契約 (短編)
うちやまだあつろう
契約
都内の安アパートの一室。低価格のみを売りにしたボロボロの狭い部屋のなかで、男が一人安酒を煽りながら、虚ろな目をしてくつろいでいる。すると、突然目の前にぼんやりとした靄が現れた。初めは形がなかったが、次第にそれは人型となり、遂には黒い衣装に身を包んだ男となった。
「おめでとうございます。あなたは抽選で選ばれた、この世で最も幸運な人間でございます。」
黒い男は笑顔でこちらを見てくる。
「誰だ?」
「おや、申し遅れました。私、悪魔でございます。」
黒い男は帽子を取ってお辞儀をする。
「はぁ。悪魔。」
「おや、信じておられないご様子。」
「今時、悪魔だなんて流行らないよ。」
「えぇ、おっしゃる通り。呼び出していただく機会も、めっきりと減っておりまして。」
悪魔を名乗る男は、悲しそうに肩を落とす。
「そこで、今では悪魔である私どもの方からお会いしに行くという形になっております。」
「はぁ。」
「おや?まだ信じていただけないと。」
「信じられるわけないだろ。」
「そうですか。それならば証拠がわりに願いを一つ叶えて差し上げましょう。」
悪魔を名乗る男はお決まりの台詞を吐く。
「魂でも取るのかい?」
「かつては願いの代償に取っていくこともありましたが、今ではそんなことはありませんよ。悪魔も時代と共に変わるんです。」
「本当かぁ?」
「えぇ。悪魔は嘘をつきません。」
願いと言われたが、唐突に言われると思い付かないものだ。ただ、こういった悪魔との契約は、相応のリスクが伴うと相場が決まっている。願うとするならば、簡単なものが良いだろう。
「高級な酒を一杯欲しい。」
「お安いご用でございます。」
悪魔が指をならすと、テーブルからコトンと音がした。男が振り返ると、液体の入った見たことのないグラスが置いてある。
恐る恐る口をつけると、飲んだこともないほどの旨い酒だった。
「信じていただけたようですね。」
「で、用件はなんだ?抽選って言ってたな。」
「それでは、本題に入らせていただきます。あなたは抽選の結果、一つの権利を獲得いたしました。」
「権利?」
「えぇ。あなたの魂を私がいただく代わりに、好きな人間を一人道連れにできる権利でございます。」
悪魔はニヤリと笑う。
「こんな社会で生きていれば、死ぬほど憎い人間も一人や二人おりましょう。その方もろとも道連れにできるのですよ。」
「道連れねぇ。」
男は少し悩む。道連れと聞けば、普通の人ならば躊躇するかもしれない。なぜなら、自分の身も犠牲にしなければならないからだ。しかし、この男は違った。
殺伐とした社会の中で精神を磨り減らされ、毎晩の酒だけが楽しみとなった彼にとって、自分の魂などどうでも良いのだ。そんなことよりも、道連れにできることが彼にとって嬉しかった。
「じゃあ、頼むよ。」
「よろしいのですか?権利を使用しないこともできますが。」
「あぁ、大丈夫だ。道連れの相手は、同じ会社のAってやつを頼む。アイツ、年上ってだけで偉そうなのが気に食わん。最近だと子供の自慢ばかりで鬱陶しいことこの上ない。」
「承知いたしました。それでは、契約成立ということで……。」
悪魔はそう言うと、微笑を浮かべながら霧のように消えた。
それを見届けた男は、満足げに残された旨い酒を飲んだ。
―――
都内のマンションの一室。暗いリビングでは、男が一人安酒を煽りながらスマホを眺めていた。机にはカップラーメンが一つ置かれ、奥の部屋からは妻と子供の寝息が聞こえてくる。
すると、突然目の前にぼんやりとした靄が現れた。初めは形がなかったが、次第にそれは人型となり、遂には黒い衣装に身を包んだ男となった。
「おめでとうございます。あなたは抽選で選ばれた、この世で最も幸運な人間でございます……
契約 (短編) うちやまだあつろう @uchi-atsu
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