第2話 かんたんな処世術

 人気者とか、優等生とか、問題児とか、クラスのアイドルとか、お笑い担当とか、不思議ちゃんとか。

 そういうものは、間違っても「個性」なんていう素敵なものではなくて、もちろん「キャラクター」ほど可愛らしいものでもなくて、たぶん肩書きみたいなものなのだと思う。会社で言えば、社長とか課長とか、そういうのに近いもの。

 その場所で生きていくには、知らない誰かから知らないうちに与えられた肩書きに従って、「役職」を全うすればいい。それがきっと、いちばん簡単で平和に過ごせる方法だと思うから。

 わたしのような平凡な中学生でも知っている、簡単な処世術。


緋奈ひなちゃん、たすけて。おなかいたい」

「またなの?」

 二時間目の授業が終わるなり抱きついてきた朱莉しゅりに、わたしは眉をさげてため息をついた。

 わたしの胸のあたりに頭をぐりぐり押し付けてぐずっている朱莉は、華奢で背も低く、同級生なのにずっと年下の妹みたいに見える。

「朱莉、最近いつもお腹痛いじゃん。病院は?」

「病院嫌いだもん」

「トイレ行く?」

「保健室がいい」

 わたしは隣の席の子に先生への言伝を頼んで、朱莉と一緒に教室を出た。廊下を歩いているときに、始業のチャイムが鳴った。三時間目の授業にはすこし遅れることになるけれど、仕方がない。

 朱莉はお腹を守るように両手で自分を抱きしめながら、わたしの隣を前かがみになって歩いている。それを見て、わたしはもしかしてと思う。

「ねえ、朱莉がお腹痛いのってさ……」

 言いかけて、わたしは「なんでもない」と首を振った。

 朱莉は「まだ」のはずだ。いまは腕が邪魔して見えないウエストも、プリーツスカートからのぞいているふくらはぎも、小学生みたいに細いのだから。それに甘えたな朱莉のことだから、きっとそうなったらいちばんに報告してくるだろう。


 保健室には、誰もいなかった。

 幸い鍵は開いていたので中には入れたけれど、そこに先生の姿はなかった。グラウンドに面した窓にかけられているクリーム色のカーテンが、風にあおられてパタパタとはためいている。

「窓開けっ放しなんだけど。不用心」

「もしかして、保健室の幽霊が開けたのかも」

 勝手知った様子で、既にいちばん手前のベッドに入りかけていた朱莉が、ぽつりと言った。

「保健室の幽霊の噂、緋奈ちゃん知らない?」

「なにそれ」

「この保健室ね、出るんだって。見た子がいるんだって」

 そう前置きして、朱莉は保健室に出ると噂の女子生徒の幽霊の話をした。ありきたりな、学校の七不思議。この学校に七つもあるのかは知らないけれど。

「ふうん」

 わたしが気のない相槌を打つと、朱莉は「緋奈ちゃんは興味ないか」と言った。

「幽霊とか信じなさそうだよねえ」

「大抵見間違いでしょ。それか、悪趣味な誰かの作り話」

「前から思ってたけど、緋奈ちゃんって、大人っぽいよね。ぜったいおねえちゃんって感じなのに、ひとりっ子なの意外だもん」

「意外って言われても」

 わたしは苦笑いを浮かべた。わたしからすれば、朱莉に妹がいることの方がずっと意外――と言いかけて、そうでもないかもしれないとすぐに思い直した。ひとは、見かけによらないから。見えている部分は、肩書きだから。身をもって知っている。

「かっこいいよね。わたしは幽霊こわいもん」

 それでも、へにゃりと笑った朱莉の顔は、やっぱり同い年には見えなかった。

「じゃあ朱莉、幽霊に襲われないように気をつけて」

 わたしはそう言って、保健室を出た。ドアを閉めるとき、クリーム色のカーテンの向こう側に、一瞬、人影のようなものが動いたように見えた気がした。

 わたしは左腕を右手でぎゅっと押さえて、廊下を歩きだした。鼓動が速くなっている。だんだん速足になる。保健室の幽霊、ばかばかしい。そんなものいるわけがない。わたしはそういうものを信じない。頭の中で繰り返し、言い聞かせる。


 ここでのわたしの肩書は「しっかり者」だった。オカルトは信じない怖がったりしない、困っている同級生がいたら積極的に助ける、宿題を忘れたり校則をやぶったりはしないけれど規則通りにしか動けないような堅物ではなく、「優等生」ほどではないものの先生からの信頼もそこそこ得ている、親しみやすく頼れる「おねえちゃん」的存在。

 たとえば「不思議ちゃん」なら、みんなでごはんを食べている最中のふとしたときに、ぼんやりと遠くを眺めて空想に浸ったとしても一応は許される。――ああ、あの子は不思議ちゃんだからね。あの子ならしょうがないよね。

 たとえば朱莉のような「妹」なら、ちょっと失敗をしたときでも小動物のように目をうるませて謝れば、たいてい許される。――しょうがないなあ、わたしたちがついていないとなにもできないんだから。可愛いなあ、朱莉は。


 ばかばかしいと、思ったことがないわけではない。


 わたしみたいな肩書きを持った人間が、たとえば授業をさぼって屋上でお昼寝してみたり、禁止されている派手な色のヘアゴムを髪につけて登校したり、突然窓の外を指さして「あら、鳥さんがいるわ」なんて意味不明なことを呟いてみたりすることは、許してもらえない。それを無視して役職を放棄した行動をとることは、自殺行為に等しい。わたしはついこの間、十四歳になったばかりだ。さすがにまだ死にたくはない。

 ばかばかしいといえば、ばかばかしいし、窮屈といえば、窮屈だ。

 そんな、肩書きの書かれた透明なお面をくっつけたお遊戯会。それに参加していないひとは、たぶんほとんどいない気がする。


 ――なのに、彼女は。


「おはよ、コトリちゃん」

 わたしの姿を見つけると、白崎しろさきメグミは八重歯を見せて笑った。

「うわっ」

「さすがにその反応は、ひどくない?」

「その呼び方やめてって言いましたよね、白崎先輩」

「なんで? 可愛いよ」

 白崎メグミに遭遇したのは生徒玄関を横切ったときで、完全にタイミングが悪かったとしか言えない。

 白崎メグミは靴を履き替えると、わたしのそばに来て、品定めをするお客かのような不躾な視線を向けてきた。

「……何か?」

「見ないうちに大人っぽくなったね」

「親戚のおばさんかよ」

 はっとして、口を両手で覆った。

 白崎メグミは、にやにやとこちらを見ている。結構な身長差があるから自然と見下ろされるかたちになっていて、そのことに無性に苛立った。

「ねえ、今日うちにおいでよ」

「は? どうしてですか」

「コトリちゃんのママには連絡しておくから。またあとでね」

 質問にも答えず一方的に告げて、白崎メグミは職員室がある方に駆けて行った。栗色のショートヘアが、淡く揺れていた。


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