君の心に届けるために


「落ち着いたか?」


 ひとしきり泣いたら、自然と涙は止まっていた。


「ご、ご、ごめんなさい……」


 冷静になってみると、自分がとんでもないことをしてしまったことに気づく。ギアに抱き着いてしまった。しかも、大声で泣きわめいてしまった……。

 わたしが挙動不審になっていると、ギアは笑った。


「俺も昔、こうしてもらったことがある」


「……?」


「恐ろしくて決断がつかなかったときに、その人は俺にそうしてくれた」


 そう言うと、ギアはわたしの目をしっかりと見て言った。


「君は弱くなんかない。だが、今の君に何を言っても心に響かないだろう」


 ギアは少し緊張したような顔をする。


「クーナ、君に見せたいものがあるんだ」


「見せたいもの……?」


 ギアはうなずいた。


「……君の心に伝えたいことがある。それなら俺も、誠実にならないと君の心に言葉は届かないだろう。だから君だけに見せる。本当の俺を」


 そう言って、ギアは突然わたしの足元にひざまずく。


「! ギア、何をして……」


 慌てて止めようとすると、タイミングを計ったように、ルルがわたしたちの足元にやってきた。額の石の中で燃える炎が、あたりを明るく照らし出す。

 ギアがうつむいた。すると、さらりと髪が揺れ、その間から何かがきらりと光った。


「あ……」


 そういえば、ダンジョンの中でも同じことが起こった。ギアの髪の中に、何が宝石のような輝きがあったのだ。


「触ってみるといい」


 そう言われ、わたしはその輝きに、自然と手を伸ばしていた。ちょうど左右対称に二つある。そっと手を触れると、それは硬くて、表面がザラザラとしていた。

 触れて、すぐにわかった。


 ──これ、折れたツノの跡だ……。


「ギア……これ、は……」


 わたしが息をのむと、ギアは頷いた。


「ツノだ。今はもう折れてしまったが。幼い頃は、ここに小さなツノが生えていた」


 唖然とするわたしをみて苦笑すると、ギアは立ち上がった。


「俺は人間じゃないんだ」


「人間じゃない……?」


 掠れた声でそう尋ねると、ギアはうなずいた。


「隠していたわけじゃない。ただ、どうしてもこの話をするのが辛かった。だから黙っていた。俺は人間ではなく、『魔人』と呼ばれる種族だ。そして俺も君と同じ、アルーダ国の出身だった」


「えっ……!」


 魔人族。アルーダ国の出身。初めて聞くギアの話に、わたしは驚きっぱなしだった。

 魔人という種族の話は、わたしも片耳に聞いたことがある。見た目は美しい人の姿をしているけれど、彼らは皆、頭に美しいツノを持ち、その身には莫大な魔力を宿す。けれど彼らは強すぎる魔力を持つが故に、無事に赤子が生まれてくる確率が非常に低く、絶滅の一途をたどっているのだという。ギアがそんな魔人の生き残りで、アルーダ国の出身……。

 唖然とした顔で彼を見上げると、ギアは少し沈んだ声で言った。


「自分の出自はよく分からない。けれど幼いころ、人攫いの馬車に揺られて、あの国に行ったのは覚えている」


「……」


「このツノは、幼いころ、引き取り先で折られた」


 今では禁止されているけれど、数十年前まで美しい見目を持つ亜人の子どもは、アルーダ国では金で買われ、ペットのような扱いを受けていた。けれど人間とそれ以外の種を分けて考えているのは、アルーダ国だけだ。亜人の子どもだって、人間と同じように育つのだ。自分の思うように育たなければ、ひどい扱いを受けることになったのだという……。

 はっきりとは言わなかったけれど、ギアもそうだったのかもしれない。


「感情もなく、意志もなく、俺はただ生かされるままに生きていた」


 わたしの狼の耳がそうであるように、ギアのツノだって大切な身体の一部だ。そんな大切なツノを折られたのなら、きっとギアの生活は……。辛くなって、思わず目を伏せた。

 けれどギアの声は、絶望に染まってはいなかった。


「だが、俺に手を差し伸べてくれた人がいたんだ」


「!」


「そいつは、偶然依頼でアルーダ国にやってきたらしい。『同じボロボロなら、俺のところでボロボロになった方が楽しいぜ』なんて言って、俺の手を引っ張ったんだ」


 もしかして、それって……。

 私がある人物を想像していると、ギアは頷いた。


「そう、キリクだ。キリクが俺を、無理矢理光の中に、引きずり込んだんだ」


 ──ギアはキリクさんにだけ特別打ち解けていると、ずっと感じていた。焦ったり、怒ったり、他の人には見せないような表情を、ギアはキリクさんにだけ向けていると思っていた。それは二人がバディを組んでいたからだと思っていたけど……そっか。バディになる以前に、ギアはキリクさんと幼い頃から一緒だったから、本当の家族みたいな関係だったんだ。


「恐ろしかったよ。あの場所から去ることは。それでも俺は、あの暗闇の中でしか、生きる方法を知らなかった。暗い場所にいたのに、突然光が入ってきて、俺はそれが恐ろしかった。けれどあいつは、俺の手を引っ張って、その光がどれほど心地いいか教えてくれた」


「ギア……」


 ギアはわたしの手を握った。冷え切った体は、いつの間にか熱くなっている。


「だから俺も、キリクがそうしてくれたように、君を連れていく。あの光の中へ」


 ギアはどうして、わたしにこんなによくしてくれるんだろうってずっと思っていた。でも、そっか。わたしたちは、とても境遇が似ているんだ。ギアはちゃんと、次に繋いだんだね。キリクさんにもらったあたたかいものを、わたしにもくれるんだね。


「君は弱くなんかない、クーナ。ずっとそばで見て来たからわかる。君が言ったんじゃないか、本当に大切なのは、その人の生き方なんだと。君は十分に恐怖心と戦ってきた。君が戦うその姿の、どこが弱虫に見えると言うんだ?」


 ギアの顔を見れば、彼は額にびっしりと汗をかいていた。この話をするのに、相当緊張したのだろう。当たり前だ。自分のトラウマをもう一度思い起こすなんて、きっと誰だってしたくない。けれどわたしの心に言葉を届けるために、ギアは痛みを堪えて自分の秘密を教えてくれたのだ。


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