4歳4月 産経大阪杯
年が変わり古馬になってから、ぼくはさらに上の三勝クラスで戦う事になった。ここを勝てばいよいよオープン馬と言う地位を得る事ができる。だからと言う訳でもないだろうけど、ぼくは年明けからわずか三ヶ月の間に三回も走った。で、九着→七着→四着と、勝てないけれども徐々に着順は上がって行った。レースが楽しかった。
オープン馬。実にいい響きだと思う。オープン馬になれば重賞にも堂々と出られる。重賞勝ち馬になる事は競走馬の夢の一つだ、ましてやGⅠなんてなおさらだ。もちろん今のままのぼくでは夢物語だが、ヒガシノゲンブやワンダープログラムにとっては現在進行形の状態である。いろいろ聞いてみたい世界だ。
そんな中、ひとつの事件が起きた。
「戸柱騎手が騎乗停止という事で」
「その件に関しては大変残念ですが滝原騎手におねがいしてありますので」
ぼくとヒガシノゲンブの主戦騎手である戸柱さんが、レース中に他の馬の進路を塞いで四日間の騎乗停止処分をもらってしまってしまった。ダービーや菊花賞を勝たせてくれた戸柱さんの力なしでヒガシノゲンブは大阪杯を戦わなければならなくなったのだ。
この緊急のはずの事態に対し、案外浅野先生は平静だった。
ドバイでワンダープログラムに乗っていた滝原さん、そうもう一人の実戦でヒガシノゲンブに乗った騎手を乗せようと言うつもりらしい。涼しい顔をしてずいぶんはっきりとその旨を記者の人たちに向かって公言する姿は、正直カッコいい。強引かもしれないけど、浅野先生にも滝原さんにもそれだけの力はあった。ぼくがもし同じ事態になってもこうはしてくれないだろうと思うと、改めて次元の違いを感じる。
しかし直接対決ではないとは言え、ライバルであるはずのワンダープログラムにずっと乗って来た存在としてはいろいろ複雑な思いもあるはずだ。ぼくだって、生まれてこの方戸柱さんしか実戦で乗せた事はない。他の人が乗った時どうなるのか、正直楽しみではあるけど不安の方が大きかった。
「戸柱さんが乗れないのならばしょうがないだろ、それだけだよ」
ヒガシノゲンブはそう言ってたけど、やっぱりぼくとしては不安だった。ましてや今回は休み明けだ、最優秀三歳牡馬と言う最高級の栄誉を得た存在の。
ぼくは図々しくも同じ立場になった自分を妄想し、おそらく騎手の人と相当にもめるだろう光景を思い浮かべ情けなさを通り越して笑ってしまった。自分が一着でゴール板を通過した時よりずっと笑えてしまった。
「ユアアクトレス、滝原さんはヒガシノゲンブを」
「ねえココロノダイチ、あの馬はどうしたら私の事を好きになってくれると思う?」
「どうやって?」
「あなたって誰か他の馬好きになった事ないの?それがかなわないって思った時の苦しさも経験した事がないの?まあそうでしょうね、競走馬の牡馬なんて九十九%が童貞のまま死ぬもんだからわからないでしょうね!」
だからユアアクトレスに滝原さんがどうヒガシノゲンブに乗る気なのかと聞こうと思ったのに、彼女は言いたい事だけを言って顔を大きく振ってしまった。
今のヒガシノゲンブに皐月賞の時の面影がないように、今の彼女にも桜花賞の時の面影はない。ぼくが同い年、同じ勝ち数の馬らしくタメ口で答えてやっても、戦績で見下すような事はしないで言葉で追い返そうとする。
自分としては丁重なつもりなのかもしれないけど、正直アンフェアだ。九十九%の牡馬が種牡馬になれない?知った事かい。自分が恋している存在は残り一%であるワンダープログラムでありお前など眼中にないと言う、結局の所の上から目線。詰まる所「黙れ」と何の違いがあるのかよくわからない。
「ワンダープログラムは」
「ドバイから帰って来て疲れてるの、それを無理強いさせてどうする気?」
そこを分かってあげるのがいい
ワンダープログラムはドバイのシーマクラシックとか言うレースでも、有馬記念と同じ三着に終わった。また、GⅠを勝つ事ができなかった。どんなに悔しい事かぼくには想像も付かない。
ヒガシノゲンブはそういう気持ちを持っているんだろうか。皐月賞の時に子どもっぽく泣いていたような存在が、あるいはその裏返しかもしれない闘志をもって残る二冠を取ったと言うのか。
(「ハハハハハハ……ギャーッハッハッハッハ……!!」)
あの笑い声は、勝利の喜びを純粋に表していたのか。それとも皐月賞の敗戦の無念を晴らしたからか、あるいはまた別の何かがあるからなのか。
いずれにせよ自分に不利益をもたらそうとした全ての他者を黙らせる程度に力を持ったあんな声が、勝利の達成感と栄冠を手に入れた誇りだけでどうにかなる物だろうか。自分には出せない笑い声を聞いたワンダープログラムは素直にその力を称え、そしてかえって反発された。それがどれほどワンダープログラムの望んだ物であり、ヒガシノゲンブが望んだ物かはわからないけど。
「ユアアクトレス、君ワンダープログラムに似て来てないかい?」
「ああそう?それはありがとう、いや本当にありがとう!」
「ありがとうと思ってるんなら滝原さんとヒガシノゲンブの関係を」
「ああ、それなら私はワンダープログラムにしたようにすると思うけどね。でもそうなるとワンダープログラムが勝てなかったやり方でヒガシノゲンブが勝っちゃったらそれこそもう埋めがたい差だよねー、うーん困っちゃうなー」
精一杯の皮肉のつもりだった。でもワンダープログラムの事をよく知っているはずのこの牝馬は、ただ無意味に気分を高揚させただけだった。
ヒガシノゲンブはこんなにしゃべる馬じゃない。ダービーの後も前も、血筋や成績を言いふらすような事はしなかった。多くは相づちかあいさつばかりで、自分の事に付いては何も言わない。菊花賞の時にあんなにワンダープログラムに対して性悪そうに迫ったのが、これまでで一番多弁に感じたぐらいだ。
とにかくやって来た大阪杯の追い切りで、滝原さんは自信満々と言った感じの笑顔で記者の人たちに応えていた。
「本来の乗り方で行けば楽勝だと思いますよ、状態は問題ないと思います」
滝原さんはヒガシノゲンブに乗る事が決まってから、そのセリフを何度も言っている。でも、本来の乗り方って何だろう?
きさらぎ賞の時、ヒガシノゲンブは中団から抜け出し半馬身差を付けて勝った。実に綺麗な勝ち方で、これがスーパーエリートって物なのかなとか勝手に評価していた。
でもダービーは五馬身、神戸新聞杯は三馬身、菊花賞は二馬身半。ハナ差でも大差でも着順の方が問題であって着差は二の次なんだろうけど、やっぱり着差が大きい方がいいに決まっている。
もし仮にダービーの着差がハナ差とかだったら、あの笑い声に虚勢を感じられたかもしれない。その虚勢は回り回って菊花賞とかでの他馬の自信の増大に通じ、逆転される危険性を高めていたはずだ。
だからぼくは、決して大きな着差を付けての勝ち方は無駄ではないと思っている。前に成功したやり方より、より大きな成功したやり方があれば使う。それがそんなに間違ってるとは思わない。
そして、大阪杯の日が来た。故障明けのはずだったのに、単勝一.三倍。雲一つない快晴の日差しがヒガシノゲンブを祝していた。
ヒガシノゲンブが先頭でゴール版を駆け抜ける姿、それしか連想できないと言う事を数字も空も示していた。浅野先生も滝原さんも、全てを確信していたはずだった。
そのヒガシノゲンブがゴール板を通過したとき、浅野先生の顔は真っ黒になっていた。
菊花賞の時一着だった着順は、十三着になっていた――。
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