第6章 その花の花言葉は

家族との再会

 サワサワと水のせせらぎが聞こえてくる。

 夜の川面を撫でた風が、ひんやりとわたしを包み込んだ。


「るぅ……」


 暗闇の中、ルルの額の炎があたりを柔らかく照らす。

 わたしはギアに助けられたあの小川のほとりで、ぼんやりと月光を照り返す川面を眺めていた。

 ルルとモコモットたちが、そっとわたしに寄り添そう。

 わたしはルルの頭を撫でながら、深いため息をついた。真夏の夜なのに、小川のそばにいるせいか、少し冷える。それでもわたしは、ギルドの寮には帰りたくなかった。


「……花火、みんなで見たかったな」


 あと数日で夏祭りは終わる。それまでにわたしは、この街を、国を、去っているのかもしれない。


      ◆


 あのお祭りの夜。義妹のアニエスに出会ったのは、夢なんかじゃなかった。お父様、お継母様、そしてアニエスの三人は、魔物の被害から逃れるために、グランタニアまで避難してきたらしい。そしてなんの偶然か、避難先にフィーナルダットを選んだというのだ。

 マキちゃんが見たわたしを探す女の子とは、きっとアニエスのことだったのだろう。


「ああクーナ、よかった、本当によかった。ずいぶん探したんだよ」


 薄っぺらな笑顔を浮かべてわたしを抱きしめるお父様に、恐怖を覚える。


「お、お父様、な、なぜ、ここに……?」


 わたしはまた、地底魚の中で悪夢を見ているのだろうか。恐怖で足がガクガク震えた。掠れた声で尋ねれば、お父様はわたしを見て、にっこりと微笑んだ。


「なぜって、クーナを迎えにきたんだ。君が生きていると、私は信じていた。私たちはみんな、君の帰りを待っていたんだよ」


 嘘だ。咄嗟にお父様の背後を見れば、不機嫌そうなお継母様と目があった。射殺さんばかりの目で、わたしを睨め付けている。

 アニエスも同様だ。相変わらずのその姿に、わたしは若干正気を取り戻した。

 大体、わたしが聖女をいじめたなどという嘘をついたのは、アニエスだ。彼女が、そして彼女を愛するお継母様が、わたしを取り戻したいなんて、思うはずがない。


「あの身勝手でバカらしい断罪劇は、多くの国民から反感を買ってね。聖女をいじめたとはいえ、そこまでやるなんて、と抗議の声も多く上がったらしい」


 どうやらわたしが聖女をいじめたことは──つまり、アニエスの証言は、お父様を含め、みんな信じているらしい。


「魔物の被害のせいで有耶無耶になってしまったが、王太子初め、あの断罪劇に関わった奴らは、国王陛下からお叱りを受けたそうだよ」


 お叱りを受けた? わたしを殺そうとしたのに……? たった、それだけだというの?


「……あの人たちは、わたしを魔物の森へ追放しました。なんの調査も、裁判だってせずに。わたしは偶然あの森から脱出することができましたが、運が悪ければ、魔物に食われて死んでいたはずです。お父様だって、そんなわたしを探しには来なかったじゃないですか」


「違う! 私はクーナの居場所を、教えられなかったんだ」


 そうだったとしても、じゃあどうしてお父様は、今までわたしのことを無視してきたんだろう?

 急に構うようになったのはなぜ? わたしのことは、どうでもよかったんじゃなかったの?

 獣人だからといって、わたしはあまりにも不当な扱いを受けてきた。もうアルーダ国には、レイリア家には、二度と戻りたくない。


「……わたしになんの用事があるかは知りませんが、もう金輪際、関わらないでください」


 ありったけの勇気を振り絞って、そう伝える。


「何を言ってるんだい、クーナ」


 けれどお父様はおかしそうに笑った。


「家族じゃないか。君はわたしの娘だ。家族は一緒にいるべきだ。そうだろう?」


「……わたしは死んだものとしていただいて、構いません。だって今までも、そうだったから」


 どうしてレイリアという同じ姓を持っているのに、わたしだけ空気みたいな存在だったのか。どうしてわたしだけ虐げられていたのか。どうしてお父様はわたしを無視し続けていたのか。今までずっと謎だった。でもそんなことはどうだっていい。わたしはルルに出会った時、一度死んだのだ。そして生まれ変わって、第二の人生を歩んでいる。わたしにはもう、新しい生活があるのだ。

 お父様は首を横に振った。


「アルーダは魔物の被害がひどくてね。しばらくは私たちもこちらに滞在するんだ。それが終わったら、一緒に帰ろう、我が家へ」


 血の気が引いた。


「い、いや! わたし、ここに居場所があるの! もうあなたたちのところへは、帰りません!」


 恐怖と怒りがない混ぜになったような、不思議な感情で頭がクラクラした。

 すると、今までずっと成り行きを見ていたお継母様が、突然口を開いた。


「クーナ」


「!」


「また躾を受けたいの?」


 その声を聞いただけで、身がすくんだ。お父様には直接何かをされたことはなかったけれど、わたしはこの人に、何度もひどいことをされた経験がある。


「あ……」


「せっかくあなたを許して、もう一度迎え入れてあげようとしているのに。どうしてお父様に逆らうのかしら? あなた、自分の立場を分かっているの?」


 自分の全てを否定される。心を削られていくような、そんな感覚。


「わ、わたし、は……」


 負けちゃダメだ。冷静に考えれば、この人たちの言っていることは相当おかしいはず。そう思うけれど、一人だと足が震えて言い返せない。レイリア家にいた頃の絶望が蘇る。


「帰っておいで、クーナ」


「言うことを聞きなさい、クーナ」


 二人の大人が、わたしの手を掴む。アニエスがにんまりと笑うのが見えた。

 まるで意思を失ったかのように、体が動かなくなる。

 奈落の底に意識が吸い込まれていくみたいに、わたしの目の前は真っ暗になった──。

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