10・父との会話
マリアンヌは国王である父との仲は悪くはなかったが、良いとも言えなかった。
父は国の運営を第一と考え、家族は次にする人間だった。
だがけして蔑ろにしているわけではないことは娘には理解でき、そして直実に国を思う誠意溢れる姿に、嫌悪を感じたことはなかった。
少し寂しく思ったけれど。
そんな中でも父と会話をすることは何度かあったが、心温まる話題の記憶はない。
特に最後の会話は殺伐としていた。
「マリアンヌ。人間にとって最大にして最凶、そして最悪の敵とはなんだ?」
「魔物。地獄に住む邪悪な者どもです。そして魔王ゲオルギウス」
「そうだ。異界の彼方から襲来した異形の生物。この世ならざる者たち。地獄の住人。魔物だ。
そしてそれらの頂点に立つ存在、魔王ゲオルギウス。
魔物は本来、地獄からこちら側の世界への来訪に極めて困難を要した。つまり魔物は我々の世界へ侵攻したくても出来なかったのだ。ごく少数がこの世界に到達し、しかしできることと言えば、精々我々の誰かを誘惑し、願いを叶える代わりに魂を奪う程度の、細々とした活動だ。
だが、魔王ゲオルギウスがその障害を排除した。彼は我々と同じ人間だったらしいが、如何なる理由か、魔物を超越する強大な力を保有していた。その力で地獄とこの世界の時空を歪め、通路を開いた。魔物はそこを通って容易にこちら側の世界に侵入できるようになった。そしてゲオルギウスは魔物を統括し、魔物の王となり、我々の住むこの世界への侵攻を開始した。
いや、蹂躙と言ったほうが良いだろうな。人家を破壊し、作物を踏み躙り、家畜を食い尽くし、老若男女問わず惨殺する。生きて捕らえられた者もいたが、どこかへ輸送され、帰って来る事はなかった。おそらく同じ運命を辿ったのだろう。
勿論我々人間は全力を持って戦った。あの時の人間の団結力の強固なるは、あらゆる時代において、最高にして最大だったかもしれん。国境を越え、民族、人種の差別もなく、信仰の違いも些細な事柄とした。
だが、それも魔物の勢力には遥かに及ばなかった。魔物は強大な力を有し、この世ならざる技を用い、時には死をも拒絶することさえあった。
村々は焼かれ、数多の街が壊滅し、幾つもの国が滅びた。
魔王の目的は、この世界を魔物のものにすることだった。そして我々に求めたのは服従ではなく、滅亡だったのだろう。だからこそ我々人間の絶滅が目的である魔王は、我々の交渉に応じず、降参、服従など認めず、ただ死を撒き散らした。
しかし、助かる方法が一つだけある。昔からずっと魔物どもが行ってきた事だ」
「人間の尊厳を全て捨て去り、魔物に魂を売り渡す」
「そうだ。魔物に達成不可能の願望を叶えて貰い、代わりに魔物たちの眷属の一員となる。つまり助かる方法とは、魔物になることだ。そしてそれを実行する者は決して少なくはなかった。戦いに勝機を見出せなくなり始めてからは特にな。世界人口は劇的に減少し、人類滅亡は時間の問題だった」
「ですが、私たちはここに生きています。人類は滅亡しなかった」
「そうだ、絶望に瀕したその時、神は救いの手を差し伸べられ、希望の救世主を使わされたのだ」
「光の戦士と称された、五人の勇者たち」
「彼らは魔物を遥かに凌駕する力を持ち、その圧倒的な力で魔物を駆逐した。
ある戦士は大地を震撼させ魔物を地中深くに封じ、ある戦士は膨大な水を操り魔物を押し流した。ある戦士は灼熱の業火で魔物を焼き尽くし、ある戦士は全てを薙ぎ倒す竜巻で魔物を吹き飛ばした。そしてある戦士は浄化の光で魔物を一瞬にして消滅させた。
彼らの栄光ある伝説を語り尽くすには一日二日では到底足りぬ。しかし最も重要なのは、たった五人の戦士によって戦況が覆り、人類側の優勢へと傾いたということだ。
希望の光の下、人類は攻勢に討って出て、魔物を魔王殿にまで追いやるに到った」
「魔王殿。魔王ゲオルギウスが作った地獄への通路の為に、一夜にして魔物に滅ぼされた古の廃都。魔王の居城」
「そうだ。通路が存在する魔王殿を制圧し、直結している通路を塞がなければ戦いの決着は付かん。
しかし大陸北部に位置すると伝えられているその廃都への道は、陸路は北の大山脈によって隔てられ、海路は北極部から流れる無数の氷山と、魔物の作り出す嵐によって遮られていた。熟練の冒険者、探検家でも突破には困難を伴い、失敗も珍しからぬその場所に、大軍が到達するのは不可能だった」
「だから光の戦士に全ての希望は託され、彼らはたった五人で魔王殿へ赴いた」
「そして魔物を打ち破り、魔王は倒され、地獄の通路は遮断された」
「彼らは魔物に勝利した。そうして私たちは救われたのですね」
父王は肯定の意を示さなかった。
「そうだろうか? 彼らは本当に勝ったのか?」
「それはどういう意味ですの?」
「マリアンヌ、近年魔物の活動が活発化していることは知っているな」
「はい、魔王が復活したのだと、皆騒いでいました。しかし予言どおり、新たな光の戦士もまた現れましたわ。我が王国の聖騎士の一人アルディアス。それにサリシュタール先生。風の山脈の村からも一人誕生したと聞き及んでおります」
「そうだ、彼らは予言した。魔物の脅威が再来する時、彼らと同じ力を持つ戦士たちが現れると。逆に捉えれば、魔王の復活を知っていたということではないのか。マリアンヌ、彼らは魔王を本当に倒したと思うか?」
少女は少し考えてから答えた。
「死に至らしめたわけではないにしろ、なんらかの封印をしたということではないでしょうか。そしていつか封印が解けてしまうのを予想した。だから予言と一緒に武具を残したのでは」
「ならばなぜ明言しなかった。詳細が伝えられていれば、ある程度の対処が後世の我々にも可能だったのではないか。しかし彼らは、魔王を倒した事柄についてほとんど触れなかった。なぜだ?」
マリアンヌに答えようがなかった。それは歴史学者などが考察するべき事項であって、王家とはいえ、ただの少女に過ぎないマリアンヌに、そんな深遠な問い掛けまでできない。
「そしてもう一つ、彼らはなぜ勇者の再来を予言できたのだ? 魔王の復活と共に、なぜ自分たちと同じような存在が出現することが分かった?」
「光の戦士の力で予知したのかもしれません。魔王の復活も同じかも」
「そうかもしれんな。だが、違うかもしれん。そう、私たちの預かり知らぬなにかが、彼らを呼び寄せたのではないだろうか。あるいは、彼らを送ってきたのかもしれん」
それは光の戦士を指しているのか、魔物を示しているのか、マリアンヌに判断はつかなかった。
「そうだ、そもそもなぜ魔物は我々の世界にやって来たのだろうか? なぜ世界を侵略しようとしているのだ。なぜこちら側の世界を欲しがる?」
「それは、魔物にとってこの世界は新天地でしょうから、新しい土地を切り開く程度の感覚だったのかもしれません。私たちの祖先が、時に土着民に恥ずべき残虐な侵略を行ってしまったように。あるいは、彼らは地獄の亡者を苦しめる行為に喜びを見出す者どもです。ならば、暴虐なる君主が残酷な欲望を満足させる為に権力を振るうように、ただそうせずにはいられなかったのかもしれなせん」
「そうだろうか? 私は思うのだ。私たちは重要ななにかを知らずにいるような気がしてならない。そして、なにか本質を見誤っているのではないだろうかと、そんな気がしてならないのだ」
少女はそれこそ、父の無数の疑問の本質を理解できないまま、その日の会話は終った。
次の日、マリアンヌは魔王殿に拉致された。
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