第2話 魔槍ガロウル

『漆黒の魔女』という二つ名は、冒険者達には良く知られている。

 誰か固定の仲間と一緒に居る訳でもなく、ふらりと顔を出しては難度の高いと思われる依頼を引きうけ、完遂していった。

 黒を基調としたドレスのようなローブを纏い、戦闘になるといずこから取り出したのか知れない槍を振るう傍ら、圧倒的な魔法で敵をねじ伏せるという離れ業をやってのける彼女を讃え、誰とはなく『漆黒の魔女』と呼ぶようになった。

 魔法使いと言えば、片手に杖。物語の魔女はホウキに跨り空を飛ぶ、誰もがそうした認識を持っていた。しかし、漆黒の魔女の手にあったのは前述の通り、槍。それこそが魔槍・ガロウルであり、活躍する彼女と共に語られる存在となっていた。

 だが、冒険者ギルドに姿を見せなくなってから既に一年が過ぎ、半ば幻の存在扱いされるようになっており、新人冒険者達の中にはその存在さえ否定する者も現れ始めていた。


「偽者だ! 漆黒の魔女はもう死んだと聞いた!」

 男達の誰かが叫んだ。

「じゃあ……、試してみる? こんな狭い場所だし、アタシが魔法使ったら虜囚も巻き込んじゃうかもしれないし……ネ」

「槍だって同じだろ!」

 槍を振り回せるはずが無い、そう侮って斬りかかった男は、一瞬で槍に貫かれた。

「あ……う……」

 貫かれた場所から黒いモヤが広がり、うめき声をあげて男は地に伏した。

「通路とか廊下ってね……、直線なの。槍って別に振り回さなくてもいいのよ」

 顔色ひとつ変えずに槍を持つその姿に、男達は戦慄した。

「本……物……なのか?」

「ふふ……、どっちかしらね?」

 余裕たっぷりに笑い、いらっしゃいとばかりに左の手で優雅に手招きをする。

 漆黒の魔女が本物であれば、自分達が束になってかかったところで勝てるかどうか分からない。その躊躇が、男達の足を止めた。

「来ないの……? まあ、貴方達を倒したところで、首謀者をどうにかしないと意味がないのよねぇ。じゃあ、とりあえずこの娘達は解放させて貰うわね」

 漆黒の魔女が牢の扉に触れると、かちゃりと音を立てて錠が外れる。

「な……!」

 何事も無く開く扉に男達は驚愕する。詠唱もなく、触れただけで解錠アンチロックなど、常人ではできるはずもない。

 それでも手にした剣は放さず、魔女の動向から目を離さない。

 牢の扉を開けるその瞬間、隙が出来た。そう思って剣を手にした二人の男が同時に斬りかかった。だが次の瞬間には、魔女の手から放たれた光の玉が、男達を勢いよく弾き飛ばしていた。

「だめよ……、大人しくしてなきゃ。手加減なんて面倒な事しなきゃいけないんだから……」

 男達は壁に叩きつけられ、そのままうなだれるように崩れ落ちる。

 残った二人はもはや動く事もできず、ただ呆然と捕らえた娘が解放されるのを見ていた。だが、このまま見逃しては雇い主からどのような処罰を受けるか分からない。

 一人でも人質に取ることができれば、形勢は逆転するかもしれない。男達は機会を待った。

 そして全員が牢から出た時だった。地上から喧騒が響いてきた。

「あらぁ、意外に早かったわね……」

「なにっ?」

「伯爵様の警護兵よ。アタシの可愛い猫ちゃんに、伯爵様への言伝を頼んであったからね」

 うふふと笑って、魔女は目配せをする。

「そういうことで……。あ、そうだ、最初から貴方達には寝てて貰えばよかったわね……。起きた時は、貴方達のご主人様と一緒に牢屋の中よ……おやすみなさいスリープ

 魔女が左手を小さく動かすと、残っていた男達も膝をつき、そのまま眠りに落ちた。

「助けて頂き、ありがとうございました!」

 娘達は男達が全員動かなくなった事を確認すると、安堵したような表情をうかべ、魔女に頭を下げた。

「気にしないで、伯爵様のご命令だから。でも、残念だけどここに居る全員、私の事は忘れてね……忘却オブリビオン……」

「え!」

 小さな白い粒子がきらきらと宙を舞うと、男女構わずその場にいた全員に降り注ぐ。

 驚いていた女達は粒子を浴び、自我をなくしたように呆然と立ち尽くす。魔女はそのまま女達を操るように地上に連れ戻すと、夜の闇に溶けるように姿を消した。


 翌日、ビュセル商会のオーナーと、関係者の逮捕、行方不明となっていた娘達全員の無事救出が伯爵の名で発表された。

「ククリアナ、ご苦労だったね」

「いいえ……、楽な仕事でしたわ、伯爵様」

 メイド服を身に着けた黒髪の女性は、恭しく頭を下げた。

 彼女に伯爵と呼ばれた茶髪の逞しい男性、彼がランダルの街の領主グンターク・フォンデリアスである。そしてククリアナと呼ばれた黒髪の女性こそ、『漆黒の魔女』その人であり、この伯爵家のメイドでもある。

「報酬は、給金に上乗せしておく」

「有難うございま……」

 ククリアナは言いかけたところで、誰かが廊下を走ってくる足音を聞き、扉のほうへ振り返る。

「ククリアナ!」

 扉をバンと開き、十代半ばの少女が部屋に飛び込んできた。

「ファルメア、行儀が悪いぞ!」

 伯爵が少女を叱責する。

「どうされました、お嬢様」

「『どうされました』じゃないわよ、昨日の夜、ククリアナは何処へ行っていたの? 屋敷中探したのに!」

 ファルメアの怒りの言葉に、ククリアナは伯爵の顔を伺い苦笑を浮かべる。

「ああ、昨日の夜は、私がククリアナに街での用事を頼んだんだよ」

 そう言う伯爵をファルメアは睨みつけた。

「お父様ったら、若い女性の蒸発事件が起きているっていうのに、ククリアナにもしものことがあったらどうするのよ!」

 返答に窮した伯爵を見かねて、ククリアナは少女に笑顔を向ける。

「大丈夫でございます、お嬢様。このククリアナ、お嬢様がいらっしゃる限り消えたりしませんわ!」

 どんと自らの胸を力強く叩くと、ククリアナはひとしきりむせ返る。呆れた様子のファルメアに対し、ニコリと笑って魔女としての顔とは異なるメイドの顔を見せた。

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