの絶頂にいた。しかし、それも長くは続かなかった。こちらから切り出す前に、妻に不倫がバレてしまったんだ。蘭との結婚生活に向けて、大方の準備を整えてから妻と別れようと思っていたのだが、それが甘かったみたいだ。妻は独自に雇った探偵と弁護士を連れて、私の目を盗んで蘭と接触していたんだ。すでに百合が生まれていることは知らなかったようで、彼女は大いに取り乱したらしい。弁護士たちを同伴させ、穏便に別れさせようと最初は思っていたらしいが、私たち夫婦が子宝に恵まれないこともあり、君の存在を知った妻は蘭を脅迫同然の方法で精神的に追い込んだ。私がその事に気づき、手を回そうとした時にはもう遅かった。蘭は君を連れてどこかへ消えてしまった。それから私は手を尽くして君と蘭を探し続けた。蘭の行方は最後まで判らなかったが、百合、君が親戚の灰谷家にいるということだけなんとか判った。そして君を引き取るべく、準備を進め、今日灰谷家へ話を持っていく予定だった。その道中、死に物狂いで走ってきた君とぶつかり、十三年ぶりに再会できたというわけさ」
「……その奥さんとは、今でも?」
「ああ。結局別れることはなく、それから数年後、彼女との間に娘ができた。今も同じ屋根の下にいるよ」
そのことを聞いて、わたしは苦い気持ちになった。自分の夫と不倫関係にあった女の娘を引き取るにあたって、彼女が反対しないはずがないではないか。
そこが判らない。
勇心の説明で大方の事情は納得できた。わたしは不義の子だった。だから、母も父親のことは極力話そうとはしなかったのだ。おそらく完全に関係を絶っていたのだろう。そして、だからこそ、勇心もわたしたちの行方を掴めず、わたしを見つけるまでこれだけ時間がかかってしまった。
問題はその先だ。
勇心の本妻がわたしを引き取ることに賛成しているとはとても思えない。身寄りのない可哀そうな子ならまだしも、かつて自分が追い払った間女の子だ。
「あの、その、奥さんはわたしのことを……」
「ああ、彼女も歓迎しているよ」
「え?」
「たしかに不倫相手の蘭は今でも許せないようだが、子供には罪はない。そう言ってくれている。だから君がそのことを心配する必要はないんだ」
「はあ」
「何も心配はいらない。君は私が守る。今までできなかった分も含めて」
勇心はしわを寄せて微笑んだ。その微笑みの裏に、まだ何かが隠されているような気がしたのは気のせいだろうか。
やがてわたしたちを乗せた車は高速道路に入った。
去っていく街並みを振り返り、楓のことを想った。彼女は今、何をしているだろうか。わたしのことを怒っているかもしれない。正子によって友情を引き裂かれたまま、この街を去らなければならない。それだけが心残りだった。
楓の携帯番号を記した紙は家に置いてきてしまった。彼女の住所も判らないから、もう会うことはないだろう。
短い間だったけど、彼女と過ごした数週間は、わたしの心の奥に輝かしい思い出として刻み込まれている。楓との時間は、神様がわたしに灰谷家での苦労に耐えたご褒美として与えてくれたのかもしれない。
(さようなら、楓さん)
わたしに話しかけてくれて、ありがとう。もしまた会えたら、今度はちゃんとお話ししたい。誤解を解いて、一から友達になりたい。
だんだんと睡魔が襲ってきた。今日はショッキングなことがあまりに多すぎて、神経が参ってしまっているようだ。瞼が重い。そうして、わたしは久しぶりに暖かい空間で眠りに落ちた。
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