9-5
到着した亀戸公園は不穏な空気に包まれていた。
吉岡さんが帰ってきたというのに、ゲートを守る番人は俺たちを中に入れようとしない。
それどころか内側からは人々の悲鳴のようなものさえ聞こえてくるではないか。
「何があったんだ!? 早くここを開けてくれっ!」
「いや、でも、結城さんが……」
吉岡さんが催促してもゲートは一向に開く気配が見えない。
煮え切らない番人の態度に吉岡さんの手刀が赤く光りだした。
「開けてくれないのなら、ゲートを破壊してでも通る」
静かな怒気を纏った吉永さんにゲートの番人たちもさすがに慌てだした。
この人は元々が警察官だ。
世界がこんなになる前から数々の修羅場をくぐってきたのだと思う。
普段は穏やかな人だけど、本気になった時の迫力はその辺の兄ちゃんで敵うものじゃない。
「待ってください! ホントにお願いします! 今、結城さんに連絡をつけていますから」
門番たちは宥めるようにあたふたしているけど、もしかすると結城の命令で吉永さんを締め出すことにしたのか?
このコミュニティの土台をつくってきたのは吉永さんだ。
脚の怪我を境に結城が実権をにぎったわけだが、吉永さんの怪我が治れば自分の権力を脅かしかねないと恐れることは十分に考えられる。
「寛二よ、覚悟を決めなければならないときがきたやもしれぬ」
エルナが珍しく緊張の表情を浮かべていた。
「覚悟って?」
「人と人とが争う事態に巻き込まれるということじゃ」
だよな。
これまでは意識的に避けてきてはいたけど、果たしてどうしたらいいものか……。
「いよぉ、吉永さん」
しばらく待っていると、防壁の上から結城が顔を出した。
ニヤニヤとした表情に苛ついてしまう。
「結城君、早くここを開けてくれないかな。さっきから人々の悲鳴が聞こえてきたんだがね」
「ああ、それですか。悲鳴ってのはこれのせいでしてね」
結城が手にしたロープを引っ張ると、縛られた人物がよろよろと引き寄せられた。
「中村君!!」
あまりの光景に吉永さんが叫び声を上げていた。
縛られていたのは農業班の副リーダーである中村さんだった。
何度も殴られたようで、顔には何か所も痣があり、あちらこちらから出血しているようだ。
「結城君、中村君に何をしたんだ!?」
「いや~、こいつが反抗的な態度をとるもんですから。皆で一致団結してやっていかなければならないってときに輪を乱すような態度は困るんですよ。だから、制裁をくわえていました」
「なんということを……」
吉岡さんが留守をしている間にこんな事件が起こってしまうとは。
「で、ですね、俺たちは皆で話し合って決めたんスよ。もう吉岡さんには亀戸に関わってほしくないってね。なあ、そうだろう?」
結城が聞きながら中村さんの胸倉を掴む。
「ほら、何とか言えよ」
「……は……い……」
返事をする中村さんの目に涙が滲んでいた。
「貴様!」
思わず叫び声を上げたエルナの表情にも怒気が宿っている。
今にも防壁を壊しそうな勢いだったが結城がそれを制した。
「おっと、動くなよ怪力女。テメーが動けば中村を殺すぞ。それから反町、お前もだ。これを見ろ」
次に連れて来られたのは仁美さんだった。
「お前も世話になった仁美だよ。お前が何かすればこいつを殺す。徹の母親を奪うのは嫌だろう? あいつ、お前に懐いていたもんな。俺だってこいつを殺すのは嫌なんだぜ。少し歳はいってるけど、まだまだ女としての価値はある。あそこの具合も悪くねえ。な、そうだろ?」
最低のクズ野郎が……。
「反町君、悪いがここを離れよう」
「今はそれしかないですね……」
一時撤退も止む無しと判断した俺たちだったけど、異世界の王女様は少しだけ違ったようだ。
「やかましいわっ!」
頭上の結城に叫ぶと同時に、積み上げられた廃車に向かって覚えたての前蹴りをかましたのだ。
ドガーンッ!!!!
エルナの蹴りで防壁は大きく揺れて、なんと結城たちが落ちてきた。
俺は何とか仁美さんを受け止めて地上に倒れこんだが、お互いに大きな怪我はないようだ。
脂肪クッション万歳!
エルナはロープで縛られた中村さんを受け止めていた。
「貴様らのような輩と交渉は持たん!」
お前はアメリカ合衆国か!
「てめえ……」
つかつかと結城の前に進んだエルナが小さな突きを放った。
多分、殺さないように手加減していたのだと思う。
その突きは確実に結城の鳩尾に入っているかに見えた……が、実際はそうでなかった。
エルナが拳でとらえたのは結城の残像でしかなかったのだ。
次の瞬間には4分身した結城が一斉に襲い掛かり、エルナの背中に深々とナイフが刺さっていた。
「エルナ!」
血で染まるエルナを見て、俺の中で何かが切れていた。
フルオートで結城に向かって魔弾丸を発射する。
人間に対して撃っているというのに、なんの躊躇いもなかった。
だが、俺が狙ったのも結城の残像でしかなかった。
結城の体が再び4つに分かれる。
三点バーストで一体ずつ狙っていったが本体には命中せず、先に結城のナイフが俺の腹に刺さっていた。
「ひゅー、あぶねえ!」
結城は俺の後ろに回って魔弾丸が撃てないように腕を捻じ曲げた。
「おい、誰かこいつの腕を押さえつけろ。指鉄砲で狙われちゃかなわねえからな」
防壁に押さえつけられた俺の前に立って結城はニヤニヤとしていた。
「何がダブルのスキルだ。たわいもねえ」
エルナはナイフが刺さったままの状態で倒れている。
死ねば体ごと元の世界に戻るから、まだ息はあるのだろう。
「止めて! お願い、なんでもするからっ!」
仁美さんが泣いていた。
「へっ、モテモテじゃねーか、反町よぉ」
「まーな……」
俺は結城が近寄ってくるのを待った。
「止めるんだ。その人を殺しちゃいかん!」
吉永さんが叫んでいるけど、中村さんは再び人質に取られている。
どうしようもないだろう。
結城は俺の腹に刺さったままのナイフに手を伸ばした。
「今からお前を殺す。お前の持ってくる物資は惜しいが仕方ねーよな。なにか最後に言い残すことは?」
「アイ ウィル ビー バック」
「口の減らねえ野郎だ」
手にしたナイフに力を込めたらしく、腹に激痛が走った。
間違いない。
今、目の前にいるのは残像ではなく本物の結城だ。
「アスタラビスタ(地獄で会おうぜ) ベイベー」
俺は足の指先を結城に向けて魔弾丸を発射した。
「なっ?」
しりもちをついたように倒れた結城が不思議そうな顔で自分の腹を眺めていた。
奴の腹からも、俺と同じように血が溢れ出してきている。
「死にたくなかったら手を離せ」
静かにすごむと、俺を捕まえていた結城の部下は震えながら離れた。
「反町さん!」
駆け寄ってくる仁美さんと吉永さんを手で制して、倒れているエルナの元へ歩いた。
腹の中が燃えるように熱い。
「おい、動けるか?」
「うむ、痛いのじゃ」
手を貸してやるとエルナも何とか立ち上がった。
「おじさん!!」
見上げると防壁の上に徹君の姿があった。
腹が痛いので軽く手を上げて挨拶するにとどめる。
「そこのリュックの中にお土産を買ってきたよ。みんなで仲良くわけるんだぞ」
今回は食玩も入っているので、きっと徹君のお気に召すはずだ。
もしかして殺し合いを子どもたちに見せてしまったのだろうか?
それがすごく気になったが確かめている余裕はない。
「反町さん、早く手当てを」
仁美さんはそう言ってくれたけど、この世界の医療技術じゃ助かる見込みはないだろう。
どっちにしろ、俺たちは死に戻るだけだ。
結城と違って……。
「いや、自分たちで何とかしますよ。行こうぜエルナ」
「うむ。それでは師匠、失礼するぞよ」
吉永さんが涙目で俺たちを見送っている。
もう、俺たちが死んでしまうと思っているに違いない。
だから何も言わずに見送ろうとしているのだろう。
「おじさん、今夜は泊っていきなよ!」
壁の上から徹君の無邪気な声が響いた。
この様子なら凄惨な殺し合いは見ていないのだろう。
よかった。
「今日は帰らなきゃいけないんだ。また来るよ」
死に戻りのことがバレたくないというのもあるんだけど、何よりも子どもたちの目の前で死にたくなかった。
俺とエルナは体を寄せ合いながらゆっくりと歩き出す。
エルナがいつものように腹を掴んできた。
「こんなときに何やってんだよ?」
「止血じゃ。今日は快楽抜きで掴んでおる」
普段は快楽のためだったのね……。
「あそこの角までの辛抱だぞ」
「うむ……」
フラフラになりながらもエルナは力強い。
穴の開いたブーツはすごく歩きづらかったけど二人で何とか角を曲がり、人々の視線から遮られた場所でへたり込んだ。
「んじゃ、帰りますか……」
「早う頼む。痛いのは苦手じゃ」
重く、冷たくなってきた右手を持ち上げて指を咥えた。
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