2-4

 困っているエルナを見捨てることもできず、とりあえず今晩は家に泊めてやることにした。


「まことに持って申し訳ない」


 ぺこりと頭を下げる王女様は可愛かった。


「もういいよ。ただし、布団はこれしかないぜ」

「迷惑をかけているのは自覚しておる。少々の匂いなど我慢する所存じゃ」


 無自覚にディスってる!?


「さっそくにでも、今夜からこのインク壺を抱いて眠ってくれ」


 エルナは小さな容器を手渡してきた。

シュガーポットほどのガラス瓶で、中には月夜みたいな色の青インクが揺れている。

真鍮らしき金属で装飾的な補強がなされており、アンティークファンタジーな雰囲気を醸し出していた。


「俺がこれを抱いて寝れば、魔力がこのインクに染み込むの?」

「そういうことじゃ」


 エルナのおかげで今月分の養育費は支払えた。

恩に報いるためにも、それくらいのお願いは叶えてやりたい。


 それにしても、狭い部屋で二人っきりというのは気まずいものだ。

美少女とこのようなシチュエーションは妄想の中でしかしたことがないので、圧倒的なシミュレーション不足を感じてしまう。

恋愛経験の乏しさを妄想で補って生きてきたけど、差し迫ったリアルの前に想像の翼は羽根を休めてしまった。

くそっ、何を喋っていいかわからないぞ。


「あのさ、これを飲んでもいいかな?」


 買ってきた酎ハイをテーブルに置いた。

酒でも飲めば少しはリラックスできるかもしれない。


「ここはお主の部屋ではないか。遠慮などいらぬから自由にしたらよいだろう。私も喜んで相伴(しょうばん)にあずかろうではないか」


 お前も飲むんかいっ!?


 だいたい未成年に酒を飲ますなど……そういえば29歳だったか。

見た目はどうあれ、中身は大人だ。

だったら問題ないか……。


 二人で酒を飲みながら今後のことを話し合った。


「協力をするのはいいけど、いつまでも一緒に住むわけにはいかないよな」


 美佐が夜勤の日は、俺が倫子を預かるときもある。


「うむ。明日からまた辻占い師で頑張るので、金が貯まるまで少々待ってほしい」

「それなんだけどさ、ちょっとした金儲けの方法を思いついたんだよ」


 俺は並行世界での出稼ぎ計画をエルナに教えた。


「なるほどのぉ。荒廃した世界から現金を持って帰るということか……」


 怒られるかな?


「良き案ではないか!」


 褒められた⁉


「ならば私も同道しよう」

「エルナも?」

「これでもイシュタルモーゼの宮廷魔術師長だぞ。並行世界の魔物など、我が魔法で軽く殲滅してくれるわ」


 それは心強い。


「それくらいの自信がなければお主の家に転がり込むこともせぬよ。手籠めにされてもかなわんからな」

「そんなことするかよ」

「まあ、善良そうには見えるがのぉ。男は獣だと聞いておる」


 俺は無言で壁際の写真立てを指さした。


「ん? 子ども?」

「娘の前でそんなことができるかよ」

「なるほど。お主は父親であったか……」

「そういうことだ」


 エルナが軽くグラスを掲げ、狭い部屋に小さくガラスの触れ合う音が響いた。



 物音で目が覚めると、テーブルの上に朝食が乗っていた。

トーストと切ったトマト、卵を落としたスープなどが並んでいる。

もしかしてこれは……。


「おはよう寛二。お主の冷蔵庫にはろくなものが入っておらんな」


 王女様ってば意外と家庭的!?

言っちゃ悪いが顔に似合ってない。


「エルナの国では王族でも食事の支度をするの?」

「まさか。この世界に来てから覚えたのだ。やれば楽しいものだがな」


 無造作に髪を結んだエルナはお玉を掴んだ姿で苦笑していた。

窓から差し込む光線の加減か、エルナの髪が蜂蜜色に輝き、白いうなじが淡く光っている。

俺は物も言えずに見とれてしまった。


「なんじゃ?」

「い、いや。なんでもない。料理をする王族が珍しいだけだ……」

「イシュタルモーゼならば私くらいのものだろう。ほれ、王女が用意したのじゃ、ありがたく食せ」


 内面の動揺を悟られないよう席に着き、スープを口に運んだ。


「美味いよ。やっぱり人に作ってもらう食事はありがたいな」

「うむ、感謝いたせよ。好みでコショウを入れてもいいし、粉チーズを振りかけても美味じゃ」


 あれこれと世話を焼くエルナに、ギャップ萌えの朝だった。

 

   ♢


 背負ってみると食料がぎっちり入ったリュックサックは肩に深く食い込んだ。

我ながらよく詰め込んだものだと呆れるが、これもデブの性(さが)、逃れられない運命というやつだ。


「まずは私が転移して安全を確保しよう。寛二は10秒後に転移してくるのじゃ」

「了解! よろしく頼むぜ、エルナ」


 エルナはきゅっと唇を結び、白くしなやかな指をもつ手を魔導書に乗せた。


……あれ?


「転移しないじゃん」

「うむ、どういうことじゃ? 魔導書が壊れることなどないのじゃが……」

「もしかして魔力切れとか? ちょっと俺にやらせてみてよ」


 両腕の上に鉄パイプを乗せて、バランスを取りながら本に手を置くと、先日と同じように視界が真っ暗になった。

おわっ? 

転移……できた?

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