第9話 やくたたずの肩書

「緋奈ちゃん、顔色悪いよ。大丈夫?」

 わたしの顔を覗き込みながら、朱里が眉を八の字に下げた。

 お昼休み、わたしはお弁当も出さずに、自分の席に座ったままぼんやりしていた。目線の先の黒板にはもう授業の名残はなくて、思った以上に呆けてたのだと知る。


 ――メグちゃん、東京に行くんでしょう? モデルのお仕事が忙しくなったからって。


 母からそれを聞いて以来、白崎メグミとは会っていない。

 もちろん連絡もとっていない。わたしと白崎メグミは、お互いの個人的な連絡先を知らない。お互いの住所と、家の電話番号、それだけ。家族ぐるみの付き合いがある「幼馴染」なんて、そういうものだ。「友達」や「恋人」とは違うのだから。


 わたしが身体を丸めるように右手を伸ばして左腕の「その部分」を抑えると、その動作を別の意味に捉えたらしい朱里が「おなかいたいの?」と言いながら、わたしの肩に触れた。

「緋奈ちゃん、もしかして」

 それから朱里は、わたしの耳元に口を寄せて、周囲に聞こえないようにそっと囁いた。

「今日、女の子の日?」

 そして、こう付け加えた。

「わたし薬持ってるよ」

 一瞬、耳を疑った。

 だからすぐには反応できなくて、おかしな間ができてしまった。わたしはそれを誤魔化すように、わざと気怠そうに立ち上がる。ゆっくりと、ほんとうに具合が悪いひとみたいに。

「ただの寝不足だから、大丈夫。保健室行ってくるね」

「ついていくよ?」

「ありがと、でも平気。先生に伝言だけお願い」

 わたしは半ば教室から逃げるように、保健室に向かった。

 教室に戻っていく生徒の波とは反対に、逆流するみたいにひとりだけ速足で廊下を進んでいく。

 耳元で囁かれた朱里の声が、わたしがよく知っているものよりも大人びていて。それにどう返すのが正解なのかわからなかった。耳の奥の方で、鈍い音が響いている。

 朱里は「妹」キャラだと思っていた。それが朱里の肩書なのだと。けれどほんとうのところは、わからない、知りようがない。もしかりたら、肩書に含まれない面を持っているかもしれない。いや、持っているだろう。

 わたしだってそうなのだから、きっと、わたし以外だってそうだ。

 それなのに、胃のあたりがザラリとするのはどうしてなのだろう。粉砂糖と間違えて砂を飲み込んでしまったみたいな、気持ちの悪さは何だろう。


 保健室に行くと熱を測らされて、微熱があった。

 身体はだるいけれど、それ以外におかしいところはないから、多分知恵熱だろう。

 先生にベッドで横になるように言われて、大人しくベッドにもぐりこむ。いちばん窓に近いところにあるベッドに入ってカーテンを閉めてしまえば、なんだか病室みたいで、ここが学校だということを忘れそうになった。

 白いシーツは清潔で、少しひんやりとしていた。熱っぽい身体に心地よいけれど、どこか落ち着かなくて、寝不足のはずなのに、眠気はちっとも訪れない。


 ――かわいい、なんて。


 言葉は呪いだ。嬉しい言葉も、そうではない言葉も、全部お札になってベタベタと顔に張り付いていく。しっかりしていて大人っぽいよね、メグミちゃんと緋奈ちゃんは違うんだから、コトリちゃんはかわいいね。

 枕に顔を押し付けて、叫びたくなる気持ちをこらえる。枕からは洗剤のにおいがして、そのまま噛み千切りたくなった。

 カーテンの向こうから先生の声がして、わたしは枕に顔を押し付けたまま生返事をする。職員会議だから保健室をすこしの間留守にするとか、そんな感じのことを言っていた。

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