8-9
元の世界に戻った俺たちは別行動を開始した。
エルナには軽油の購入を頼み、俺はお土産と夕飯の買い出しだ。
こんな時にデパ地下は便利である。
今回、吉永さんの脚を治してもらう見返りに渡す軽油は20リットルを予定している。
神大はこちらの足元を見てくるかもしれないけど強気で交渉するつもりだ。
並行世界に軽油をもたらすことができるのは俺だけなんだから、最終的にはこちらの言うことを聞かざるを得ないと踏んでいる。
バウムクーヘンや初めて見るような高級醤油を購入し、目についた食料を端から買ってみた。
トンポーロ―が美味しそう!
ウナギのかば焼き最高!
キャビア? 食ったことねえ!
ついでにオーガニックヘルシー弁当も買っていくか。
カロリーの高いものは向こうで食べて、健康的なのはこちらで食べるのだ。
死に戻れば元の体になるんだから、向こうでは何を食べても平気。
俺のダイエット計画に死角なし!
俺にとってはディストピアじゃなくてユートピアかも。
かも……鴨のローストも買っていこう!
実は、少し真面目に運動の必要性を感じている。
ディストピアでは戦いは必至だし、倫子を守るためにはそれなりの覚悟も必要だということがわかってきた。
いざという時に、自分にとって大切な人は自分の手で守らなければならない。
俺やエルナと違って倫子は死に戻ることはないのだ。
相手が魔物じゃなくて人間だったとしても、俺は心のトリガーを引かなくてはならないときがくるような予感がしていた。
アパートに戻ると既にエルナは帰っていて、ご飯が炊けるいい匂いが部屋に充満していた。
「おかえり。魚沼産の天日干しコシヒカリとやらを買っておいたぞ」
「でかした、エルナ!」
持つべきものは俺を理解してくれる相棒だ。
最高級の米を買い、さらに炊いておいてくれるなんて素晴らしい。
「俺もおかずをいろいろと買ってきたよ」
買ってきたものを自慢しながらテーブルに並べていく。
「美味しそうだろう? キャビアってどんな味なんだろうな? クラッカーに乗せて食べるんだってよ」
「うむ、どれも美味そうじゃが、野菜はどこじゃ?」
「野菜? ヘルシー弁当に入っているけど」
エルナの目つきが険しくなっている。
こ、怖い……。
「それはこちらで食べる弁当じゃろう。葛城と吉永殿の分がないではないか」
「肉や鰻だけじゃダメ?」
「バランスが悪い! 本当に美味しい食事とは、おのずとバランスが良くなるものじゃ。寛二ももう少し健康に気を使わねばならぬ!」
「イタッ!」
腹を掴まないで。
「好き嫌いをしてはダメであろうがっ!」
脂肪を掴んだままで、縦、縦、横、横、丸描いて、びょーん!
俺の腹を掴みながらエルナの奴がトロンとした危ない目つきをしている。
俺は痛くて涙目だけど……。
「んっ……、堪能したのじゃ。今日のお仕置きはこれくらいにしておいてやる。こんなこともあろうかと材料を買っておいて正解だった。すぐに肉じゃがを作るから待っておれ」
家庭的なサディストめ……。
つかまれた両腹は痛かったけど、エプロンをつけたエルナの後姿に見とれてしまった。
お尻、ちっちゃいよなぁ……。
やがて肉じゃがは出来上がり、すべての準備は整った。
異世界に行くために俺は床で四つん這いになり、その上に肉じゃがの入った丼を抱えたエルナが乗る。
なんというシュールな光景だろう。
「はいよ~、シルバー! それでは出発じゃ!」
誰がシルバーだっ!
ちょっと屈辱的だけどお尻の感触は気持ちいい。
複雑な感情に悩まされながら広げられた魔導書の上に手を置いた。
食卓に並べられたおかずを見て、葛城ちゃんと吉永さんが絶句していた。
「まさか、もう一度ウナギを食べられるなんて……」
葛城ちゃんは涙目だ。
「若いんだから遠慮しないでたくさん食べるんだよ」
ご飯も大盛りにしてあげた。
「うまい……。昔を思い出す……」
肉じゃがを食べた吉永さんはボロボロと涙を落としている。
どうしてだろう? 異世界人のくせに、エルナの作った肉じゃがはほっこりとしていて、どこか懐かしい気持ちにさせるんだよね。
悔しいけど、デパ地下で買ったどのお惣菜よりも美味しくて箸が止まらなくなってしまった。
夕飯は並行世界で葛城ちゃんたちと食べたけど、寝るのは元の世界に戻ってからにした。
少しは時間を進めないと、船外機付きゴムボートがいつまでたっても配送されないからだ。
それに、少しでも体を鍛えようと思ったんだ。
俺たちの目の前には各種サプリメントが並んでいる。
「本当に効くのかえ?」
「わからんが試してみる価値はある。金ならあるんだ」
エルナが手にしているのはL-カルニチンというものだ。
脂肪を燃焼させてエネルギーに変えるらしい。
他にもプロテインだとかHMBだとかBCAAとか、ネットに載っていた情報を元にいろいろと買い込んでみた。
新しいジャージとランニングシューズも購入済みだ。
こうしてみるとダイエットというのも金がかかるんだね。
「エルナは付き合わなくてもいいんだぜ」
「お主一人で痩せようという魂胆か? 抜け駆けは許さん」
別にカッコよくなりたいわけじゃない。
倫子を助け出すために体力をつけたいだけだ。
ランニングと言えば皇居外周というのが定番だ。
アパートから千鳥ヶ淵交差点はすぐなので、俺とエルナは元気よく走りだした。
およそ10分後
俺は息を切らしながら街灯にへばりついていた。
エルナも俺に掴まりながら肩で息をしている。
俺たちは予想以上に体力がなかったようだ。
「し、死ぬのじゃ……」
「苦しい……」
二人とも心肺機能が弱すぎるんだな。
アパートからここまでおよそ1キロ。
皇居の外周は約5キロらしい。
こんな俺たちじゃ、とても完走できそうにない。
「エルナ、予定変更だ。今日はウォーキングにしよう」
「それがよかろう。いきなり走るというのは我らには難易度が高すぎるぞ」
二人で相談して、外周を一周した後に、この交差点からアパートまでもう一度走ることにした。
「少しずつ距離を延ばしていこう」
「うむ。千里の道も一歩からじゃ」
たくさんのランナーに追い越されながら夜の道を速足で歩いた。
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