3・勇者たちの過去
風の山脈の麓の村で生まれたゴードは幼い頃、両親を魔物に殺された。
当時はまだ魔物の活動が本格化していなかったが、時折出没する魔物が被害をもたらすことはあった。
そして運悪く両親が魔物の餌食となり、父は無残な姿と成り果て、母はどこかへ連れ去られ遺体を発見することもできなかった。
その魔物は村中総出で討伐され、それ以上被害が拡大することはなかった。
だがゴードは魔物の死を喜ぶことも、両親の死を悲しむこともなかった。
まだ五歳だった彼は、その日からたった一人で、自分の力だけで生き延びることを余儀なくされ、そんな余裕などなかったのだ。
勿論村人の力添えはあったが、貧しい村では微々たるものでしかなく、生活の支えなど期待できなかった。
ゴードはそれこそ必死になって生きる術を模索した。
父に手習い程度に教えられた狩猟技術を自分なりに工夫し、村人の好意で教えてくれた知識は細分漏らさず記憶し、そうしてなんとか狩人として生計を立てることに成功した。
やがて天賦の才もあってか、十歳を過ぎる頃には、同年代の子供はようやく狩に連れて行ってもらえるようになったばかりだったが、ゴードは大人たちにも一目置かれる優秀な狩人に成長していた。
そしてさらに年月が経過し、十四歳になる年、村では成人として認められる年齢に達する年に、あの事件が起きた。
山脈の野原の一画に、巨大な岩石があり、そこに一本の大剣が突き刺さっている。
三百年前、光の戦士が使っていた伝説の剣。
それは岩に切っ先が少し刺さっているだけに過ぎないのだが、如何なる怪力無双の膂力でも、十数頭の牛馬を束ねて牽引しても、なぜか抜けなかった。
剣を残して去った光の戦士は伝えた。
この剣を抜いた者こそ、新たなる光の戦士。
いつか再来する魔王の脅威を退ける者だと。
それから風の山脈の村々では、成人の儀の一環に聖剣に手をかける通過儀礼が含まれることになった。
村に新しく迎える大人の中に、光の戦士がいるか識別する為だが、当然というべきか、三百年間剣を抜くことに成功した者はいなかった。
村人たちは活発化し始めた魔物に脅威を覚え始めていたが、しかし恒例化した儀式にさしたる期待は抱かなかった。
今年も村々の長老代表が告げる言葉で締め括られて終るに違いない。
「光の戦士ではなかったが、村の大人として役割を果たせ」
だがその年だけは長老代表のいつもの言葉は口にされなかった。
ゴードが剣を引き抜いてしまったからだ。
あまりにも簡単に容易く、呆気なく抜けてしまい、本人を含めてその場にいた誰もが、なにが起きたのかを理解するのに多大な時間を要した。
やがてその意味を悟った彼らは歓声に沸いた。
新たなる光の戦士の誕生。
近年増加する魔物の脅威に怯える村人たちは、まさに希望の光がここに存在する事実に歓喜したのだ。
その後、行われる通常の成人の儀は大幅に変更され、新たな光の戦士誕生の祝福祭となり、ゴードは風の神殿の二人の巫女の洗礼を受け、もう一つの武器を授けられた。
その日から彼の魔物討伐が始まった。
始めは近隣に巣食う魔物を一掃し、それが終れば遠方の村々に足を運び、戦いを通じて剣の使い方を覚えていった。
そして自分自身に秘められた強大な力も。
三年後、風の山脈一帯の安全が確保されたと見切りをつけると、本格的に外界への旅を開始することにした。
見送る故郷の村人は惜しみない賞賛と期待を送った。
新たな光の戦士。
勇者の再来。
神に選ばれた聖剣の後継者。
運命の導かれた者。
だがゴードはそれらの言葉を誇るでなく、どこか冷淡に受けていた。
自分がそれほど特別な存在だとは思えなかったのだ。
確かに自分は光の戦士の力を有し、聖剣を扱える。
それは今までの魔物との戦いで立証されている。
両親を魔物に殺された、その復讐心もある。
幼い頃から狩人として技術を磨いてきたことも大きな要因だろう。
しかし剣を引き抜いた時から、全ては偶然なのではないだろうかという疑念が、常に彼の心に付き纏っていた。
毎年行われる成人の儀は、数多く繰り返せば、いつか誰かが引き抜くようなものではないだろうか。
そう、これは確率の問題だ。
何百人、何千人と試せば、いつか誰かが剣を手にするのが当然の理だ。
それが偶々自分だっただけだ。
魔物との戦いの中で疑問に思ってきた事柄は、旅立ちの日に確信に変わった。
根拠があったわけではない。
しかしそれは使命の放棄ではなく、ただの偶然だということを受け入れ、その上で自分はこれからなにをするのか、それを選択する心構えができたのだと言い換えられる。
全ては偶然だ。
だが、風の山脈で猛威を振るう魔物たちを浄化し、数多くの人々の命を助け、そして子供たちの未来、自分と同じ境遇になったかもしれない可能性を未然に防いできた。
それは正しいことであっても、悪いことでは全くないのだ。
少しでも多くの人を助られる力を、偶然手に入れた。だから俺は魔物と戦うのだ。
こうして彼は胸中の決意を誰にも告げることなく、人々に見送られ故郷を旅立った。
その後、彼は大陸中で活躍した。
存在を耳にした端から魔物を倒し、発見しだい浄化していった。
それは他の者には絶対の戦士に思えた。
助けられた者は神が使わした救世主と崇めた。
噂を聞く者は至高の勇者と褒め称えた。
だがゴードの行動の全ては、ただ魔物に苦しむ人々を一人でも多く助けたいという、至極単純な思いからだった。
彼の名声は高まっていった。
アルディアス・アルブレット・グレイダーは、イグラード王国建国期から名を連ねる、古く由緒正しい貴族の家系の下に生誕した。
その網の目のように細かい家系図の中に、光の戦士の一人の名が記されている。
その為か、グレイダー家は光の戦士の血脈として、王家からの信頼を強く受ける傾向にあり、そしてグレイダー家もまたその信頼に応え続けてきたのだった。
彼の家系からは騎士の最高の位である聖騎士の称号を得た者が多く、それ以外でも騎士や文官、学者などを多く輩出し、成功する人物が多かった。
彼らは王家に深い忠誠を誓い、それが王家の信頼を得る理由となっているのだろうが、しかし最大の要因となっているのは、やはり光の戦士の血脈であることだった。
彼らの家系には時折光の戦士の力に目覚める者がいる。
グレイダー家はいわば光の戦士の血の継承者とも言える。
それこそが王家が彼らを重鎮してきた最大の理由だろう。
そんな家柄に生まれたアルディアスは、必然的に物心付いた頃から光の戦士に憧れを抱くようになっていた。
伝説の勇者の物語にいつも心を躍らせ、自分がその直系の子孫である事実は彼に言い様のない至福を与えた。
彼はどちらかといえば書物を読み耽る物静かでおとなしい子供だったが、この光の戦士への憧憬は自然と騎士へ進ませることになる。
物事を深く思索する生来からの性格は、寧ろ学者や文官に向いているのではないかと両親は考え薦めたのだが、アルディアスは両親の考えには従わず、適用年齢に達してすぐに騎士養成学校の門を叩く。
そこでアルディアスは弛まぬ努力を続け、それは才能の発芽に繋がり、劇的な成長を遂げる。
入門時の華奢な体躯は見る間に成長し、勉学では常に最高点を取り、剣術、弓術、槍術、馬術、その他全てにおいて彼に勝る者はいなかった。
当然のように首席で卒業し、騎士の位を叙勲する。
騎士団に入団した彼は、そこでも努力を惜しむことはなく、数々の功績を挙げていく。
才能ある若い騎士に周囲は期待と羨望の眼差しを向け、彼がいつか騎士の最高の称号であり位である聖騎士になるのを、誰もが予想して疑わなかった。
ある日、魔物討伐任務に携わっていた時、なにが引き金だったのか、戦闘中に魔物を一瞬で消滅させた。
仲間の騎士たちはその力に慄然とし、アルディアスも自分自身がなにをしたのか分からず、しばらく茫然としていた。
しかし、その正体に誰もがすぐに思い当たった。
それは彼の家系に時折誕生する者たち共通の力だ。
この時、新たな光の戦士が誕生した。
しかし王都に戻った彼に待っていたのは、王女の警護だった。
光の戦士の力に目覚めたというのに、なぜそんな仕事に回されるのか、不満がなかったわけではなかったが、生真面目な性格の彼は、主君の命に従い黙々と職務に励んだ。
それからさしたる時間が経過することなく、王女警護の任務は解かれ、新たな任務が与えられた。
同時に騎士の最高位である聖騎士の称号を史上最年少で受勲され、イグラート王家に伝わる、光の戦士の武具を授けられたのだ。
王女警護の任務は、聖騎士の誕生の手回しをするために当面与えた仕事であり、また増長した可能性を危惧しての試験でもあったのだ。
しかしアルディアスは与えられた職務に心を砕き、その戦士としての能力だけではなく、人格共々全てを認められ、その結果、最も若い聖騎士が誕生したのだった。
アルディアスはこの時、生涯最高の歓喜に身を浸していた。
幼い頃から憧憬し羨望していた光の戦士。
勇者の伝説。
それが今、自分自身がそのものになったのだ。
運命が存在するならば、アルディアスはこれこそ運命の導きに他ならないと感じた。
光の戦士の血脈に生まれたこと。
幼い頃勇者に憧れたこと。
父母の勧めに逆らって騎士の道に歩んだこと。
そして聖騎士叙勲までの道のり。
それらは全て彼が光の戦士に成るべく予め作られたような予定調和ではないか。
自分自身の意思すら、その中に含んで。
そう、自分が光の戦士になったのは運命だったのだ。
アルディアスは新たに与えられた任務、魔物の討伐に励んだ。
ちょうど魔物の活動が活発化した時期でもあり、彼には王室、貴族、平民に至るまで、多大な期待が寄せられ、そして彼はその期待に存分に応えた。
名誉こそは騎士の誉れ。
主君の忠誠の証を立てることこそが騎士の務め。
光の戦士として魔物と戦うことは我が最高の喜び。
勇者として王国の為に身を尽くすことこそ神が与えた我が使命。
アルディアスの名声は、自分に課せられた使命を果たしていくにつれ、止まることを知らず広がっていった。
サリシュタール。
彼女がいつどこで誕生したのか、知る者は誰もいない。
彼女の育ての親ならば知っているだろうが、それも含めて、一切が彼女自身の口から語られたことはない。
ただ彼女は魔術師だ。
魔術。
光の戦士が伝えた、対魔物用特殊技能。
それは風を操り、火を熾し、水を変え、地を崩す。
太陽の如き光を創り、深淵の闇を生み出し、時間を加速させ、空間を歪曲し、精神の奥底を見通す。
魔術師の一族は、最初の光の戦士が魔王との戦いが終結した後、その技を教授され、そして現在もその奇跡の技を伝承し続けている一族だ。
それ故に魔術師の一族は、光の戦士の技の伝承者と呼ばれている。
そしてその魔術師の一族の中で、現在最強にして最高と称されているのがサリシュタールだ。
魔術師の一族と呼ばれているが、実際のところ彼らには血縁関係はない。
彼らは世界各地を巡り、光の戦士の力を秘めていると目される子供たちを見出しては、身柄を引き取って育成しているのだ。
しかし真に光の戦士の力に目覚めた者は少なく、その殆どが技術を習得したに止まっている。
それはただ人間に秘められた能力を引き出すことに成功しただけであり、厳密には光の戦士の力を有しているとは呼べず、力の本質を異にしているらしい。
だがそれでも人間の潜在能力は魔物に有効で、魔王が倒された後も散発的に出現する魔物との戦いで大いに活用されてきた。
だがサリシュタールは技術を習得しただけの者たちとは一線を画す。
彼女は光の戦士の力の本質を見出し、体得したのだ。
それにどれだけ辛く厳しい訓練と難行があったのか、彼女は語ろうとしない。
しかし光の戦士の力を体得した彼女は、世界各地の魔物を浄化する為の旅を始め、やがて最強にして最高の魔術師として名を馳せることになる。
数年が過ぎ、偶然立ち寄ったイグラート王国で国王からの招聘がかかった。
魔術師の一族は元来いかなる国にも所属しておらず、例え国王からの命令であってもそれに従う必要はあまりない。
しかし逆らう理由もなかったので、彼女はイグラート王城へ赴いた。
そこでマリアンヌ王女の家庭教師に任命されたのだった。
魔物討伐の依頼かと予想していたサリシュタールは、意外にも平和的な事柄に少し困惑したが、しかし魔物と戦い続ける日々に精神的な疲労を感じ始めていた彼女は、疲弊した神経を休ませる意図でその任を受けた。
マリアンヌ王女に様々な事柄を教えるのは楽しく、それは魔物との戦いに明け暮れた日々とは格別だった。
破壊を主体とする旅から離れ、育成を主体とする定住生活は、自分の中に意外な感情、母性本能を見出した。
マリアンヌ王女に教育を施すうちに、まるで自分の妹や娘のように思えてきたのだ。
その思いが伝わったのか、マリアンヌ王女もサリシュタールに宮廷で見せる作り物の笑顔ではない、本当の笑みを見せてくれるようになった。
しかし安穏な日々に脈絡もなく終止符が打たれる。
マリアンヌ王女が魔物にさらわれたのだ。
庭園で遊んでいる王女の元を離れ、サリシュタールは王宮の貴族たちと、活動が激しくなっている魔物と魔王復活について談話している最中に、その魔物の接近を鋭敏な探知能力にて察知した彼女は、即座に王女の下に馳せた。
しかし時は既に遅く、庭園にはうろたえ泣きじゃくる侍女が取り残されていただけだった。
混乱している侍女の精神を、魔術で強引に沈静化させ、王女が巨大な怪鳥に空へと連れ去られたと聞きただすと、彼女は慌てふためく貴族連中を放置して空へ飛翔した。
そして王女を拉致した怪鳥を高速度で追跡したが、一刻も経たずに天候は荒れ、暗雲と豪雨に視界は遮られ、魔術による探知でも捕捉不能に陥った。
それでも必死に捜索し続けたが、結局次の日の夜明けに彼女は諦めた。
疲れ果て憔悴して王宮に戻った彼女を、期待に目を輝かせて迎えた王と王妃に、サリシュタールは首を振り、ただ一言謝罪を告げるしかできなかった。
その彼女を国王らは責めなかった。
彼女は王女の教師に過ぎず、護衛は他の者に任じられていた。
もし責任を追及するのであれば、その護衛の任に当たっていた者たちにあることは明白だったし、なによりサリシュタールが全力を費やしたかは一目瞭然だった。
そこまでした彼女にできないことを誰ができるというのか。
次の日、荷物を纏めたサリシュタールは、王女探索に出る旨を王に告げた。
しかし王宮を後にしようとした彼女を、なぜか国王は止めた。
数日だけ待てと。
その理由は二人の光の戦士だった。
そうして三人の光の戦士が集い、彼らの旅が始まった。
大陸に住む人々は褒め称える。
光の戦士。
勇者と。
だが彼らとて始めから本当の意味で勇者であったわけではなかった。
小さな困難に立ち向かい、それを一つ一つ乗り越え、やがて大きな試練を突破し、いつしか強くなっていったのだ。
それはけして魔物の脅威だけではない、自然もまた恐るべき敵だった。
立ち入れば二度と抜け出すこと叶わない魔の森。
恐ろしく深い樹海は日光を遮り方角を見失わせ、天然の巨大な迷宮を形成していた。
巨大な食虫植物に囚われ、密林に身を潜める猛獣が牙を剥き、微細な蟲類が体内に侵入しようとする。
灼熱の砂漠は、体内の水分を一滴残らず奪い去ろうとし、強烈な太陽で皮膚は焼き爛れ、体液が沸騰する。
暴風の砂嵐は、砂粒一つ一つが弾丸のように皮膚を打ちつけ、体力を激減させる。
永久氷雪の大地では白い悪魔が吹き荒び、血液は凍て付き手足の感覚は失われる。
吐く息に含まれる水分が一瞬にして凝結し、極低温の空気を吸い込めば、咽喉と肺の内部が凍傷を起こす。
自然は魔物以上の恐怖の対象だった。
そして人間の心の醜悪さに遭遇することもあった。
人の悪意は、人の善意に付け入り罠に陥れようとする。
守護すべき人間が時として敵になるという事実は、彼らの使命を貫く意思を混迷させた。
分けても最大の敵にして試練は、他ならぬ仲間との確執だった。
ゴードとアルディアス。
方や光の戦士の力に目覚めた辺境の狩人。
方や光の戦士の血筋の由緒正しき家柄の騎士。
まるで違う出生から同じ光の戦士になった二人は、旅の始めから些細な対抗意識を持ち、いつしか目に見えて軋轢が生じ、サリシュタールの仲介も効果はなく、仲違いの発展の末、三人は袂を分けたことさえあった。
しかし彼らは再び結集し、より深い絆を結ぶに到った。
彼らはただ光の戦士の力を持っているだけではない、心の在り方において勇者に成り得たのだ。
そして魔都を覆い隠し誰も寄せ付けなかった、大陸北部の大山脈を三人は踏破し、そうして勇者たちは魔王殿に到着したのだった。
今の彼らを止めることなど誰にもできない。
たとえ魔王であっても。
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