山口はその後も破竹の勢いで顧客に優しい家族計画の株式を薦めた。日本の株式売買は基本的に100株単位のため約2000円の優しい家族計画の株式を購入するためには100株で約20万円の資金が必要になる。大口顧客は数万株、小型の顧客は100株ずつ、何度も購入した。大口顧客も小型顧客も皆平等に丁寧に対応するところが山口が好かれる理由である。

証券会社では毎月のように募集の債券や投資信託がノルマとして一人一人に振られるが、幸い優しい家族計画の株式は山口が販売を始めた頃から上昇しており、信頼が増しているので捌くことができた。着実に川村証券東京支店での地位を固めることができている。山口は皆の憧れの的であった。

しかし、この幸せな道のりも長くは続かなかった。2月2日、この日は優しい家族計画の決算発表がある。

「今日は優しい家族計画の決算があります！もちろんインサイダーは持っておりませんが、きっと良好な決算発表が期待されます！最近CMもよくやってますよね(深夜だけど)！

それだけ好調ってことです！もう少し買い増しましょう！お金は3日後まで振り込んでいただければ大丈夫ですから！」

と、山口は当日まで優しい家族計画の株式を力強く販売していた。赴任当初は罪悪感もあり少し弱気気味ではあったが、今では下町のテキヤの如く威勢の良い声でオファーを繰り返す。聞いている方も悪い気はしなかった。

15時に後場が引けて東京証券取引所の１日の商いが終わる。今日の東証一部売買代金は1兆9000億円と第三四半期決算発表が集中していることから様子見な薄商いで引けた。

15時に発表される予定の優しい家族計画の決算発表をみるために山口はPCにかじりついていた。

「まあ、良い決算ならいいだろうし、仮に市場予想を下回る決算だったとしても、そんなに悪い決算ではないだろう。１日くらいストップ安したとしても、俺も一流の証券マンだからバーゲンセールとでも言って新しい顧客に販売すればいいさ。もしかすれば、今既に持っているお客さんも安いところで買ってくれるかもしれない。どちらに転んでも、うまいこといきそうだな」

15時30分になった。15時に決算発表予定なのに遅すぎる。顧客からは山口の携帯に何度も着信があり、せっかちな顧客はショートメールで情報を寄越せと連絡をしてくる。山口は舌打ちをして決算速報の更新ボタンを押した。

「お？出てるね」

15時30分発表の企業に紛れて優しい家族計画のニュース出ていた。山口がその欄をクリックしてページを開いたところ、とんでもない文字が山口の目に飛び込んできた。

『速報　優しい家族計画決算延期』

「なぜだ！？」

基本的に決算発表は予定された日時に行うことが多く、延期の場合の多くは粉飾決算など何かしら悪い情報が出るケースが多い。山口は青ざめた顔でPCと向き合い画面を下にスクロールして詳細を読む。

『優しい家族計画の発表によると、本日15時決算発表の予定だったが、避妊薬大手の春日薬品より訴訟を起こされたことを発表。敗訴した場合の賠償金約150億円を引当金として計上する必要があるため、この度決算発表を延期にしました』

山口は火花が飛び散るような勢いで引き出しを開けて四季報を引き出しから取り出した。

「優しい家族計画は現金が約180億円しかない、営業キャッシュフローは前期マイナスで現金が回ってないじゃないか！借金も1500億あるから借入金の利払いだけでも大変だ！これではきっと減配、もしくは無配となるだろう。それだけじゃない、今回訴訟を起こしてきたのは避妊薬大手の春日薬品だ。内容はわからないが嫌な予感がする。」

山口の頭をよぎったのは「黒字倒産」という文字だった。簡単に、企業は赤字になって潰れるわけではなく、現金が無くなって不渡りを起こした時に倒産する。優しい家族計画は副作用もなく、気軽に避難ができるサプリメントとして80%という高い営業利益率で営業をしていた。しかし、それを開発するにあたって多額の研究開発費を投じ、好調な売れ行きもあって工場などの設備投資を拡張してきた。これらは全て借入金で賄っており、回収した現金、または自社の現預金から返済をしている。今回山口が狼狽しているのがその引当金の多さだ。200億円の現金しかなく、営業キャッシュフローもマイナスなので現金を回収できていない、そこで仮に150億円の賠償金を払わなくてはならないとなったら、利益はプラスでも現金が底をついて倒産してしまう。もちろん、倒産したら顧客の株式は紙切れになってしまう。

山口は灰になっていた。

「また同じことを繰り返してしまうのか。」

翌日のストップ安は避けられない。さらに、倒産の危険があるとすれば連日ストップ安ということもありうる。信用取引で購入しているお客さんには追い証をお願いすることにもなるだろう。山口の歯車はこの一瞬で逆回転した。