第15話 名誉の代金


 翌日には情報通の銀行・商社の担当者が社長室に押し寄せた。不況の足跡が近づき皆、不安なのだろう。支払期日前の資金まで回収しようとしている商社がやって来た。銀行に至っては、再三借りてくれと下げた頭を挿げ替えて、期限前の返済督促を始める勢いである。


 払う払わないの大騒動で、いきり立つ背広の男達。勢い大声を上げ、互いの胸ぐらを掴む輩も現れた。


 バタン!


 社長室の扉が開き、大ぶりの封筒を持った受付嬢が飛び込んできた。

「社長! 大丈夫ですか! 社長に何をするの!」

 受付嬢は執務机の前に乗り込むと、両手を広げて男達から福山を庇う。急に怖くなったのだろう。震え萎える足を叩いて、スーツの男達を睨み仁王立ちする。

「社長。大丈夫。大丈夫ですから」

 受付嬢の震えは止まらない。

「君が頑張ってくれるのはありがたいが、どうも役には立たないようだ。もういいから職場に戻りなさい」

「嫌です! どきません!」


 受付嬢は、歯を喰いしばって答える。

「私の母と田舎の家族は、あなたに命を救われました! 小さな頃から、そのことを母に教えられて、私は育ちました」

「……君は」

「私の母は、あなたに売られた女の子です。でも母は知っていました。売られた後も、貴方は何度も実家に援助をして下さったことを。母だけじゃないですよね。関わった人買いの家に、何某かの援助をしていたのでしょう?

 母だけではお返しできない恩を、私も返すためにここで働いています!」

 福山を含めたスーツの男達は、気勢を呑まれてしまった。そのタイミングで恰幅の良い紳士が現れた。


「何だね君達は。さっさとこの部屋から出たまえ!」

 書生だった政治家である。福山を取り囲んでいた男達も彼の顔を知っていたらしく、バツの悪そうな表情を浮かべる。

「いや代議士せんせい。そうは言いましても、こちらも商売ですから」

「天下の福山財閥が、500万円だまし取られた位で、グラつくものかね! 私は社長と国政に関する打ち合わせがあるんだ! 席を外したまえ」

 

「そう言えば、君が持っている封筒は何だね?」

 福山は受付嬢が手にしている物に、目を止めた。

「急いで社長に渡して欲しいと頼まれました」

 福山は封筒を受け取ると、震える指先で中身を改めた。指先の震えは、やがて全身に広がり、福山は腹を抱えて笑い始めた。


「社長! 大丈夫ですか? ……まさか心労が溜まりすぎて」

「いやいや。この書類を見てほしい」

 福山は手にした書類を机に放りだした。男達が書類を手に取り始める。

「何だこりゃ。東京府の児童福祉施設に10万円の寄付?」

「こっちは大阪の乳児院に30万円の寄付の領収書だ」

「全部合わせたら450万円以上、福山社長名義で寄付しているぞ」


 慌てた男達は福山に詰め寄る。

「社長は詐欺に遭ったんじゃないんですか?」

 笑いの収まらない福山の前に、政治家が立つ。

「これだけ寄付すれば、来季の決算で納税の軽減が大きいだろう。福山社長は以前から慈善事業に取り組まれている。不況の足音が近づいている中、こんなところで油を売っていて良いのかね。もっと焦げ付きそうな会社が山のようにあるだろう」

 毒気を抜かれた男達は三々五々、社長室を後にした。


「そういえば、その……」

 福山は居残っていた受付嬢を見つめる。しばらく迷ってから、やっと口を開く」

「お母様は元気かね?」

「はい! お陰様で。あら、電話」

 受付嬢は受話器を取ると、怪訝そうな顔で福山に差し出した。


「福山社長。書類はご覧になりましたかねぇ? これで世界恐慌になっても救われる子供がいるんじゃないですか」

「……君は一体、何者なんだね」

 半次の声を聴いて、福山の声は震えた。

「いや何、ケチな詐欺師ですよぅ」

「ケチな詐欺師が、どうして私に綬爵させることが出来たんだ!」

 福山は吠える。

「私にそんな力はありませんよぅ。ただし、綬爵者リストを早めに見る事くらいはできる」

「?」

「貴方は本当に、ご自分の力で男爵になられたのですよぅ。私は、ただそれを早めにお伝えしただけで」


 ……だまされた。単純すぎて分からなかった。悔しくて言葉が出なくなる。深呼吸を繰り返して、やっと声を絞り出す。


「……手数料を取れとは言ったが、1割の50万円は、取り過ぎなんじゃないかね」

「嫌ですよぅ。男爵様ともあろう方が、ケチ臭い事を仰って」

 ガチャリ。


 通話の切れた受話器を見つめる福山。しばらくして、そっと受話器を戻す。

「大丈夫ですか。福山さん」

 政治家の顔が、あの時の書生に戻る。二人きりの時、彼は福山に敬語を使う。

「男爵様がケチなことを言うな、と笑われました」

「ふざけた詐欺師だ。名誉なこととは言え、手痛い綬爵になりましたね」

 苦虫を噛み潰す書生。

「男爵で500万円なら、子爵になるときは1000万円掛かっちゃうんですかね?」

 ピントの外れた感想を漏らす受付嬢。


「いやいや」


 福山は書生と受付嬢を見つめ、心から微笑んだ。福山のそんな表情を見たことのない二人は、キョトンとした顔をしている。


「今日は素晴らしい日でした。私にとって、お二人とお会いできた、その名誉に支払った代金だけで、お釣りが来そうです」

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