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藤枝伊織

 何ものにもなれないんだ。

 あなたみたいに歌えない。


 お願いだから歌い続けて。やめないでいて。

 あなたが弾くギターの音だけが私を惹きつけ離さない。

 あなたの声が私の耳の奥でずっと響いている。


 遠く離れてしまったあなたはまだ歌っていますか。一度だけそう訊ねた。


  忙しくてね。


 答えた文字にはどういう気持ちがこもっているの?

 あなたがもう歌っていないなんて信じられない。私の記憶するあなたはいつもギターを持っていて、路上で歌っていた。人々が足をとめ、空いたギターケースにお金を投げ入れる。

 笑顔でそのお金を見せてくれたあなた。誇らしい気分になった私。

 それはもうあなたの生活ではないのね。

 相棒だといって見せてくれたギターの手入れはしているの?

 爪弾いて、また聴かせてほしい。

 あなたが想って歌う相手はもう私じゃないかもしれないけれど、私はあなたが歌った歌を、あなたを想って口ずさむ。


 お願いだから歌い続けていて。やめないでいて。

 あなたがもう私のものでなくともいいから、歌だけはやめないで。

 愛してるなんて安っぽい言葉は言わないから。お願いよ。


 あなたの歌だけが私の真実だった。私のイヤホンからはあなたの歌声が流れ続ける。


 あなたは私と違って、何ものにもなりたいものになれるから。

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