第13話 男爵授爵


 宮中 松の間。汗を拭きながら福山は歩いている。伝達式をつつがなく終え、男爵の徽章をモーニングに付けると、目の前には天皇陛下が鎮座されている。

 仕事柄、公式の場に出ることは多いが、今日は特別だ。良く見れば同年代の顔見知りもいる。皆、大学出の優秀な人間ばかりだ。女衒上がりの半端物など、俺しかいない。


 会場を移動する際に例の青年とすれ違った。話しかけようとするとウインクされて、はぐらかされた。恐らく知り合いであることを隠しておきたいのだろう。宮中に入ってからは、係員の指示に従い、移動したりお辞儀をしたりを繰り返すだけだが、雲の上を歩いているようだ。いや、格別の気分だ。


 全ての儀礼を終え宮中を出た頃には、さすがの福山もヘトヘトになっていた。待たせていた車に辿り着いた時には、実際、ため息が出た。

「福山社長。本日は、おめでとうございました」

 車に乗り込もうとした時、福山は半次に声をかけられた。

「これはこれは。色々とお世話になりましたな。何か御用があるようでしたら、どうでしょう。車の中でお話しませんか?」

「助かります。できれば福山社長と親しく話しているところを、同僚などに見られない方がいいでしょうから」

 半次は微笑んで、後部座席に滑り込んだ。福山は帽子を取り、半次に煙草を勧める。


「早速ですが、社長はヨーロッパ連合の構想をご存知でしょうか?」

「はて? 突然どうされました」

「ドイツやフランスなどヨーロッパ列強の国境を取り払い、関税の撤廃、共通通貨を使用する等の構想です。主権はそれぞれの国にありますが、大変大きな国が一つ出来上がるような物とお考え下さい」

「……それは。本当ならアメリカ発の世界恐慌にも立ち向かえるかもしれません!」

「やはり、そう思われますか?」

 半次は車内の灰皿に煙草を押し付けた。


 そこから先は、半次の独壇場だった。ヨーロッパ連合の連合債の概要・規模などを説明し、福山の会社の前で車を降りた。

「お分かりいただけるとは思いますが、この話はご内密に。本来であれば詳細な書類をお渡ししたいのですが、極秘事項ですので全て口伝でお伝えさせていただきました」

「連合債を購入する場合は、どうすれば宜しいので?」

「大変申し訳ありませんが、実務については私の担当ではありません。宜しければ、担当者をご紹介させていただきますが・・・」

「いやいや。出来れば貴方と話を進めたい。このお話で儲けるつもりはサラサラありませんが、社員の生活を支えるための資産位は確保しておきたいものですから」

「どの位の規模をお考えですか?」

「ザッと800万円(今のお金で48億円位)は、確保しておきたい所です」

「……国の割り当てであれば問題ありませんが、個人の規模としては大きすぎますね。担当者と相談させていただけますか?」

「それはもちろん。貴方への手数料も考えておいてください」

 半次は顔を顰めた。

「私への礼金などは一切無用です。そのようなつもりでお話したのではありません!」


 半次の剣幕に、福山は両手を振った。

「いやいや。この度の綬爵の件についてもありますから、そこまでただ働きをしていただく訳には……」

「……大変申し訳ありませんが、時間がありません! このお話は後程ということで」

 それだけいうと、半次は肩を怒らせて皇居に向かって歩き始めた。福山は茫然と半次の後姿を見つめていた。


「ちょっと薬を効かせ過ぎたかねぇ」

 二重橋の前で半次は苦笑した。近くのキネマでは、小津安二郎の「大学は出たけれど」が掛かっていた。学士様になっても就職先は無い。田舎に帰っても食い扶持に困る有様だ。不景気の陰で皆、不安なのだ。陰鬱な風が、お堀端を吹き抜けた。

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